ACT43 倉庫の中で ―地獄の始まり―


 現実と仮想が融合した世界。

 それは拡張現実ARアプリでは何度も体験したものであり、別段目新しさはない。

 ただ〈ジェニュエン〉はMRなので、倉庫の外に出れば、その広大な疑似異世界に驚くことになるかもしれない。


「……なんだよ、この服。ただの布の服だよ、な?」


「なんか、中世の時代の貧しい農民みたいな感じだね」


 夏希と野々花のそれを聞きながら、陽菜は自分の体に拡張された服の情報を確認する。

 それは確かに、野々花の言った通り最下層の農奴が着るようなみすぼらしい布の服であり、この場にいる乗客の全てが同じ格好をしていた。


 そう乗客だけだ。


 拉致犯達や五人の〈お客様〉は、総じて騎士や戦士という好戦的な性質を思わせる恰好をしていて、陽菜達との立場の違いが露骨なほどに鮮明になっていた。


「さて、〈ジェニュエン〉に全員がログインしたところで、ようやくデモンストレーションの時間だ。〈お客様〉に狩りの時間を多く取ってもらうためにも、手早く進めていくぞ」


 采を振るって物事を進行させるリーダーの男。

 彼はフーデットコートに不気味なピエロ風のマスクという、一種異様な風貌をしていた。

 元々被っていたマスクは地面に捨て置かれているので、あの茶化すようなマスクは拡張されたデータなのだろう。


 リーダーの男は仲間の一人を呼ぶと、着替えを強制された女性の横に立たせる。

 その女性の頭の上には【HP】と書かれたゲージが一本、そして更に上部には【ナンバー79】とあった。

 

 いや、彼女だけではない。

 ここにいる全ての人間の上にそのゲーム的な表示はあり、乗客には全てナンバーが振り分けられていた。

 この服にして名前がナンバーだとまるで囚人のような気分だが、おそらく囚人のほうがまだマシな状況のかもしれない。


『獲物』と呼ばれている以上、それは最早自明の理。


 ――っ!


 陽菜はそこで息を飲む。

 ヴェノムという名のリーダーの男が言うデモンストレーション。

 それは、ここにいる乗客全てに『お前らは狩られる獲物である』と分からせるもの。

 だとしたら前に立つ彼女は――。


「君達が獲物で、そこに並ぶ五人の〈お客様〉がハンター。構図は至って簡単だろ。君達はこのあとこの倉庫から出て、強者ハンター達から逃げなければならない。場所は笹塚一帯。それ以上は進めないように仲間達が配置されているから、ちゃんと決められた範囲で逃げ回るように。――そ・れ・で・だ。もしハンターに追いつかれて攻撃されてしまうと」


 ヴェノムが女性ナンバー79のとなりにいる仲間に顎をしゃくる。

 次の瞬間その仲間が、手に持っている剣で女性ナンバー79を斬り上げる。

 女性ナンバー79の腰から頭に掛けて赤く光る線が浮かび上がったと思うと、彼女は「ぎひいいぃっ!」と叫んで、苦痛に歪める顔を掻きむしるようにして押さえた。


 同時に、乗客の其処かしこから発せられる甲高い悲鳴。

 それを見て満足そうに頷くヴェノムは淡々と続ける。


「疑似痛覚システムによって本物に近い痛みを与えられて、HPが減るってわけだ。見えるよね? この獲物のHPゲージが3割程減ってるのが。そしてこれが全部なくなるとー」


 ヴェノムの仲間が再び、女性ナンバー79に斬りつける。

 一、二、三、と。

 見たくはない。

 ただ、どうしても固着した視線を剥がすことができず、陽菜はもがき苦しむ女性ナンバー79のHPゲージがゼロになるのをその目で確認した。


「はい。これでこの獲物はデッドマンになりましたー。いわゆるゲームオーバーってやつね。これで獲物の役割は終わり。――ってなれば君達にとって幸いだろうけど残念ながらそうはならない。〈ジェニュエン〉はさ、ゲームであってゲームじゃないんだよ。知ってるよね。〈ジェニュエン〉には、


 陽菜の鼓動が跳ね上がる。

 今から女性ナンバー79の身に何が起きるかを知って、それは痛い程に胸を叩きつける。

 震える体を寄せてくる野々花と夏希。

 彼女達は、命乞いしながら慟哭の声を上げる女性ナンバー79から目を逸らして、耳を塞いでいた。


 そして。

 無常にも。

 女性ナンバー79の最後の時はすぐに来て。

 何度も斬られた彼女は聞くに堪えない奇声を上げて痙攣したのち、顔面から地面へと突っ伏したのだった。


 一瞬の静寂ののち、乗客たちの獣の咆哮のような叫喚が倉庫に拡散する。

 決壊したダムからの水の如く、恐怖が溢れ出したのだ。


「はっはーっ!! いいねっ、いいねぇッ! その気が狂ったような怯え方っ!! これぞ〈お客様〉が欲するものナンダヨッ!! ほら、倉庫から出て逃げるんだよっ、五分後に五人のハンター・オブ・レジェンド様がお前らを狩りに行くからなっ。お客様はよぉ、莫大な金額でお前らを買ったんだ。逃げて狩られて命乞いして殺されて、しっかりお客様を悦ばせろよぉっ!!」


 ヴェノムが叫び、倉庫のシャッターが開く。

 我さきへとそこへ向かおうとする乗客達。


「なっちゃんっ、ののちゃんっ、私達も行こうッ」

 

 混乱と狂騒の最中、陽菜はもみくちゃにされながらも夏希と野々花と共に外へと飛び出したのだった。


 

 □■□



「若い女性を狩りたいってどんな性癖だよ。お金持ちってのはつくづくよく分かんねぇな」


 獲物、そして〈お客様〉が外へと出ていったあと、ヴェノムは仲間に対して呟く。

 仲間は肩をすくめるようにして『さあね』とばかりに反応すると、今後の予定をヴェノムに聞いてきた。


 本来の予定であれば、ヴェノムを除いたここにいる五人も、獲物が笹塚一帯から逃げないように見張っている仲間に合流する流れだ。

 それは、プレイヤーが笹塚一帯に立ち入る可能性も考慮した上での戦力増強。

 しかし、笹塚一帯がすでにウイニングポイントの加点されない圏外であることを踏まえると、余剰人員と言えるかもしれない。


 ヴェノムは、奪われた一本のシースナイフの代わりに左手の人差し指に装着した、指環をなでる。

 それは〈お客様〉の一人に現金の代わりに頂いた、極上のウェポン。

 エクサを殺すために手に入れた超級レアアイテム。

 

 この指環を効率よく使用するためにもエクサの仲間が邪魔だ。

 ヴェノムは右手に握るシースナイフで何度か空を切ると、そして言った。


「俺と一緒に来い。ぶっ殺したい奴がいるんだ」

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