第13話 炎に踊る龍①

「絶対に助ける」、強い決意と裏腹に、結局次の日も聖を見つけることはできなかった。孤児院のおばさんに聖が行きそうな場所を教えてもらったのに、捜索は相変わらず難航する一方だ。小さな村のはずなのに、ここまで見つからない意味が分からない。

「………天音、元気出しなよ」

「………元気だよ」

「はいはい、空元気」

 軽く風月にいなされてしまうくらいに天音は絶不調だった。元気だと答える声さえも地獄の底から響くくらいに低い声なのだから、もう絶不調を隠すことさえできていないということは本人が一番よく分かっているのだけれど。

「空元気でも出さないよりましじゃん!だって明日になったら!」

 言葉に詰まる。口に出したくはないけれど現実は残酷だ。明日になったら慧は完全な龍に戻って、そして聖を食べてしまうのだ。————聖も慧も傷つく結末だけは、なんとしてでも回避しないと。

「でも今日はもう日が暮れちゃったし、危ないから探せないよ」

「分かってる………けどさ、」

 なお言いつのろうとする天音を片手で制して、風月は座っていたベンチから立ち上がりながら笑った。

「もしかしたら、明日の朝ぎりぎりで見つかるかもしれないし。今日はもう家に帰って休まないと、天音も疲れちゃうよ」

「うん………」

 天音が勝手に言い出して、言ってしまえば風月を巻き込んでいるのに、巻き込まれた側の風月はずっと天音に付き合ってくれている。疲れるというなら天音より暑苦しい格好で炎天下の中を歩き回らなきゃいけない風月の方が疲れるのは分かるのに、なんていう優しい友達だろう。

「じゃあね、風月。また明日」

 せめてものお礼に、今の自分ができる精一杯の笑顔を向けた天音。名残惜しそうに手を振る風月に背を向けて、自分の家に向かって歩き出す。

 風月は天音を安心させようと「また明日」なんて言ってくれたけれど、はっきり言って明日聖が見つかる可能性がほとんどないことくらい、天音も分かっていた。それでも天音は思ってしまうのだ。———―まだ聖は誰も傷つけていない。

 穢れの依り代になって自分自身の人格を失っても、邪な感情で心がいっぱいになっても、まだ誰も傷つけていない。小さな村だ、聖の手で誰かが傷つけられたらすぐに話題になるはずだ。それなのにそんな話は聞かない。ならばきっとまだ望みはあるはずだと信じる。今の天音には信じることしかできない。



「おかえり、天音」

 祖父の声に曖昧な返事をして、自分に与えられた部屋にゆらゆらとたどりついた天音は、今日も背負っていた竹刀を布団の脇に置いた直後、布団に飛び込んだ。

「………疲れた」

 パジャマにも着替えず、手も洗わず、ご飯も食べず、髪もほどかず。お行儀が悪いことは分かっているけど、そうせずにはいられない。歩き回って疲れたこともあるけれど、早く見つけないとと焦る気持ちのせいでなんだか心まで疲れてしまった。実際、天音はこの二日間ろくに眠れていない。

(寝ちゃだめだ………寝ちゃ………)

 ご飯も食べずに寝てしまえばじいちゃんに心配をかけてしまう。そうだ、じいちゃんにこの村の中で人が一人隠れることができそうな場所がないか聞こうと思ったのに。時間を無駄にしないようにしないといけないのだ、寝ている場合じゃないのに。そう思いながらも天音は、まどろみながら眠りに落ちた。



 ―――――ああ、これは夢だ。

 頭のどこかで理解している。夢と分かりながら覚めない夢を、明晰夢というらしい。それならこれは間違いなく明晰夢だ、と夢の中の天音は思う。

 天音は風月と並んで、何度も足を運んだ竜神池のほとりに座っていた。森の中なのに、龍神池の上には頭上にはぽっかりと木がない。だから二人の上空には宝石を散りばめたような星が夜空に煌めいていて、それらが鏡のように澄んだ池の表面に映り込んでいた。もちろん現実の龍神池はこんなに澄み切っていないし、日本の空にこんなにたくさんの一等星が光ることもない。

 だからこれは夢なのだ。どういうわけか天音の横には幼い、出会った時のままの姿の聖がいた。というか、天音も風月も幼くなっていた。聖のことや緑のことを考えすぎてついに夢にまで見てしまうなんて。

(これは夢だから………本当は聖を探さなきゃいけないのになあ………)

 頭の片隅ではやらなきゃいけないことを考えているのに、無理やり目を開ける気にはどうしてもなれなかった。夢の中でもいいから、今はこんなに綺麗な星を三人で見上げていたかった。

 けれど、空の星を映し出すだけだった視界に違うものが飛び込んできて、天音は目を疑った。空にうねりながら登っていく光が見えた。星と星の間を裂くように。

(龍だ………慧だ)

 遠目ではシルエットしか見えなかったけれど、空飛ぶ龍が慧だという確信があった。龍になった慧なんて一度も見たことがないけれど。

(でもなんで燃えてるんだろう)

 まるで隕石のように赤く燃えながら、星と一緒にきらきらと光りながら、夜空を飛ぶ龍は美しくて幻想的で。一枚の絵画のようで、ずっと見ていたいと思ってしまった。それなのに。

「天音!」

 誰かが天音の名前を呼ぶ声がした。ぐらぐらと視界が揺れる。きっと天音を起こそうと誰かが天音の体を揺さぶっているのだ。

 —————起こさないでほしい。私はこの光景をずっと見ていたい。

 そう思っているのに、声の主は名前を呼び続ける。

「天音!!天音、起きて、天音!」

(………風月?)

 名前を呼ぶ声は風月のもののような気がした。そんな気がしてしまうといてもたってもいられなくなり、幼い天音は「まだ眠っていたい」なんて意識に関係なく立ち上がる。足を動かす。龍神池と、慧と風月に背を向けて、暗い山の中に。そして。

 天音はゆっくりと目を開けた。



「天音!」

「………風月?なんでこんなところにいるの………?」

 ゆっくりと目を開けると、天音の体を必死に揺すっていたのは相変わらず黒いフードを目深にかぶった風月だった。寝起きのぼうっとした頭では、当然のように風月が天音の家にいて天音を叩き起こした理由が分からない。頭の上にクエスチョンマークを量産しながら眠い目をこする天音を見て、風月は声を張り上げる。

「しっかりして、しゃっきり起きて!今はもう夜だし、それより村が大変なことになってるんだから!」

「………ん?」

 それでようやく頭がはっきりとしてきた天音が、枕元の時計に手を伸ばして時間を確認してみると、時計は十一時半を指していた。つまり天音はあのまま布団に倒れこんで、ぐっすりと夜まで寝ていたようだ。しかし相変わらず、風月がここにいる理由やこんなに焦っている理由も分からない。だから天音はもう一度疑問を口にする。

「何が起きたの、風月?」

「―――――山が燃えてるの!」

「えっ!?」

 張り上げられた風月のいっそ悲壮な声で、一瞬にしての眠気は吹き飛んだ。幸い外に出れる服装のままだったので、そのまま布団をはねのけて裸足で庭に飛び出した。

「ほんとだ………」

 田舎の夜は暗い。だからこそ炎がはっきりと見えた。龍神池のある山の中腹が燃えてそこだけ赤く照らされてい。飛び散る火の粉が風に舞い、木が燃える匂いがあたりに漂っていた。

「消せないの!?」

「村の人が消火しようとしてるけど消防車もなければ消火栓もないの!だから手こずってる!一番近い街から消防車を呼んでたら村ごと燃えるよ!」

「………聖、なの?」

 事態の深刻さを理解して、恐る恐る尋ねた天音の言葉に風月は残酷にも頷いた。

「たぶんそう。っていうか絶対にそう。聖が山に放火したんだと思う」

 嘘であってほしいと願うような、頼りない声量だ。風月らしくない。

「ずっと見つからなかったのはきっと山の中にいたからだと思う。………私たち、慧の池に行かなくなってから、あの山に行かなかったでしょ?私たちくらいしかあの山に入る人はいなかったから、きっと聖はずっとそこにいたんだと思う」

 それは盲点だった。天音達しか気付けない場所に聖はずっといた。

「………ただ火をつけただけにしては炎が回るのが早いから、もしかしたら山の中で準備してたのかもしれない」

 ―――――村を燃やし尽くす準備をしていた。

 絶句する天音と違って、風月は嫌になるくらい冷静だ。それが逆に頼もしくもある。

「………聖じゃなくて穢れだ」

 聖はただの依り代だ。山を燃やしたかったのはきっと穢れだ。小さな村だ、あの山が燃やされてしまえば現状から分かる通り、消火には大変な時間がかかる。このままでは家を焼け出される村人も出てしまう。不幸になる人もいるだろう。穢れが穢れを呼ぼうとしている。

「そんなのって、どうすれば」

 自分の声が震えるのを止めることができなかった。言ってしまえばカッターナイフを突きつける程度はかわいいもので、あんな炎に、むきだしの悪意にどうやって対処すればいいというんだ。山が燃え上がる恐怖。いつ自分にも火が襲いくるか分からない恐怖。指先が震えているのが自分でも分かる。怖い。

 —————それでも。それでもなお。

「………止めよう」

 ゆっくりと深呼吸して手の震えを落ち着ける。自分のつばを飲み込む音がやけに響いた。自分が向き合おうとしている悪意の大きさを実感して足がすくんでしょうがないが、ここで逃げ出すわけにはいかない。誰よりも天音が逃げることはできない。

「聖を止めよう。これ以上誰かを不幸にさせるわけにはいかない」

「………天音ならそう言うと思った。あたしはもちろん賛成だよ」

 天音の答えを予想していたのか、風月は特に驚いた様子もなくにこりと笑った。

「風月は怖くないの?」

「覚悟なら天音が寝てる間に済ませてきたよ」

 ひょいと肩をすくめた風月の返事には天音をからかうような響きがあった。

「こんなに外が大騒ぎなのに寝続けれたのに自分でもびっくりしてるよ………」

「はいはい。それよりも早く行くよ」

「………どこに?」

 自分の部屋に一度戻って、布団のわきに置きっぱなしにしていた竹刀袋を背負い直す天音。幸い私服のまま寝ていたから、身支度に時間をかけなくてもいい。

「天音は聖のところに行って。頂上にいたら自分が逃げれなくなるから、きっと山の下の方にいると思う」

「風月はどうするの?」

「あたしは火を消す。聖を止めても村が焼けたら意味ないからね」

 なんてことないように言ってみせる風月。いや村の大人が数人がかりで消そうとしていまだに消せない火を消すなんて、何を言っているんだろうとその伏せられた顔を見ようとして―――――天音はその時ようやく気が付いた。

 風月がまるで当たり前のように背負っている、およそ尋常じゃないものに。

「風月、それ何………鎌………?」

 一度気付いてしまえば、どうして今まで気付かなかったのか自分の目の性能を疑いたくなる ほどの異物だった。風月が背負っている物は、風月の身長と同じくらいの大鎌だ。死神が鎌で魂を集めるなんてどこかで聞いたような伝承だが、とにかく風月はまさに死神にふさわしい大鎌を持って、当たり前のような顔で立っていた。

「父さんが家を出る時に置いて行ったの。正真正銘、『死神の鎌』」

「え、なんでそれ………?」

「人間じゃないモノが放った火なら、同じ人間じゃないモノが持ってたモノの方が相性がいいのかなって思ってさ。持ってきた」

「いやそうじゃなくて!」

 風月は自分が異端だと示す死神から譲り受けた寿命を見る青い目も、必死に隠して生きてきたはずだ。天音だって風月と村を歩いている時に彼女に向けられる村人の冷たい目には何度も遭遇した。いま、こんなに目立つ物を持って村人全員が 集まる燃える山に行けば、どんな目で見られるのかは火を見るより明らかで。

「そんなもの使って、村の人に怖がられないの………?」

「怖がられるだろうね。うん、それはちょっと嫌かも」

 そう言いながらも、風月は言葉を続けた。

「………でも私、両親を恨んだことは一回もないよ。死神の娘なんかに生まれなきゃよかったって思ったことも………一回くらいはあるかもしれないけど、そんなに気にしたことないよ」

 風月の母親は心を病んで、父親は鎌だけ置いて疾走して、風月自身も望まない能力に翻弄されて、それでもちっとも恨んでいないと風月は言う。

「好きだったんだって。一緒になりたいって思ったから結婚して、私が生まれたってお母さんがまだ元気だった頃に言ってた。だから私は死神の娘であることを恥ずかしいって思ったことは一回もない」

「………そっか。そうだったんだね」

 言葉がすとんと腑に落ちた。だから風月は自分の出生の誇りをかけて、今ここで逃げることもできずに火に呑まれかけている母親も、普段自分のことを遠巻きに見つめる村人も助けるために、こんなに大きな鎌を背負ってここまで走ってきたのだ。

「天音が竹刀を持つように、あたしの武器はこの鎌なの。だってあたしは死神の娘、なんだから」

「………いまの風月、めっちゃかっこいいよ」

「それはどうも。あ、でも私、天音に謝らなきゃいけないことがある」

 そう言って。どたばたと足音を立てながら廊下を歩いて、玄関で脱ぎ捨てたままだった靴に足を入れながら、風月が一瞬動きを止める。死神の鎌を背負ったおよそ人間には見えない青い瞳の少女は、まるで人間のように居心地の悪そうな顔をした。

「天音のじいちゃんいなかったから、勝手に家入っちゃった………ごめん、不法侵入になっちゃうかな」

「………………」

 そんなことよりもっと気にするところがある気がするけれど、あえて口を閉ざすという判断をした天音の判断はきっと正しい。はずだ。

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