第11話 覚悟は鮮烈に②
「風月!」
サンダルをつっかけて着ていた稽古着のまま走る。跳ねた土が裾を汚している気がするけれどそんなことはどうでもいい。息を切らして駆け込んだ家の玄関前で叫んで、ついでにインターホンを連打した。
「うわ、何っ!?」
引き戸を開けて姿を現した風月が珍しく驚いた様子をあらわにする。その動揺を誘ったのが不自然なくらい息を切らした天音だったのか、借金の取り立てもかくやと鳴らされたインターホンだったのかは分からないが、風月はきっちりとした性格なので自分の疑問を動揺しながらも口に出してくれた。
「えっ、天音?どうしたのその格好?」
思えば、風月の悲鳴を聞いたのはこれが初めてのような気がする。そんなに驚かせてしまったかな、と少し反省しながらも、現れた風月の肩をがしりと掴んだ。
「どうしても風月に話したいことがあっておじいちゃんに家の場所聞いて走ってきたの!」
これだけ仲良く遊んでいながら、天音は風月の家を知らなかったのだ。息を荒げながら一息で言い切った天音を見て、出迎えてくれた風月は相変わらずフードをかぶったまま目を白黒させている。
「あのね、どうしても話したいことがあるの!どうしても!」
「………とにかく入りなよ」
ともかく天音を落ち着かせるつもりで家にあげようとした風月の判断は正しい。自分の覚悟と走ったせいで上がった心拍では話したいこともまともに話せない。
「え、いいの?」
「立ち話する方が変だよ。ほら」
横開きの扉を手で押さえながら、風月が少し体を斜めにして自分の家の中に天音を招き入れた。
「急にお邪魔しちゃってなんか悪いなあ」
「なんにもないけど話すくらいならできるから気にしないで」
風月の家も天音の祖父の家と同じような構造の日本家屋だった。少しだけ天音の家よりこじんまりとしていて、なおかつ新しいような気がするけれど目立った違いはあまりない。だから特に緊張もせずに板張りの廊下を歩く風月の後について進んでいれば、風月は途中で適当な和室の障子を開けた。
「こっちね」
「うん」
中に入るように促す風月の肩越し、縁側の部分に安楽椅子に座った女の人がいるのが見えて、天音は部屋に入りかけた足を止めた。
「………?」
「ああ、うん、気になるよね」
年齢的には風月のお母さんだろう。けれど何かがおかしい。娘が友達をつれてきたのになんの反応もしないのだ。あえて無視しているという風もなく、まるで天音の存在にも風月の存在にも気付いていないというように、ただ庭を見て何かを囁いている。風にさえかき消されような小さな声が、足を止めた天音の耳にもかろうじて届いた。
「お母さん、風月だよ。友達が来たよ」
風月は女性の前にしゃがみ、優しく話しかけた。やっぱり彼女は風月のお母さんなのだ、けれど目の前で娘が話しかけているのになんの反応も返ってこない。どこを見ているかも分からないぼんやりとした目の焦点が風月に結ばれることもない。
「友達、天音だよ。あ・ま・ね」
一言ずつ区切るように言っても無反応。とどのつまりこれは。
「………お母さん、病気なんだ」
天音の方を振り返らずに風月は呟いた。返す言葉を探す天音を置いて、淡々と言葉を続ける。
「あたしとお母さん、小さい頃は都会に住んでたんだ。でもそこで………ほら、私は見た目も人とは違うから。目のことで色々と言われちゃってさ」
困っちゃうよね、と平坦な声で続けた風月が今どんな表情をしているのか、天音は見ることができない。それでもあえて語らなかった風月の母の結末はなんとなく予想がついてしまった。風月のお母さんはきっと町での生活で磨耗して精神を病んだのだ。だからこんな田舎まで逃げてきた。つまりはそういうことなのだろう。
「………大変だったね」
そんな簡単な言葉で済ませたくない。けれどそれ以外の言葉が出てこない。風月が家族と笑って過ごせるはずだった時間が、生活のどこかで澱のように積み重なった言葉で壊れてしまった。風月たちの平和な日常を壊してやろうなんて気持ちは加害者側にもきっとなく、それでも単純な事実として、一人の人間の一生を同じ人間が壊してしまった。
「………気にしないでよ。天音のせいじゃないし、私も気にしないようにしてるから」
風月はもうわざとらしいくらい感情を殺した声でそう言って、こちらに目を向けない母親の目から隠すように天音を部屋の中に押し込んだ。
「それで話したいことって?」
「あ、うん。あのね、風月」
ちゃぶ台を挟んで風月と向かい合い、稽古着の天音はきちんと正座をして顔を上げた。この前は動揺してしゃがみこんでしまった。誰の顔もまともに見れなかった。同じ失敗はもうしない。正面から風月の伏せられた顔を見つめた。
「やっぱり私、聖が死ぬのは嫌だよ」
「うん、知ってる」
「しょうがないことだって諦めたくない」
「うん」
「でも慧を追い詰めたくもない」
池の中とは違って今の風月は俯いてるせいで表情が分からない。でもため息とともに「わがまま」と言葉が漏れたのは聞こえた。わがままなのは天音ももちろん知っている。
「だから助けたい。私が助けたい。聖も慧も傷つかないように、無茶なことをしたい。私の言葉を、届けたい。だから風月に手伝ってほしい」
言ってしまえば胸に渦巻いていた行き場のない感情が落ち着くのがわかる。
「………それさ、神様にもできないことを天音がやってみせるってこと?」
「うん」
風月の要約は正しい。神様が無理だと匙を投げたことをどうこうできるなんて、傲慢なことも無謀なこともわかっているけれど、それがどうしたと言ってしまいたい気分なのだ。
「だって私は人間で、まだ子どもだから」
聞き分けのいいふりをするのはもっと後でもいいだろうと天音が笑えば、呆れたように風月がフードに隠された頭を抱えた。
「いきなり何をしにきたのかと思ったらそんなこと?天音のこともっと賢いと思ってたけど、正真正銘、考えなしのお馬鹿じゃん」
けれど。そう言った風月の口元が笑顔の形を作っていることに気が付いたから、天音も笑った。
「ほら、類は友を呼ぶって言うじゃん?」
「屁理屈」
ばさりと切り捨てたくせに、風月は天音を見捨てるかはやっぱりさらさらないようで。
「でもあたしにできることは手伝うよ」
正面から目を合わせることができなくても、その言葉があれば十分だとやっぱり天音は嬉しそうに笑うのだった。
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