第14話 炎に踊る龍②
山に近付くと顔が熱くなるくらいの熱を感じた。山のふもとでは村人総出のバケツリレーで火を消そうとしているが、火の勢いは弱まる気配がない。このままいけば村ごと燃えてしまうのも時間の問題の気がする。
「………それじゃあ、さっき言った通りに」
子どもがこんなところに来たら普通は大人に止められるが、今はそれどころではないため二人に気付く人さえいない。だから天音と風月は一度足を止めて、呼吸を整えるだけの余裕があった。
「うん。天音は燃える山の中に入るんだから、気を付けてね」
「それを言うなら火を消す風月の方が危ないよ!」
「………まあ、どっちも危険なことに変わりはないね」
今まさに燃え盛っている山の中に入るのは、危険と言うよりもはや自殺行為だ。それを分かっていても天音と風月は今、とんでもない無茶をしようとしていた。
「………絶対に無事でいてね」
「そりゃあもちろん。ねえ風月」
二人別々の方向に歩き出しながら、一度だけ振り返った天音が風月に手を振る。
「また明日!」
「………うん。また明日!」
明日への約束こそがお互いに生きて帰るという何よりの約束になる。だからそうやって挨拶をして、竹刀を持った天音と鎌を背負った風月は別の場所から山の中に入った。
「煙やばいなあ………」
竹刀を持って山に入った天音は、さっそく視界を覆う煙に視界を阻まれた。木が燃える匂いが鼻につく。どんどん息が苦しくなるような気がしたけれど、それでも進み続けた。理由は簡単、足を止めるわけにはいかないという意地だけだ。聖に伝えなくちゃいけないことがある、もう二度と諦められないという意地だけが、今の天音の体を死地で動かす原動力になっていた。
「聖!いるなら返事して!」
足元でちらちらと燃える炎の恐怖から逃れるために大声で叫んだ。 剣道の試合でも同じだ、声を出せば少しだけだが自分の気持ちを強く持つことができる。こんなところで彼の名前を呼んだところで届かないことは分かっている。それでも今の天音にできることは、足を止めずに名前を叫ぶことだけだ。
足を進めれば進めるほど、山を登れば登るほど―――――龍神池に近付けば近付くほど、どんどん火の勢いは強くなる。前まではここに来るだけで胸が躍ったのに、今のこの場所は一歩間違えれば死んでしまう安心できない場所になってしまった。それを残念だと思いながら、それでも進み続けて。
「聖………?」
—————燃え盛る炎の真ん中に立っている聖を見つけた。
天音の口からさっきまでの威勢のいい声とは違う、迷子になった子どものような頼りない声が漏れる。だってその立ち姿が、あまりにも歪だったから。この光景に不釣り合いで、不安になってしまったから。
聖は勢いよく燃え盛る自分の周りの炎も気にせず、タンクトップに半ズボンという適当な姿で立ち尽くしていた。そんな露出度の多い格好で、それなのに少しも火傷を負わず、明らかな異常事態の中にぼんやりとただ立っていた。それでも天音の声に気付いたのか、上空を見上げていた首が動いて天音の方に視線を向ける。
「………お前、あの時の」
「聖、そんなところにいたら危ないよ。こっちに来て」
ぎゅっと握った手に汗がにじむのを感じながら、竹刀を握り直す。こちらを向いた聖の目は天音をちゃんと認識しているのか心配になるくらいぼんやりとしたものだったが、言葉がちゃんと聞こえていることを祈りながら天音は続けた。
「探しに来たの。火傷しちゃうから早く逃げよう?」
「何言ってるんだお前」
聖はいたって普通の口調で天音に答える。それに合わせて、天音もできる限り落ち着いた声を出そうとした。心だけは負けないように、勇気を振り絞る。
「なんだよ、お前。なんでそんなことを言うためだけにここに来た?」
最低限の言葉で、自分の疑問を表現する聖。まるで放課後の立ち話のような、でもこの会話はすべて異常だ。狂っている。こんな炎の中で、今にも命を失ってしまいそうな状況で出せる声のトーンではない。覚悟を決めて腹を括って炎の中に飛び込んだ天音と違うのに、聖はいたって普通に会話を続けていること自体が、聖がおかしくなってしまったことの証左だろう。
「私は天音。伊達天音。ずっと前、聖と一緒に遊んだ聖の友達。今でも友達だと思ってる」
「だからどうした?お前のことは覚えてないって言っただろ」
「うん、聞いたよ。でも聖が覚えてなくても私は覚えてたから、こうして止めに来たの」
「………くだらない。友達だから止めに来たのか」
聖は果たして、余計なお世話だとでも言うように天音から顔をそむけてしまった。
友達だから止めに来た。それはもちろんその通りなんだけど、それ以上に。
「止める………うん、止めないと、約束守れないから」
「約束?」
火の中にいても火傷一つしない聖と違って、天音は何か不思議な力に守られていたりはしないのだ。早くも自分の髪が焦げていく嫌な匂いがするけれど、ここで逃げ出したらすべてが終わる。だから体が逃げ出さないように、足を踏ん張って精いっぱいの見栄で笑った。笑ってみせた。
「また遊ぼうって約束したから!」
一度そむけた目を天音に戻して、猫のように瞳を細めながら訝し気な口調で。
「山に火をつけた人間と遊ぶのか、お前」
聖の声で聖の体で、でもどこか聖のやったことを客観視したようなことを聖は—————『穢れ』は天音に語り掛ける。きっと聖と聖の心を蝕んでいるモノの境界線は曖昧なのだ。だから急に聖の意識が現れたり、自分のしたことを他人事のように言ったりもする。
「このままだと、村が火の海になるんだよ?酷いことをしてるって思わないの?」
今は『聖』よりも聖の体を依り代にする『穢れ』の意識の方が強いと判断して、天音は聖ではなくその体を奪ってしまった相手に質問をする。
「酷いことの何がいけないんだ?ひどい目に遭ったんだから、やり返したっていいだろう?」
「でもこの村の人は無関係の、」
言いかけて、どれくらい火が回ったか確認するために視線を動かした時、天音は燃え盛る炎の後ろに黒い影が揺らめいているのを見た。
(あれが穢れ………?)
人間とはかけ離れた陰惨な雰囲気を肌で感じることはあったけれど、実際に目視したのは初めてだった。赤い炎の後ろで黒い影がうごめいている。まるで痛みにもがいて苦しくて叫んでいるかのような、逃れられないと動く影。この世の理不尽に苦しめられたと嘆く、人から零れた負の感情。聖の放った炎そのものが集まる穢れの依り代になって 、仲間が欲しいと他の人を不幸にするために燃やす。燃やし尽くす。
(それでも穢れの依り代が聖なら、聖を気絶させたら穢れは無力化できるのかな?)
確信はないけれど、今の天音にできることはそれくらいしかない。 短く息を吐いて呼吸を整えて、竹刀を構えてから聖をじっと見つめた。
「そんな棒切れ一本で何をする気だ?」
「さっきも言ったけど、聖を止めるんだよ」
よく見れば聖の体の周りにもどろどろとまとわりつく黒い影はあった。聖の体が依り代だと言うならその通りなのだろう。こうして聖の体を使って人の不幸を増やそうとする。それなら、と天音は覚悟を決めるのだ。何回だって腹を括る。
「――――――無駄だよ」
炎がまるで意思を持っているかのようにぐらぐらと、天音の肌の表面を焦がすように揺らぐのを確認しながら。天音は相変わらず立っているだけの聖に向かって一歩足を踏み出した。
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