ACT52 悪夢は終わらない
「陽菜――ッ」
神薙は、自分の名を呼ぶ陽菜を引き寄せるようにして抱きしめる。
強く、強く――。
こんなにも彼女を心の底から愛おしいと思ったことはない。
いつだって大事な幼馴染だったが、どこかで気持ちを抑えていたような気がする。
多分、怖かったのだと思う。
一線を越えた感情の先に何があるのか、それを知るのが。
今までの関係が瓦解してしまうのでは、という漠然とした不安が胸中を何度も通り過ぎては、神薙はそれ以上は進むまいと制御していたのだ。
でもなんてことはない。
進んだ先にあったのは、確固たる形となった愛だ。
愛おしさの先に、更に深くなった愛情が待っていただけに過ぎない。
難しく考えすぎていたのだろう、大切に思うのならば当たり前に発露するその感情を神薙は噛みしめるとそして再び――
「い、痛い……嬉しいけど痛いよ、錬ちゃん」
強く抱きしめようとしたのだが、止めた。
「あ、ご、ごめんっ」
神薙は陽菜から離れると、彼女の手を取る。
頭上に表示されているHPは七割弱。
疑似痛覚のほかにも手と膝に傷を負っているようだが、立つことは可能であろう。
「え? 錬ちゃんって……これ、神薙なのかっ?」
「ええぇっ!? そうなのっ? 神薙君なの?」
全ての意識が陽菜に向いていたが、そういえばもう二人いた。
記憶が確かなら、背の高いボーイッシュなほうが
そして、育ちのよいお嬢様を彷彿とさせる小柄なほうが
――だったか。
その二人を僅かの間でも忘れていたという事実に罪悪感を抱きつつ、さてどこから話すべきかと逡巡したのも束の間、今すぐにでもこの場所から離れなければいけないことを思い出す。
レッドウォールは行き止まり。左右に折れる道もない。
ならば東に戻るしかない。
「なんかそうみたい。……でも、なんで? なんで錬ちゃんが〈ジェニュエン〉なんかに参加しているの? どうして、なの?」
冷静になったところで、陽菜の中に当然の疑問が湧いたようだ。
その表情には予想通り、両親を奪った〈ジェニュエン〉なのにどうして――という、不可解さを如実に浮かび上がらせており、熟視する瞳は今すぐ納得出来る答えを述べてと言わんばかりだ。
しかしそんな時間はない。
神薙は陽菜の汚れた頬を手で拭いてやると、口を開く。
「〈ジェニュエン〉が終わったあと全て話す。今はここから逃げなければならない。さあ、立つんだ。君達も早く――っ」
神薙のその有無を言わせぬ口調に、彼女達は何等かの危機が迫っていると推定したのだろう。
表情を硬くして矢庭に立ち上がる。
「よし、行くぞ」
神薙は陽菜を支えながら来た道を戻る。
ヴェノムとその仲間の五人。
神薙がこうまで焦る理由はその六人の存在だった。
プレイヤーサーチ中、陽菜達を追い掛けながらも彼らを注視していたのだが、明らかに神薙へと近づいていたのだ。
しかし奴らは、プレイヤーサーチが終わると同時にフィールドマップから消えた。
つまり、向こうにしてみれば神薙のプレイヤーマーカーが消えたわけだが、だからと言って追跡を諦めることは絶対にないだろう。
そう言い切れるほどに、〈ワールド〉で見せたヴェノムの憎悪には並々ならぬ執着を感じさせた。
「錬ちゃん、誰かが来るの? また、あのコボルトみたいなハンターなの?」
不安を滲ませる表情で聞いてくる陽菜。
……そうだ。
俺だけじゃない。今は陽菜がいる。そして周防と橘も。
神薙と共にいる彼女達も、ヴェノムの敵意の対象になり得る可能性だって十分にあるのだ。
いや、奴と一緒にいるのがそのハンターならば、当然のように彼女達二人にも危険が及ぶ。
神薙は守らなければならない。
六人の敵を相手にしながら、この三人を――。
予想以上に深刻な状況。
神薙は僅かでも生存の確率を上げるために、思考をフル回転させる。
すると神薙は、
〈ジェニュエン〉のストレージには、武器を
ゆえに神薙も万が一のことを考えて一つだけ入れているのだが、それとは別に〈ワールド〉時からの成り行きで入れていた、もう一つの武器があった。
「なんか声が聞こえるっ! 多分踏切のほう」
橘が震える声で左前方へと指を向ける。
中世的な家屋が邪魔をして見えないが、確かにそこには、テクスチャの貼られていない『興ざめポイント』である踏切があった。
神薙もそこを走って来たから覚えている。
そして耳を澄ませば、橘の言った通り声……しかも複数人のが聞こえた。
ヴェノム達に違いない。
あと少しすれば、神薙達の退路をふさぐ形で眼前に現れるだろう。
せめてT字路さえ抜ければ、陽菜達の逃走ルートを確保できたのだが、最早それは叶わぬ状況となった。
「陽菜ッ」
神薙は、手早く説明し、陽菜にもストレージを開かせる。
そして事を済ませたと同時に彼らは姿を現した。
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