ACT46 デスゲーム ―ひっしぐしぐ★2007―
とても不思議な空間だ。
渋谷区であるはずなのにその痕跡が一切なく、別の世界が支配しているのだから。
異世界に飛ばされたかのような感覚が、ならばこれは夢なのではないかと都合のいい答えへと導こうとするが、これは現実なのだ。
自分達はハンターに狩られる獲物であり、もしも捕まって攻撃されれば本当に死んでしまうという、あまりにも理不尽な――。
「……あっ」
右折方向を覗き見た夏希が、仰け反るように後ろに下がる。
どうかしたのかという、陽菜、野々花、そして一緒に逃げていた大学生の二人の視線に、ややあって緊迫した表情の夏希が答えた。
「道の向こうで誰か立ってる。あれは多分、見張りだ」
笹塚一帯からは進めないように仲間達が配置されていると、ヴェノムという男が言っていたが、間違いなく夏希の言った通り見張りだろう。
こちらは五人で向こうは二人。
だからといって、武器を持たない丸腰の女が万が一にも勝てるような相手ではない。
強引に突破したとしても必ず誰かが犠牲になるのは確定であり、やはり戻るしかなさそうだ。
笹塚一帯という檻の中からは絶対に逃がさない。
ヴェノムの確固たる狂気に、陽菜は改めて空恐ろしさを覚えた。
□■□
大学生の二人は陽菜達の前に座っていたから、よく覚えている。
どちらも清楚なお姉さんといった風貌で、陽菜達が高校生だと知るや妹に接するような優しさを見せてくれた。
しばらく会話をしていると陽菜達の高校の先輩だということも分かって、話はより一層盛り上がった。
先生のこと、授業のこと、部活のこと、制服のこと――。
特に先日、屋上のヘリポートにヘリコプターが着陸した話では、大学生二人は心底驚いた風に声を弾ませていた。
ヘリポートができて以来、一度も着陸したことがなかったとかで、正にその着陸シーンを目撃してしまった陽菜は詳細な説明と感想を求められた。
ヘリコプターから日本人とロシア人のハーフが降り立ったと話した時、男だと勘違いして「紹介してーっ」と乗り出してきたのはどっちだったか……。
確か、右の座席に座っていたヨシカワさん。
目元のほくろが色っぽかったヨシカワさん。
その彼女は今。
「え? え?」
胸から槍の刃先を突き出していて、それを不思議そうに見つめていた。
刹那、襲ってきた疑似痛覚によってヨシカワさんは顔を歪めると「いたいいいいいっ!」と声を上げる。
二秒後にヨシカワさんの背中から槍が引き抜かれ、彼女が地面に
ずんぐりむっくりとした体形に鎧を着用した、犬に似た頭部を持つ怪物。
実際は人間なのだろうが、その見た目はいつかアニメで見たコボルトに似ていた。
醜いイヌ人間――プレイヤー名〈ひっしぐしぐ★
そして倒れてうつ伏せになった彼女の後頭部に、何のためらいもなく槍を突き刺した。
「ぎゃいいいいいっ!!」
HPを全て失ったヨシカワさんが、清楚な印象をかなぐりすてたような怖気を振るう叫び声をを上げ、地面でのたうち回る。
「こんの、ガバガバのアバズレがぁぁぁ、そんなに欲しいならっ! ぶち込んでやるっ、ぶち込んでやるッ、ぶぅち込んでYAるウウウウッ!!」
口角泡を飛散させるコボルトが、手に持っている仰々しい槍をぶんぶんと振り回し、ヨシカワさんを後背部を執拗に切り刻む。
HPゲージの代わりに出現していたデスゲージがみるみる増加し、それはあっという間に満タンとなった。
「ひ、ひいいいいいいいいいっ!」
もう一人の大学生、キモトさんが、声のあらんかぎりに叫ぶ。
それが陽菜の硬直状態を解除した。
「二人共、走ってッ!!」
陽菜は、夏希と野々花に声を掛けると両足に鞭を打つ。
入り組んだ路地を右に行き、左に進み、そして再び右へ――。
自分が今どこを走っているかなんて全く分からずに、ただひたすら逃げた。
――あれ?
夏希と野々花はいる。
荒い呼吸を繰り返して、死にたくない一心で走り続けている。
でもキモトさんはいなかった。
咄嗟のことでキモトさんに声を掛けるのを忘れたが、てっきり付いてきているものだと思っていた。
途中までは一緒で、どこかで体力が尽きてしまったのだろうか。
そう考えた瞬間、陽菜の中に罪悪感が溢れ出る。
見捨てたわけじゃないが、結果的にはそう捉えられてもしょうがないのだから。
自分達だけが助かればいいなんて、そんな残酷な人間にはなりたくない――。
「戻ろう。キモトさん探しに行かなきゃ」
立ち止まって陽菜は言う。
「そうだな。うちらだけで逃げるんなんてできない」
「うん。旅館で一緒にカラオケしようって約束だってしたし、放っておけないよね」
夏希と野々花が、そう言い切る。
やっぱりこの二人が友達で良かったと何度目かの嬉しさが込み上げてくる陽菜。
状況にそぐわない笑い声を三人で上げると、陽菜達はもと来た道を戻っていく。
陽菜はその道を全く覚えていなかったのだけど、記憶力のある野々花が先導する形で進んでくれた。
異世界エラゴンアークの寂れた路地裏。
ふと薄汚れた石壁に触れると、テクスチャを通り抜けてその先にある実物体に手が届く。
精巧であると同時に全てが偽りである異世界。
どこまでいっても虚構であるこの〈ジェニュエン〉で、プレイヤーは本当に命を落とすことがあるという現実。
そう、ナンバー79の女性とヨシカワさんは本当に死んだのだ。
もしかしたらもっと多くの乗客が命を落としているかもしれない。
――そんな馬鹿なことがあってはいけない。
いつか錬が言っていた、『ジェニュエンを作った人間を絶対に許さない』という言葉を陽菜は再び脳裏に過らす。
錬の怒りを今頃になって理解したようで、陽菜は恥じた。
その錬は今頃、栃木県にいるのだろう。
傍にいてほしい。
錬がいてくれさえすれば、なんとかしてくれるような気がして。
でも彼はここにはいない。
私達だけでなんとか生き延びなければならないのだ。
そして、もし生き延びたら思いっきり抱きしめてもらおう。
そう思うと力が湧いた。
「あっ、あれ、キモトさんじゃないかっ?」
夏希が前方に指を向ける。
確かにそれはキモトさんで、左方のほうからゆっくりと現れた。
「キモトさんっ」
野々花がキモトさんを呼ぶ。
キモトさんが反応する。
でもそれは野々花の呼ぶ声にではなくて、別の要因であり――。
キモトという肉体の抜け殻は道の真ん中でドチャリと倒れた。
同じように左方から現れるコボルト。
ヨシカワさんに続きキモトさんも殺めた〈ひっしぐしぐ★2007〉はこちらを見向くと、ダラリと舌を垂らして
「みぃつけたぁ」
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