第12話 覚悟は鮮烈に③
聖にとり憑いてしまった穢れを祓う方法なんて天音も風月も知らないが、「とにかく聖を見つけないとね」という風月の提案に天音はそれもそうだと頷いた。そのため二人は昨日に引き続き、刺すような日差しの下、聖を探してあてどなく歩き回る。しかし。
「影も形もないね………?」
すれ違うのは農作業着のおじさんおばさんばかり。そもそも天音と風月と同じような年齢の人間が見当たらない。小さい村だからすぐに見つかると思ったのに、考えが甘かったようだ。
「………ごめんね風月、暑いよね」
「平気」
涼しい服装で出歩ける天音とは違い、風月は常に黒いパーカーのフードを目深にかぶらなければならないのだ。天音から伏せられた顔を覗き込むことはしなかったが、フードの隙間から覗く頬が少し赤くなっているような気がする。
「大丈夫だよ、天音」
心配そうな天音の視線に気付いた風月は、もう一度しっかりとした声で言う。額を流れる汗を鬱陶しそうに拭いながら、それでも歩く足を止めようとはしなかった。
「私は全然大丈夫。けど早く聖を見つけないと………天音、心当たりのある場所とかないの?」
「心当たり?」
「うん。聖と遊んだことがあるのは天音だけでしょ?よく遊んだ場所とか………」
「よく遊んだ場所………うーん、すっごく昔のことだからなあ」
昨日も聖と出会った公園には行ってみたけれど、そこに聖はいなかった。昔のことすぎて記憶もおぼろげだ。そもそも遊んでる時は聖の細かい事情なんて知らなかったので、今天音が知っている聖の情報はすべて後になってじいちゃんから聞いたことで—————。
「………孤児院に行ってみようか」
そうだ。確か聖は、この小さな村の中にある孤児院にいる子どもだった。
「ああ、なるほどね。うん、私が案内するよ」
「風月、場所わかるの?」
「小さい村だからね。孤児院っていうか、ほぼ幼稚園みたいな所だし」
そういうわけで風月に案内され、こうしてこの村の中で孤児院と言うならここだろう、という場所に辿り着いた。
「あの、すいません………ちょっといいですか?」
朝と違って一回だけインターホンを押して落ち着いた声で呼びかける天音と、そんな彼女を「私の家の玄関のインターホンもそれくらいおとなしく押してくれないかな?」という目で見る風月。あの時は焦っていたし、相手が風月だったのだから許してほしいと思う天音。目を逸らす天音と目は合わせないながらも無言の圧力をかける風月。
「はい、どちら様ですか?」
そんな二人の冷戦の最中、扉を開けて現れたのは白髪まじりのおばさんだった。人懐っこいかわいらしい笑顔が印象的だ。
「えーっと………聖くんのことを聞きたくて、その、私たちは聖くんの友達で、最近連絡が取れなくて………」
「聖?」
天音が口にした名前を繰り返して、おばさんはじっと天音を————特に着ていた剣道の練習着を訝しげに見つめた。そして不意に目を丸くして、一つ手を叩いた。
「もしかしてあなた、伊達天音ちゃん?」
「えっ、そうですけど………どうして私のことを知っているんですか?」
「あら、ふふ」
急に名前を呼ばれた天音が状況を把握できていないのに、おばさんは口元に手を当ててなんだか嬉しそうに、内緒話をする少女みたいに笑うのだ。
「天音、施設長さんと知り合いなの?」
「いや………覚えてないなあ」
「覚えてなくて当然よ。私、天音ちゃんと会ったことはないもの」
そう言いながらも悪戯っ子のような笑みを崩さないおばさん。
「でもね、普段はあんまり喋らない聖が、あなたことだけはよく話していたの」
「私の話………?」
「まだあの子がここにいた、小さい頃の話だけどね?」
それでもあなたの名前はよく覚えているよ、と懐かしそうに目を細める。
「聖はここにいた子達の中でも特に気難しい子でね。でもある日、ここに帰ってくるなり私に『友達ができたんだ!』って伝えてきたの」
友達。公園でいきなり遊ぼうと声をかけた天音のことを、聖は友達だと思ってくれていたのだ。周りの人に伝えたいくらい特別で嬉しいことだと思ってくれていたのだ。そうやって人から聞けたことが嬉しくて思わず表情が緩む。
「天音、モテモテじゃん」
「うるさいよ風月」
隣で風月が(たぶんおそらくきっと)すごく面白そうな顔をしているだろうな、と思うだけに、意思に反してにやけた顔を無理やり引き締める天音。そんな二人を微笑ましそうに見つめながら、おばさんは話を続ける。
「それからずっと天音ちゃんの話ばっかり。剣道を教えてもらった話とか、一緒に遊んだ話とか」
「………剣道、教えたの?」
風月に聞かれて思い返す。いや、思い出そうとしたけれど、ぼんやりとした記憶しか蘇ってこなかった。
「………言われてみれば、確かに?そういえば?教えたような気がする………けど」
言われればなんとなく思い出すのに、言われないと思い出せなかった。いまいちぴんときていない天音の表情を見てため息をつく風月。
「前から思ってたけど、天音の記憶ってけっこう怪しいよね?そんな記憶力でよくここまで生きてこられたよ」
「何も言い返せない………」
ぐうっと唇を噛んで俯く天音。小さい頃の記憶ということもあるけれど、これでは聖に話しかけても聖の方が天音と遊んだ記憶をちゃんと覚えていたかもしれない。
「それで、あなたたちは聖のお友達かしら?」
「ああ、えっとそうです………聖くんに話したいことがあって探してるんですけど」
「………そう」
小さな声で呟いてから、おばさんは俯く。さっきまでの楽しそうな表情が拭いとったように消え失せてしまっていた。
「ごめんなさいね。私もあの子が今、どこにいるか分からないの」
「えっ、」
それなら聖はどこにいるのか、という天音と風月の疑問に気付いたのか、おばさんは悲しそうな顔を隠さないまま顔を上げて、口を開いた。
「聖が小学一年生になった時、聖のことを養子にもらってくれるっていう人が来てね。聖本人は村に残りたいって乗り気じゃなかったけど、いい機会だからって私が勧めて村を出ることになったの。でもね」
聖の居場所を聞きたいという質問に対して、少し的外れにも思える回答だ。でもきっと何か意味がある話なのだと直感して、天音と風月は話の続きを待つ。
「でもねあんなことになるなら、行かせなければよかったって思っちゃうのよ」
「………あんなこと?」
泣き笑いのような表情を浮かべるおばさんは、首を傾げた天音の問いかけに目頭を押さえながら続ける。
「聖を引き取った家は裕福な家で、十分に聖を養っていけてた………聖もたまに『上手くやれてる』って連絡をくれてたのよ、あの日まで」
「………?」
あの日まで。含みのある言い方に疑問を感じている間にも話は続く。
「中学一年生の頃、聖の引き取られてた家に強盗が入ったの」
—————ぎゅっと強く、目をつむった。目をつむったからって聖が直面した現実がひっくり返るわけではないと分かっている。それでも目を逸らしたいし、思わずにはいられない。
「神様、どうして」なんて、ありふれた言葉を。
「そのとき家にいたのは聖と義母だけだった。———―聖の目の前で、母親は強盗に刺されて、そのまま亡くなったの」
さっきまで優しい光を灯していたいたおばさんの目は、まるで冷えた池の底のようだと思った。今の天音たちと同じように、どうすることもできない現実がやるせないとでも言うように。
「次に強盗は聖を狙った」
言葉と同時に、直接見たわけでもない景色が頭に浮かぶ。広い家の中を逃げ回る少年と追いかける大人。中学一年生とはいえまだ子どもだ。刃物をもった強盗に太刀打ちできるはずがない。
「でも聖は生き残った。たまたまあった箒を使って、強盗を追い払ったらしいの」
聖の命は助かった。けれど妻を失った聖の義父は、ショックでアルコール依存症になってしまったという。その結果、聖に暴力を振るうようになり、やがて聖は役所に保護された。そして町の孤児院に引き取られたがそこでまた問題を起こし、この田舎の孤児院につい先日、戻ってきた。そう言っておばさんは、口を閉じた。
(それが………穢れを背負った原因………?)
母の命を奪った大人に、傷ついた聖を守ってくれなかった義父に、どうすることもできない不条理な現実に、聖を振り回したすべての運命に、歯を食いしばりながら無駄だと知りながら、それでも憎まずにはいられなかった聖の感情が溢れてしまった。そんな負の感情が穢れとなり、周囲に散っていたはずの他人の穢れを呼んだ。
「たくさん辛い思いをしすぎたせいね………あの子、ここに帰ってきてからまるで人が変わっちゃったみたいなの」
まるで感情が硬直してしまったようだとおばさんは言う。それもそうだ、今の聖にはほぼ人格なんて存在しないようなものだ。慧の言葉をそのまま借りれば、穢れの依り代になってしまっているのだから。
「でも天音ちゃん………私、あなたにお礼を言いたかったの」
「………私ですか?」
おばさんの熱を持った両手が、だらりと下げたままだった天音の手を掴んだ。今まで耐えていた涙がぽろぽろとおばさんの綺麗な瞳から零れる。
「あなたは聖の命の恩人なの。聖が生き延びれたのは、あなたに剣道を教えてもらったからよ。あなたが一人ぼっちで講演にいた聖に声をかけてくれたから、聖は今生きてる………生きていれば何度でもやり直せる」
おばさんは涙に濡れた顔で、それでも無理やり笑顔を作った。
「だから………ごめんなさい、あなたならもしかして、今の聖も助けてくれるんじゃないかって思って………」
思ったから、おばさんは初めて会う天音にここまで聖のことを話してくれたのだ。それを正しく理解して、握られた手を振り払うこともできない天音は、おばさんの必死の泣き顔から目を逸らすことができなかった。
「そんなのは、私、」
期待されても応えられる気はまったくしない。助けられるはずはない。でも天音のぼやけた記憶の中で、頭をよぎって離れない光景がある。町に帰るための電車に乗ろうとした、天音の背中に向かって見送りに来ていたまだ幼い聖が叫んだのだ。
『俺、絶対天音を忘れないから!剣道、まあだ天音に叶わないけど、いつか勝てるようになって守れるようになるから!』
速度を上げる電車をホームのぎりぎりまで追いかけながら、聖は手を振る。
『だからまた遊ぼう!』
—————その約束は、結局果たされることはなかったのだけど。
「………違いますよ、私なんかが………」
そこまで言葉にすることが限界だった。天音の頬をぼたぼたと大粒の涙がつたう。
「聖は………!ここから出て行っても、剣道を続けてて、」
忘れないように繰り返し、練習を続けていたのだ。聞いていなくてもちゃんと分かる。そうじゃなければ何年も前にまだ子どもだった天音に教わっただけの付け焼刃な剣道で、強盗を追い払えるわけはないのだ。どこかで全部忘れて目を背けた天音と違って聖は忘れないように繰り返して、だからその必死の思いが彼の命を守った。
「聖やっぱり馬鹿だ………でも私の方が馬鹿だっ………」
天音は忘れていたのに。聖のことも、この田舎のことも、剣道のことも。全部見なかったことにして、そうやって器用に生きてきたつもりだったのに。聖はそんな天音の思いなんてきっと気付かずにいたんだろう。
「………馬鹿は馬鹿でも、馬鹿正直の方だね」
涙をこらえるために丸まった背中を軽く叩いて落ち着かせてくれながら、風月が優しい口調で声をかける。いいえて妙だけど、その通りとも言える。
「でも結局、天音も聖も似たもの同士だと思うよ。馬鹿正直で—————羨ましい」
「うぐうっ………」
「あらあら、ほら涙拭いてちょうだい?ごめんなさいね、無理言って」
「違います………わたしがぜったい助けます………」
「それなら早く泣き止んでね、ほら」
天音とおばさんになだめられながら、それでも天音は聖を助けることを諦めてはいなかった。だって天音の知らないところで、天音のことをずっと思い続けてくれた人がいた。それが嬉しくて、でもあまりにも切なくて、絶対に助けたいなんて気持ちが先走って、結局天音が泣き止んだのは日がすっかり傾いた頃だった。
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