ACT47 笹塚地区へ


「ぐはぁっ」

 

 そのプレイヤーは地面を転がり、泥まみれのエフェクトを全身に塗りたくる。

 神薙はそこまで視認したのち、前を向いてアルノールドの大通りを進む。

 HPがゼロになったのか分からなかったが、その確認の時間が惜しかった。


 走り始めてから約ニ十分。

 何人かのプレイヤー、及びモンスターとのデュエルがあった。

 一分一秒と無駄にできない焦燥の中での戦いは、神薙から本来の冷静さ、且つ洗練された剣技を奪い、何度か攻撃を食らった。


 神薙の置かれた状況に配慮することなく、正確に疑似痛覚を受け取る脳。

 それでも止まることなく走り続けることができたのは、痛みを無視できるほどの激情が支配していたからだろう。

〈ジェニュエン〉では常に沈着であれとあれほど言い聞かせていたのに、それは呆気なく消え去っていた。

 

 ――陽菜。

 神薙の大切な幼馴染。

 陽菜に何かあれば、自分は彼女のために出来得る全てのことをするだろうと、常に思っていた。

 二年前のあの出来事のあとは、その気持ちを更に強固なものにしていた。


 でも実際に陽菜に何かあった今。

 到底、言葉では表現しきれない感情の暴風が全身を切り刻むようで、神薙は眼前に現れたプレイヤーに剥き出しのそれをぶちまけた。


「どけええええええええっ!!」


 神薙の形相と気迫に気圧されたようなプレイヤーがたじろぎ、旋風の如き桜蒼丸がその身を掻っ捌く。

 悲鳴にも似た声が天を衝き、プレイヤーの倒れる音が背後に聞こえた。


「――っく!」


 次の瞬間、背中に痛みが走る。

 触れると、そこには投げナイフが突き刺さっていた。

 どこから飛んできたのかは分からない。

 おそらく今倒れたプレイヤーの仲間だろうが、相手をする気などなかった。


 神薙は再度の投げナイフから逃げるように路地に飛び込み、そのまま笹塚方面へと足を進める。

 痛みのせいで速度が落ちるが、立ち止まっているよりかは遥かにいい。

 だが、現在の乱れた心のままではダメだ。

 普段なら貰わないダメージが蓄積されて、いずれデッドマン化ということだってあり得る。


 デッドマンになればそこでゲームオーバー。

 当然、陽菜を救うことなどできなくなる。

 

 そう、激情は視野を狭くして死を引き寄せる。

 少しでもいい。いつもの自分を取り戻さなければならない。


 落ち着け、落ち着くんだ、冷静になれ――。


 神薙は更に走る勢いを落とすと、己にそう言い聞かす。

 やがて冷静さの欠片をいくつか取り戻すと、プレイヤーサーチの時間だということに気づく。

 神薙はフィールドマップを開いて笹塚地区を詳細表示にしたのち、青いプレイヤーマーカーの数を素早く数えた。


 その数は九十三。

 獲物である、『ナンバーから始まる数字』のプレイヤーは八十二人だったはず。

 ということは十一人はヴェノムのグループの連中か。

 ――いや、『ナンバーから始まる数字』のプレイヤーが、何人ゲームオーバーになっているかによってその数は変わる。


 神薙は、笹塚地区にあるプレイヤーマーカーを、素早く一つづつ触れていく。

 結果分かったのは、『ナンバーから始まる数字』のプレイヤーは七十四人であり、ヴェノムのグループは十九人ということだった。


 『ナンバーから始まる数字』のプレイヤーが、七十四人。

 彼女達は、獲物である以上、アンダードッグは許されないはず。

 ならばすでに八人がデッドマン、或いはその先のリアルな死となって〈ジェニュエン〉から退場している計算だ。

 

 脳裏を過る最悪の光景を頭を振ってどこかにやると、神薙は自らの体にエンジンをかけた。

 ――急がなければならない。

 


 □■□



「〈硬化〉アクティベートッ」


 サポートスキルを発動した刹那、見張り役二人の近接系ウェポンスキルが神薙の体に弾かれる。

 そんなばかな、とばかりに目を見開き大きな隙を見せる二人に、神薙は複数攻撃用の連撃ウェポンスキル〈桜華烈風閃〉をお見舞いする。

 体をくノ字に曲げるヒューマン族Aと、仰け反るヒューマン族B。


 二人が体勢を立て直すのに二秒。

 しかし神薙は一・五秒で次の攻撃に打って出ると、ヒューマン族Bの背中に〈桜華乱舞〉で十数本ものダメージエフェクトを浮かび上がらせる。

 ヒューマン族Bは苦痛の声を上げつつも反撃。

 しかし予測していた神薙は迫るサーベルを受け流すと、ヒューマン族Bの肩口に深く斬り込んだ。


 残存HPを失ったヒューマン族Bを押しのけるようにして、巨体のヒューマン族Aが「クソがああああっ」とモーニングスターフレイルを振り下ろす。

〈硬化〉の有効時間は十秒。

 効果はすでに過ぎている。

 鎖によって変則的な動きをするフレイルに対して、刀での防御も得策ではない。

 

 反射神経の如く神薙が右にステップすると、釘が生えたような球状の柄頭が眼前、十センチのところを通り抜けて地面を破砕した。


「ブラッドスプリンクラーッ!!」


 次の瞬間、ヒューマン族Aがウェポンスキルを発動し、武器を光らせる。

 地面から放たれ、振り回されるモーニングスターフレイル。

 当たればスキル名通り、スプリンクラーのように血液が飛散しそうだが、神薙は当たらない。

 その荒ぶる竜巻のような軌道の全てを読み、的確に避ける。


 タキサイキア現象。

 それは脳が危険を感じ取ったときに、視覚の情報処理を優先させて周りの光景をスローモーションにさせる現象。

〈ブーストタイム〉と呼んでいるそれは本来、自分で起こせるたぐいのものではない。

 しかし神薙は残駆流を極めて何日か経ったあとに、ある程度、自発的に行えることを知った。


 歪な星型の柄頭が、頭上を、足元を、顔の横を通り過ぎては、ブォンッと重い音をたてる。

 やがて竜巻は去ると、ヒューマン族Aが驚愕と恐れを内包した表情で叫んだ。

 

「ち、ちょっと待てっ、それ〈ジェニュエン〉の動きじゃねーだろっ! なんなんだよっ、お前っ!?」


「おい、『ナンバーから始まる数字』のプレイヤーの名前は、どうやって知ることが出来る?」


 神薙はヒューマン族Aの言を無視して、問う。

 フレイルの男が、こちらの気迫に押されたように答える。


「そ、そんなことまで知らねーよ。もし知ってるなら、乗客の名簿を持ってるヴェノムだろうよ。……なあ、こ、殺さないよな? 俺のこと」


 ヴェノム。

 奴ならすでに、グループの連中と共にロックオン済みだ。

 しかしそれは奴らとの鉢合わせを避けるためであり、デュエルを目的としたものではない。

  

 ヴェノム達と会えば、必然的にデュエルへと移行。

 神薙への殺意を抱いている奴は、例え『ナンバーから始まる数字』のプレイヤーの名前を知っていたとしても、素直に教えるわけがないだろう。

 むしろ聞いたことによって、陽菜に危険が及ぶ可能性すらある。

 いや、そもそもデュエルをしている時間などない。


 やはり笹塚一帯を走り回って自分で探すしかない。

 近くにいる『ナンバーから始まる数字』のプレイヤーに、片っ端から会っていくのだ。

 

 「ひっ、助け、」


 神薙はヒューマン族Aを斬り捨てる。

 


 ――私がもしまた危険に晒されたとしたら、その時も助けてくれる?――


 ――当たり前だろ。だってお前は――大切な幼馴染なんだから――


 

 ふと浮かぶ、あの日のやり取り。

 溢れる愛おしさが激流のように全身を駆け巡る。


 早く会いたい。会って思いっきり抱きしめてやりたい。


 陽菜、お前のことは必ず俺が助けてやるからな――。


 不気味なほどに静寂なアルノールドの夜に、神薙の靴音だけが響き渡った。

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