第3話 青の死神少女②

「じいちゃん、風月って子、知ってる?」

「あぁ、もちろん知ってる」

 次の日の昼頃。和室に置かれたちゃぶ台で、じいちゃんと向かい合って昼食を食べながら、天音はじいちゃんに昨日の少女のことについて聞いてみた。ちなみに今日のメニューは焼きそばだ。作ってくれたのはじいちゃんで、なんだか素朴な味がした。

「確か村の入り口の方に家があったと思うぞ、会ったのか?」

「うん。なんか変わった子だったよ」

「そうだろうなあ」

 急に感情をあらわにした風月のことを考えて、天音が変わった子と形容すれば、おじいちゃんはさも分かりきったことという風に頷いた。それがなんだか気になって、天音はひょいと首を傾げた。

「変わった子だったけど………何か理由でもあるの?」

「ああ、そうか。天音は知らなかったな」

 じいちゃんは焼きそばを食べながら、やはりさも当然のような口調で話し始めた。

「天音に高名な武士の血が、六分の一だけ入っているように………」

「ごめん、じいちゃん。その話は後にして」

「いや、そうじゃなくて」

 てっきりまた道場を継ぐ話になるのかと思ったのだが、どうやら違うらしい。天音が口を閉じたのを確認して、また祖父は続きを話し出す。

「そう………天音と同じように、風月には死神の血が二分の一混ざっているんだ。

 だからほんの少しだけ、普通の人間とは違うんだ」

「ふ~ん………」

 なるほど、と頷きかけた天音の首が、中途半端な角度のまま固まった。じいちゃんの言葉を咀嚼して、思いっきり顔を上げて叫ぶ。

「死神の血が二分の一!?お父さんかお母さんが、死神ってこと!?」

 天音の少し遅い認識に、じいちゃんがため息をつく。

「相変わらず天音は少し鈍感だなあ。

 風月の父親は、死神だ。母は普通の人間で、今でもこの村に住んでいるけれど、父親の方は………まあ、誰かの魂を集めてるんだろうな」

 まるで天気の話をするような普通の口調で話し終わると、おじいちゃんは再び黙々と焼きそばを食べ始めた。一方の天音は話の内容に少し驚いてしまったものの、なんとか風月が死神の娘というありえない話を自分なりに咀嚼する。

 田舎にありがちなことだけれど、きっと噂に尾ひれがついたんだと、思うことにした。というか、それ以外考えられない。死神なんて、そんな非現実的なことを信じているなんて、さすがは田舎。そんな噂をたてられるなんて、風月もかわいそうに。あんな風にぐれてしまうのも分かる、と思うと同時に、根も葉もない噂を信じる祖父に少しだけ腹が立った。

「おじいちゃん、そんなこと言ったら風月ちゃんがかわいそうだよ」

「いや………本当のことなんだ。少なからず、あの子も死神の力を受け継いでいるらしくてな。だから見た目も少し違うらしい」

「らしいって………」

「あの子は人の前に出てこないから、じいちゃんも見たことないけどなあ」

 どうやら田舎で信じられている噂の根は深いらしい、と判断して、天音も焼きそばを食べる作業に戻った。見たことはないけれどさも当たり前のように信じれるなんておかしと思ったけど、いくら言ってもじいちゃんの常識は変わりそうになかったので諦めたのだ。

 おじいちゃんの話も田舎の常識も、天音にとって変な風習や言い伝えを信じるつもりはまったくなかった。少なくとも、この時の天音は。………そのはずだった。

「ごちそうさまでした。」

 きちんと両手を合わせて、昼食を終えたちょうどその時、遠くで雷の音が聞こえてきた。おじいちゃんが慌てて立ち上がって、縁側から空を見上げる。

「夕立がきそうだ………天音、洗濯物を入れるぞ」

「はーい」

 元気に答えて、サンダルを履いて庭に出る天音。空は黒く曇っていて、夕立の前に特有の湿ったにおいがした。そしておじいちゃんの予想通り、空がぴかりと光って。

「うわっ、雷!!」

 おもわず叫んだ。その瞬間。天音は信じられないものを見た。雷が地面から空へと、上がっていったのだ。

「えっ!?」

 雷が落ちる、のではなく、上がった。どう見ても見間違いじゃない。黒い雲から雷が落ちてきたのではなく、雲に隠されそうな山の隙間から稲光が雲に向かって上がっていった。そんなことは絶対に、常識的に、間違いなく、ありえない。気象現象として不自然だ。

「じいちゃん、じいちゃん!なんか、なんか、雷が上がってるけど!?」

「は?そんなこと普通だろ?そんなことより早く洗濯物を入れてくれ、天音」

「そんなこと!?」

 絶対にそんなことではないはずだ。少なくとも天音の常識では、こんな現象はありえない。それなのに祖父はこの異常な気象よりも、洗濯物が濡れる心配をしていた。

 上昇する稲光はもちろんのこと、祖父の対応の方が不可思議で怖い。

「嘘でしょ!?」

 こんなことがあっていいわけない。軽く眩暈を感じる天音。しかし祖父の反応を見る限り、この場所では上がっていく雷は日常的なものらしい。

(だめだ。おじいちゃんは全然分かってくれない)

 当たり前みたいに信じられているおじいちゃんの常識を、天音の常識は覆すことができない。天音はどうにも釈然としない気持ちを抱えながら、おとなしく言われた通りに洗濯物を取り込むことにした。

 そのまた次の日、道場の裏手にある山に入ったら、二日前と変わらない木の陰に座り込む風月がいた。なんとなく予想はしていたから、天音は特に構えることもなく、風月の前に足を進める。

「おはよう、風月ちゃん」

 初めて会った時と同じように、黒いコートを着てフードを深くかぶって木の根元に座り込む風月は、天音の言葉に少しだけ驚いたように肩を揺らした。

「………何か用?」

 風月が顔を上げるとフードが少しずれて、長い前髪が見えた。フードで顔を隠すだけではなく、どうやら前髪まで長く伸ばしているらしい。そこまでして顔を隠す理由は、天音には見当もつかなかったけれど、とりあえずこのあたりに目があるだろうという位置に視線を合わせることにした。

「風月ちゃんのこと、おじいちゃんから聞いたんだ」

「あたしの父さんが、死神ってことを?」

「うん」

 一度上げた顔をまた伏せて、風月は少しだけ笑ったようだった。

「あなたは信じないでしょ?街の人はこんな馬鹿な話、信じない。

 でも田舎の人は、こんなことを信じすぎる。それで変な噂が立つの」

 風月のその言い方は、自分に関する噂を肯定するものでも否定するものでもなくて判断に困る。そして風月の言う通り、天音は風月が死神の娘なんて信じてなかった。そもそも死神なんているわけがないと思っていた。

 天音はきっと、怖かったんだと思う。天音は天音の知っている世界の中で、天音の持っている常識を使って、平和なまま生活したかった。でも。

「昨日、すっごく変なもの見ちゃったんだよ」

「変なもの?」

 風月が首を傾げる。きっと天音が言いたいことは、半分くらいしか風月に伝わっていない。

「最初は信じなかったよ。死神なんて、全然。ありえないじゃんって、思ってたんだけど、昨日みたいに変なこと見ちゃったら、なんかどうでもよくなっちゃった!」

 昨日、あの雷を見て天音は思った。天音の信じていた当たり前に平和な世界なんてありはしないことに。自分の住んでいる場所から、三時間でたどり着ける場所なのに、当たり前みたいに天音の知らないことは現れた。ただ祖父の家に来ただけなのに、こんな不思議なことが起こるなんて。

「世界って広いなーって思っちゃった」

 この世界に、自分の知らないことがたくさんある。それがただ、天音にとってありえないからと言って、目を塞いで受け入れれないのはなんというか。

「もったいないって、思ったんだよね」

 不思議なことが、いっぱいいっぱいあるのだから。それを素直に、不思議だと思えるようになりたい。

「………変な子」

「………そうだよねえ」

 また呟く風月に、へらりと笑いける天音。今の独白は言ってしまえば、天音の自己満足でしかない。だけれど変な子という感想は間違いなく、数日前に天音が風月に対して思ったことだ。

 けれど呆れたような風月の肩は細かく震えていた。もしかして、笑ってる?

「面白いよ、あんた。こんな訳分からない噂、信じてみたいって言うの?」

「え、あっと、まあ、変なこと言ってる自覚はあるんだけどね………?」

「じゃあ精々、ビビって逃げるなよ」

 そう前置きをして、風月がフードをとった。ふわりと前髪が溢れる。そのまま眺めていると、風月がゆっくりと顔を上げた。長い前髪の隙間から、まるで海の底のような青色の目が見える。天音の頭の現実的な部分がああ、見た目が違うとはこういうことかと納得する一方で、漠然と綺麗だと思った。

 しかし風月は、それでも天音と目を合わせようとはしなかった。

「あたしの目の色、変でしょ?」

「………私は綺麗だと思うけど。」

「そう、ありがと。でもこの目、色が変わってるだけじゃないんだ。」

 そう言って風月が、またフードをかぶる。結局一度も天音と目を合わせることはしなかった。

「あたしには、人の死に際が見える。死神の血が変に混じった弊害で。

 この目のせいで、あたしは人を見ることができなくなった」

 怖いから、と。風月はうつむいたまま、ぽつりとこぼした。会って間もない天音に、弱音をこぼしてさっきよりも深くうつむいた。

「怖いの、怖くてしょうがない。あたしの大好きな人が、いつどうやって死ぬか分かってしまう。それにあたしはその人の寿命を知って、平然としていられる自信なんてない。あたしが人を怖がるから、周りの人もあたしを怖がるようになってた」

 深い青色の目をフードを奥にしまいこんで、風月が小さく本音をこぼした。

「………そっか」

 それを聞いて天音に言えることなんて、大したことではなかったけれど、これも間違いのない本音だった。

「大変だったね」

 風月の苦労の半分も分かりはしないけれど、天音にはそういうことしかできなかった。風月がうつむけた顔を天音の方に向けて、頷いた。

「大変だったよ」

「うん」

「でもあんたと話せたから、ちょっと救われた」

「………たいしたこと言ってないよ」 

「それでも久しぶりに、あたしのことを怖がらない人と話せたからさ。あなたの顔はまともに見えないけど、人を怖がらないで話せた。あたし、怖がりでどうしようもない人間だけど、そう思ったんだ」

 そんな風月の言葉を聞いて、天音は首を傾げた。

「それって、風月ちゃんが優しいってことじゃないの?それに私のことを、大切な人って思ってくれた………んでしょ?」

 天音と風月の間に妙な沈黙が流れて、そして。急に風月は笑い出した。

「はははっ!あんたってほんと………変な子!」

「えっ?」

 今度は天音が首を傾げる番だった。風月に大爆笑されても、逆に困ってしまう。

「なんかさ、あんたってすごくあつかましい………人だね。強引で人懐っこいけど、あんまり嫌な気はしない」

「それは褒められてるの?」

「ん、どうだろう、ちょっと馬鹿にしてる」

 その正直な言葉に少しふくれっ面になる天音だったが、悪くないよね、と風月に言われてとりあえずはその表情を引っ込める天音。

「なんで馬鹿にされないといけないわけ………っていうか」

「ん?」

「風月ちゃんって笑うんだね。なんかそっちの方が意外」

 風月が声を上げて笑ったことを指摘すれば、いまだに少し肩を震わせる風月は首を傾げた。

「あたしだって笑うよ、半分は人間なんだもん。でもほら、一緒に笑う人がいないと忘れちゃうでしょ、笑い方って」

「そうだけど………いやそんなんじゃなくて」

 でもそうやって声を上げて笑う風月を見ていると、気分が明るくなった。

「風月ちゃん、笑うと雰囲気変わるね」

「風月」

「え?」

 真面目な顔で、でも唐突に風月は言う。天音が聞き返せば、フードの隙間から覗く口元が笑いを浮かべるのが見えた。

「風月って呼んでよ、ちゃんづけじゃなくて」

「え、うん」

 それはまるで天音のことを友達だと認めてくれたみたいで戸惑ってしまう。人に恐れられ、人を恐れる死神の娘に。初対面の常識も違う天音が、友達だなんて思ってしまっていいんだろうか。でも、こうやって笑い合えたんだから、気を遣うのも変だ。

「………今度、山の上のほうまで登ろうよ。誰かと一緒なら、行けるよね」

「いいよ。私は」

 座り込んだままの風月に手を差し出してみたら、天音の手を取って風月が立ち上がって笑った。

「山の上には池があるらしいよ。私も見たことないけど、一緒に行こうよ」

「うん………あっ、そうだ一つ聞きたいことがあったんだけど、いい?」

 首を傾げる風月に、恐る恐る天音は尋ねる。

「あのさ、雷が上がってくのって、おかしくない?」

 天音の問いは、馬鹿げているように見えて真面目なものだ。風月はしばらく間をおいて、天音の気迫に押されたのか大真面目な様子で一つ頷いた。

「全然。普通のことだと思うけど」

「………」

だめだ。この村の人に言っても、何もわかってくれない。天音が思っているよりも、天音の世界と風月の世界はかけ離れていたようで。

「もしかして、赤い雪が降ることもあるんじゃないの?」

 冗談半分で聞いてみたが、風月はまた大真面目に頷いた。

「そんなの、よくあることだよ。」

「………」

 だめだ。思った以上に本当にだめだ。それでもそんなに不安にならないのは、きっと手を取ってくれた誰かがいたからだった。

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