第2話 青の死神少女①

 この村にやってきてから一週間が経過した。夏休み開始から十日目のこと。

「あ~………落ち着くなあ………」

 天音は道場の裏にある山の中にいた。

 どうして天音がエアコンのきいた家を出て、山の中に来ているのか。

 もちろん彼女だって、すき好んで虫がうじゃうじゃいる山の中に来ているわけではない。理由は天音なりにだけど色々あるのだ。

 まずは、エアコンのないおじいちゃんの家の中よりも、森の中のほうが涼しいことが分かった。普通にしていれば蚊に刺されてしまうから、虫よけスプレーは必需品だけど、それでも蒸し暑さから逃れることはできる。

 さらに家にいると案の定というか、じいちゃんが剣道の練習をしようとうるさい。

例え何度言ったところで、天音の祖父は孫に剣道を教えることだけはやめようとしなかったのだ。

「分かった!もう道場を継げとは言わない!

 それでも後生だ、剣道を教えさせてはくれないか?」

「なんでそんなに剣道教えたがるの………私、全然上手じゃないのに………」

「もう村の中には剣道を習えるような年齢の子がいないんだ………。

 せっかく道場まであるのに、誰にも何も教えれないのは勿体ないじゃないか!」

 おじいちゃんにそう言われてしまえば、天音は弱かった。元々自分の意見を強気に主張するのには向いていない性格なのだ。道場で剣道を教えることがおじいちゃんの生きがいだというのなら、それに付き合うのもいいかと思ってしまった。

 それでも。

「おじいちゃん、容赦ないんだもん………」

 天音が特に何もしていないと、暇だと思ったおじいちゃんが竹刀片手に道場に誘ってくるのだ。あのまま家にいたらきっと、二十四時間道場で練習コースになる。

 見渡す限りの豊かな緑に最初の三日間は少し辟易としたけれど、町の中にはない大自然は逃げ場所には最適だ。山のふもとの木の下に座り込んで、ぼんやりと空を眺めるのもなんだか贅沢な気分になってきた今日この頃だ。感覚の麻痺だろうか。

「落ち着く………時間ができたらもうちょっと山の上に行ってみようかな………」

 だけど一人で山に登って遭難しちゃったら嫌だしなあ、と考えてしまって、結局天音は山から道場が見下せる範囲にしか行ったことがない。

「まあいっかこれはこれで………」

 もう一度一人で呟いて—————その時天音は、山の中に異様な人影を見た。

(え、誰、あれ)

 黒い影のような人。ともかく真夏には見たことがないような服を着ていた。暮れてきたとはいえまだ汗ばむ夏の夕方に、黒一色のの長いコートを着て、さらにフードまでかぶっている。コートの下に着ているのも黒の長ズボンだ。

 今の天音と同じように、木の下の影に座り込んでぼんやりと空を見上げているこの人は、見た目から判断するとどうやら涼んでいるようだけど、服装のせいでまったく涼めているようには見えない。

「あの服を変えたらもうちょっと涼しくなるのでは………?」

 顔も見えない、どうしてここにいるか分からない人物に「その服脱いだらどうです?」と声をかける勇気はさすがになかったけれど。そう思わずにはいられない天音だった。

「あ」

 しかしふと立ち上がった黒づくめの人物が、線が細くどうやら女の子だと思ったその時、天音はない勇気を振り絞ってその人物に声をかける決心を固めた。

 だってどうやら同年代の女の子だ!同い年の、しかも女の子なんてこの十日間一度も出会ったことがなかったのに、こんな山のふもとで会えたのだ。何がなんでも話したい、あわよくば友達になりたい。

「あの………!」

 立ち上がって小さな人影に歩み寄りながら、少し控えめに声をかけてみる天音。勢いよく立ち上がったせいで木の根っこにつまずいてしまったけれど、平静を装ってとりあえず笑顔を浮かべてみる。

 しかし黒コートの人物は、私の声が聞こえていないかのように振り向かない。振り向かないどころか一切の反応を示さない。

 フードで顔が隠れているから当たり前と言えば当たり前なのだけれど、「身体の線が華奢だから女の子みたいだ」「腰が曲がってなくて私と同じくらいの身長だから同い年じゃないだろうか」程度のことしか分からない。表情が見えない以上、天音の存在を認識しているかどうかさえ不明だ。

 それならばと、天音はもう一度、さっきより大きめの声を出した。

 「あの!」

 すると天音の呼び声で、ようやく黒い人物は振り返った。表情は相変わらず見えないが、かろうじて白い肌と茶色の前髪が見える。

 「………誰?」

 全身を黒一色で固めたいかつい外見に反して、いぶかしげな声は高く澄んでいて綺麗だった。そこでようやく、ここにいる人物が女の子だと確信することができて、天音は心の中で歓声を上げた。

 同い年の女の子、背丈も近い、おじいちゃんとおばあちゃんしかいないこの村に年の近い同性の人物がいたのだ。天音が盛り上がるのも無理はない。

「この村で見たことないし、あたしの知らない人。あんた誰?」

 声の儚さと反比例するように黒服の少女の口調は荒かったけれど、そんなことは大した問題ではない。

「私は天音!夏休みの間だけ、おじいちゃんの家に泊まってて、この村にいるんだ。えっと、ごめんね?あなたの名前は?」

 天音に聞かれて、黒服の少女は小さな声で答えた。

「………風月フヅキ。あたしの名前。」

 変わった順番で自己紹介をする少女。どうやらあまり口数の多いほうではないらしい。フードを深くかぶりすぎているので、活発な人かおとなしい人か、顔や表情で判断することはできないけれど、うつむいて頑なに顔を上げない仕草からも、あまり快活な人物に見えないことは確かだ。

 「フヅキちゃん………?」

 「風の月って書いて、風月」

 丁寧に名前の書き方まで教えてくれる風月。空中に指を出して、すいすいっと漢字を書いてみせた。コートの袖からのぞいた指が、一度も日焼けをしたことがないくらい白い。

 変な格好には変わりないけれど、悪い人ではなさそうだと判断した天音は、できる限りのフレンドリーな笑顔を浮かべて顔を覗きこもうと試みる。

 瞬間、風月が身体を引いたので慌てて少し距離をとって、天音は両手を上げた。なんの意味もないかもしれないが、天音なりの敵意がないというアピールだ。

「あっ、ごめん、その顔が見たくて………ダメだった?」

 天音にそう言われて、風月の肩がぴくりと震えた。けれどその仕草に気付かなかった、天音はそのまま話を続けていく。

「ここにきてから友達がいなくて………っていうか同い年の人がまずいなくてさ。

 でも風月ちゃんとなら友達になれるかな、って、思って………」

「なんで!!」

 天音の言葉を遮るように、突然少女が声を荒げた。相変わらず天音と目は合わせないけれど、フードごしに睨みるけるような、毛を逆立てて威嚇する猫のように。

「なんであたしを選んだ!?あたしが友達のいない、寂しいやつに見えたから?同情したからあたしを友達にしたいってこと?そんな同情、いらないんだよ!」

「えっ、ちょっと………そんなつもりじゃ………」

「馬鹿にするな!」

 怒鳴るだけ怒鳴って、天音の言い訳にはまったく耳を貸さないまま、風月は山の奥に走って消えていった。全身黒づくめの風月は夕暮れの山の暗がりにまぎれてすぐに背中も見えなくなった。

「………山の中、危ないのに」

 風月と名乗る少女の服装も突然の激情の理由も、天音には意味が分からないものでしかなかった。彼女を引き止めるために伸ばした右手は、何もない空間を空しく掴んだ。

「友達になろうって、言いたかっただけなのに」

 不格好に伸ばされたままだった右手を下ろして、ふてくされたように呟く天音。天音には理解できない理由で怒鳴られた気がするが、そのことに対する苛立ちよりも、ろくに話すことができなかった落胆の方が大きい。

「変な子」

 嫌な奴だと思ったたわけではない。ただ変わった子だと思った。

「今度会った時はもうちょっと話せるといいなあ」

 そんな淡い期待を抱きながら、天音はそろそろ暮れてきた日に急かされるように、山を下りて道場に帰ることにしたのだった。

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