ACT50 デスゲーム ―独眼竜正宗―


「大丈夫……一人で走れるから」


 夏希は苦痛に歪めた顔にぎこちない笑みを浮かべる。

 どう見たって大丈夫じゃない。

 夏希の頭上に見えるHPゲージもさきほどより僅かに回復しているものの、依然五十パーセントを超えるか超えないかの位置だ。


 単純に考えて、もう一度後ろから腰を刺されればデッドマンと言われる状態へとなってしまうわけで、やはり一人で走らせるわけにはいかない。


「もっと痛みが引いてからにしよ? それまでは、嫌だって言っても私とののちゃんが支えるからね」


「陽菜の言った通りだよ。無理なんかさせないんだから」


「ご、ごめん。――二人共、ありがとう」


 両頬に涙を伝わせる夏希。

 それはおそらく、絶望からではない別の理由によってだろう。

 だとしたら泣く必要なんてない。

 三人は親友であり、誰か一人が苦しんでいたら助けるのが当たり前なのだから。


 ――そういえば後ろから〈ひっしぐしぐ★2007〉が追ってこない。  

 姿も見えないが、右へ左へと遮二無二しゃにむに走って逃げた甲斐もあって振り切ったのだろうか。

 

「あいつ、本当に気持ち悪い。私も陽菜みたいに石ころ投げつけたかったっ」


「だな。野々花があいつの右目に投げて両目が見えなくなったところで、私があいつの股間を蹴り上げる。このコンボならあいつのHPもなくなっていたかもな」


 眉根を上げて憤然とした顔の野々花。

 そして、泣き顔に笑みを張り付けてそんなことを口にする夏希。

 

「もしHPが少しでも残ってたら、私も金玉潰してやるんだからっ」

 

 野々花、夏希とくれば、次は私の番とばかりに陽菜も続く。

 すると怒り心頭の野々花もプッと吹き出して「金玉とか言っちゃだめだよー」と相好を崩した。


「野々花も言っちゃってるじゃん。つーか、リアル攻撃でHPは減らないか。まあ、男としては死ぬけどな」


 野々花がふふふと漏らし、陽菜も声を出して笑う。


 その弛緩は状況的には相応しくはない。

 でもこれがいつもの三人だ。

 どうでもいいことで笑い合えるこの雰囲気、この空間が陽菜は本当に大好きだ。

 そんな掛けがえのない宝物がなくなるなどと考えるだけで、身を引き裂かれる思いになる。

 

 ――絶対に失えない。

 なんとしてでも逃げ延びて、いつも通りの日常を取り戻さなければいけない。


「壁……?」


 決意を新たにしたその時、野々花が呟いた。

 異世界が剥がれ落ちて露わとなっていた踏切を渡り、狭い道を通り過ぎた先。

 そこにはT路となる大通りがあったのだが、野々花はその大通りに出て右を見た瞬間にそう口にしたのだ。


 陽菜もそちらに視線を向ける。

 すると大通りを二十メートルほど進んだ先には、確かに三メートル程の壁があった。


「そんな……っ、なんだよ、あれっ」


 夏希は声を上げると、陽菜と野々花の支えを振り切るように、ふらついた足で走り出す。

 

「なっちゃんっ」


「夏希――っ」


 陽菜と野々花も夏希のあとを追う。

 徐々に近づく壁。

 やがて辿り着いたその壁は、近くで見ると物質ではなくCGによるものなのか、横に大きく広がる光の塊であることが分かった。

 壁一面に煌煌こうこうとした赤色がうごめいているが、それは、これ以上は進むなと言わんばかりに底気味の悪い光景で、陽菜は触れようと無意識に出していた手を引っ込めた。


「なんでこんなところに壁が……」


 暫し呆然としたのち、陽菜は独り事に近いそれを口にする。

 そして左右に目を向けてから気づく。

 ここが行き止まりだということに。

 ――だから。


「それ以上は杉並区だからだよ。あ、世田谷区か」


 その聞き覚えのある、痰のからんだような濁声を耳にして心臓が飛び跳ねた。

 咄嗟に振り向く陽菜。そして野々花と夏希。

 そこには、頼むから違ってくれという願いもむなしく、三人に執着する淫獣〈ひっしぐしぐ★2007〉が逃げ道を塞ぐようにして立っていた。

 

「フィールドマップ見てれば気づけたんだけどね、そこに壁あんの。教えてもらえなかったのかな。可哀想に。そうそう、その壁に触れるとHPが減るから気を付けたほうがいいよ。おじちゃんもさ、一回触れちゃって、ビリビリイイイって痺れて痛いのなんのって。でもね……」


 そこでコボルト男が、左目を押さえていた左手をゆっくりと下げる。

 黒く塗りつぶされたそこから、どす赤い血が流れていた。


「こっちに比べれば大したことねえええなああああああっ!! おじちゃんさあああ、左目見えなくなっちゃったよおおおっ!? だぁれかさんが石投げつけて失明しちゃったかなあああっ!! この歳になって独眼竜政宗デビューかなあああ、おじちゃんっ!! ……ぶち込んでやる。まずはそこの糞ビッチの〇△×◆に、いきり立った$▼◎を思いっきりブち込んでYAAAらっしゃあああアアアあッ!!」


 涎を吐き散らして猛進してくる〈ひっしぐしぐ★2007〉。

 その様はテクスチャで拡張された人間とは思えないほどに、血肉を欲するモンスターそのものだった。

 最早、まともに会話ができるレベルではない。

  

 陽菜に向かって一直線に突っ込んでくる〈ひっしぐしぐ★2007〉。

 槍で突かれる寸前に横に飛ぶしかない。

 狂人との距離五メートルで、その結論に行き着いた時、


「この変態じじいッ!!」


 視界の右から飛び込んできた夏希が、コボルト男にタックルを食らわす。

 不意を突かれた〈ひっしぐしぐ★2007〉は体勢を崩して進路をずらすと、たたらを踏んだ状態で赤い壁にぶつかった。

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