第15話 炎に踊る龍③

「天音は聖に会えたかな………」

 まったく火の勢いが衰えない燃える山を見上げて、風月は呟いた。肩にかついだ鎌が重たいし、天音のことも心配だ。それでも今風月にやらなければいけないことは他にあるのだから、この鎌を下ろすわけにも天音の後を追いかけるわけにもいかない。

「まあ天音なら大丈夫だと思うけど………問題はこっちだよね」

 聖の放った火を消そうとする村人たちの姿を視界の隅に収めながら、燃える山のあたりをじっと見つめる。バケツリレーで火に水をかけても当然のように日の勢いは弱まらない。そもそも燃やすものは周りに大量にあるのだ、村人総出の消火活動と言っても三桁にも満たない数の村の住民では人手が足りないのは明らかだ。

「後で天音にかっこ悪いところは見せられないし、こっちはこっちで頑張りますか!」

 自分自身に気合を入れるためにそう言葉にして、風月は軽い足取りで燃える山の中に入っていった。


 懸命にバケツで水をかけていた村人の一人が急に手を止めて山の中を指差した。「おい!あれはなんだっ!?」

 その声に反応して指さす方を見た他の村人がどよめく。彼らが消火活動の手を止めて驚くのも無理はない。山の中腹のあたり、村に向かって降りてきている火の進路を阻むように、いきなり大量の木が切り倒された。切り倒された木が地響きを上げて地面に横たわる。少しだけ地面も揺れた気がした。

 一見何の意味があるのか分からない行為だが、燃やすもののなくなった炎の勢いが少しだけ弱まる。炎の明かりを背にした風月は、大勢の村人がこちらを見守る中、死神の象徴とも言える大鎌を力いっぱい振った。

「死神………」

 誰が呟いたか分からないが、それは今の風月の姿を見た誰もが感じたことだった。炎を背にして鎌を振り、消火のために木を切り倒していく。淡々と作業を続ける風月を横目に、消火活動の手を止めた村人たちのささやき声がさざなみのように人ごみに伝わる。

「間違いない………あの子は死神だ………」

 普段の風月なら俯いて口を閉じてやり過ごす言葉たちだ。しかし風月は、まるでその言葉が聞こえていないようにまた鎌を振り下ろした。華奢な少女の躯体がしなり、まるで稲でも刈るような気安さで大木が切り倒されていく。

「………大丈夫?」

 炎の勢いが弱まったのを確認して、風月は呆然とこちらを見つめる村人に歩み寄る。

「木、切り倒せば少しは時間を遅らせれると思うけど、完全に消すことはできないと思うから、水もかけてくれると、」

「ち、近寄るな!」

 もう一歩距離を詰めた風月に対して、反対に一歩下がった村人が叫ぶ。歩みかけていた風月の足が止まった。

「こっちを見るな!」

(ああ、そっか。私が死神の娘だから、目を合わせたら死んじゃうって思ってる人もいるんだっけ)

 町にいる時も風月の人と違う目の色は畏怖と軽蔑の対象だった。それは村に逃げてきても同じだ。この人が風月を睨みつけながら拒絶の声を発したのは、きっと恐怖からだと風月はきちんと分かっていた。

(そりゃ、怖がられてもしょうがないよね)

 死神は人に死を与える。魂をその鎌で刈り取る。死は見えない。人にコントロールできない。だから怖い。見えないものも形をとらえることができないものも、恐怖の対象だ。分かっている。

(しょうがない………)

 これまで何度も心の中で呟いた「しょうがない」をまた繰り返す、自分に言い聞かせる。自分の出自の特異さと、人に怖がられる自分の在り方を。

 —————だってあたしは死神の娘だから。

 本当は天音という友達ができたことが奇跡で、それ以上を望むべきではない。自分の境遇に不満を持ってもしょうがない。いくら前髪を伸ばしても、いくら暑苦しいフードをかぶっても、どれだけ人を困らせないように、怖がらせないようにしても。結局、それらの努力が実を結ぶことはない。無駄。そう無駄だ。

 半分死神だという自分の特性をひっくり返すことはできないのだから、理不尽だと思ってはダメなのだ。しょうがない、しょうがない―――――きっと以前の風月ならそう繰り返すだけだったけど、でも。今はそんなこと。

「しょうがなくないよ、馬鹿!」

 渾身の力を込めて、これまで押し殺していた分の感情を込めて、風月は叫んだ。それは理屈も自制も消え失せた、ただの屁理屈と言ってもいい叫びだった。

「あたしは確かに、半分死神だよ!見た目も人と違って、見たくないものが見えて、でも!」

 叫ぶ風月を見つめる村人の目にどんな感情がこもっていても、叫ぶことをやめられない。それくらい剥き出しの感情を風月はぶつける。一度も人にぶつけたことのない憤りを燃える火の中で叫ぶ。

「でも!半分死神なのと同じくらい、人間だ!」

 大鎌を携えた人間と程遠い位置にいる少女は、誰よりも人間らしく叫んだ。

 ————ここにいる全ての人を助けたいと願う、ありきたりで平凡な子どもそのもだった。


 上がった息が苦しい。肺が痛い。何度も踏み込んだ足裏が痺れた。肌を焦がす日は暑い。気のせいか酸素が薄い気がする。

「はぁ………げほっ………」

「死にそうだな」

 一方で聖と対峙した天音は勝ち目のない消耗戦を強いられていた。致命傷を入れないまでも、天音は竹刀を振り回す度に体力を消耗するというのに、立ち尽くす聖に打ちかかろうとするたびに、炎が行く手を遮った。炎自体が意思を持っているような不自然な予測不可能な動きに邪魔されて、天音は竹刀を握って立っているだけでやっとの有様だ。

「もう逃げたらどうだ?」

 聖は天音の奮闘をつまらなさそうに見下ろして吐き捨てる。天音を追い込むことを楽しんでいるわけでもなく、自分の意思など存在しないような言い方だ。

「………まだ逃げないよ。それにまだ負けてない」

 炎が予測不能な動きをするのは、聖を依り代にした穢れが天音の目的を邪魔しようと、炎にとり憑いて意思を持って動いているからだ。それなら炎がある限りまるで天音に勝ち目はないように思える。

「―――――隙ありっ」

 それでも天音はもう一度、酸素が回らない足を叱咤して一歩を出して、聖の頭を狙って竹刀を振り上げた。炎が行く手を遮るように動く。それはもう分かっていた。分かっていたから、天音は。

「くうっ………」

 喉の奥から押し殺した悲鳴が零れるのは抑えることができなかった。炎を無視して聖に攻撃を入れる。自分の肌が焼ける感覚は決して平気、と言えないけれど、覚悟すれば耐えきれる。いや、耐えてみせる。

「めんっ………!」

 だから痛みを誤魔化すために声を張り上げる。自分の頭上に振り上げられた竹刀に聖は正しく気付いていた。気付いていたけれど。

「何やってるんだお前、」

 天音が竹刀を振り下ろすのを躊躇したことを、聖はきちんと見逃さなかった。中途半端に目の前で止まった天音の腹部に、気だるげに上げられた聖の前蹴りが直撃する。―――――今度は耐えられなかった。

「………げほっ」

 人間の力じゃない。綺麗に急所に攻撃を入れられてしまった天音の体は、そのまま数メートル後ろに吹き飛んだ。ごろごろと焼けた地面に転がって、立ち上がることができない。なるほど、今の聖の振るう暴力は穢れの力を借りて出力が上がっているらしい、ということを頭の片隅で理解する。いやそれよりも。

「………どうして?」

「は?」

「どうしてよけなかったの?」

 防具をつけていない聖の頭に木刀を振り下ろせば、それなりに大惨事になることは明確だ。頭は人間の急所だ。剣道を習っていたのなら、勝手に体が急所を守るために動いて当然だ。ましてや聖は天音が自分の頭を狙っているのに気付いていた。それなのによけなかった。あの攻撃をよけようとした時に生まれる隙を狙った天音の思惑は見事に外れてしまったのだけれど。それよりも疑問が先行する。

「よけないと聖、死んじゃうんだよ!?」

「——————それがどうした」

 惨めに地面に転がる天音の、文字通り血を吐くような言葉に聖の返した言葉は冷え切っていた。

「こいつが死んでも誰も困らないだろう?燃やし尽くして不幸をまき散らして、それで死ねたら本望だ」

 ―――――ああ、これは聖じゃない。

 確かに不幸な目に遭った。幸せではなかっただろう、心を閉ざしてしまうほどに。でも聖は生きることを諦めたりはしなかった。生きることを諦めなかったから、そこにあった箒に手を伸ばして震える体を誤魔化して、戦って生き残ることを選択したのだ。

 そんな聖が死んでもいいなんて思うはずない。例えどれだけ不幸に見舞われても、それだけは絶対にありえない。聖の本質はそうじゃない。だからこそ天音の身体に湧き上がるのは、燃えるような怒りだった。

「許さないよ」

 焼けた地面に手をつく。立ち上がる。蹴りが入ったお腹が痛い。くの字に折れ曲がりそうな体を叱咤して体を起こし、精いっぱい聖を睨みつけた。

「それは聖の体で聖の命だ!身体も命も持たない穢れなんかが奪っていいものじゃない!」

 人格を食って心を食って、ついには命まで食おうとするのか。お互いに不幸を慰め合うためだけに、生きたいと願った聖の命まで持って行くのか。それは、それだけは許されない。

「だったらどうする。許せなくてもお前にどうこうできないだろう?」

 —————人間のくせに。

 炎が天音を笑うようにゆらゆらと揺れる。聖の体から漏れ出した黒いもやのような穢れもぐにゃぐにゃと形を変えていた。うん、物理的に触ることはできないかもしれない。けれど一つだけ、方法がある。

「ねえ聖―――――――神様はいるよ」

 ぴたり、と。天音をあざ笑うように動き回っていた黒い影が動きを止めた。反応していると踏んで、さらに言いつのる。

「優しくて臆病で、人を守るのが好きな神様は、ちゃんといるよ―――――みんなは出会えなかったかもしれないけど」

 それはいつかの公園で聖を、ひいては穢れの集合体を激昂させた言葉だった。炎の中で気が昂った穢れにとって、きっとこの言葉は逆鱗なのだ。誰にも助けられなかったという自意識がある穢れは神様を認めない。だから天音のこの言葉には。

「そうか、なら死ね。神を信じたまま死ね」

 聖の背後の影も周囲の炎も、一体となって天音に襲い掛かる。地獄のような業火だ。人の負の意識を寄せ集めた穢れは神の存在を否定する。逆鱗に触れられれば天音の息の根を、神の存在をほのめかす口を塞ごうと襲い掛かる。

 総力戦で天音に襲い掛かれば、結果として聖にほんの少しだけ、聖自身の自我が戻るのではないかと思った。確信はない。完全に博打だ。見ようによっては敵を煽って自滅を招いただけの言動と言っても過言ではない。でも。

「あっ………!」

 真っ赤な炎が目前に迫り、視界が赤く染まる。すべてがスローモーションに見えたが、その地獄のような業火の後ろでほんの聖が目を見開いたのが見えた。一切の感情を失ってしまった人形のようないつもの目ではなく、現状が把握できないという目。そうだ、聖は天音の突拍子もない行動にはこういう目を向ける子どもだった………昔から。

(よかった、今のうちに逃げてくれないかな)

 目の前に迫る炎を見ながら、不思議と天音は落ち着いていた。

(でも私がここで死んだら聖のトラウマになっちゃうかな)

 それとも天音自身が穢れの依り代になってしまうのだろうか。それは嫌だと思いながら、ろくに身動きもとれない天音は終わりの瞬間をせめて目を開けたまま待った。

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