ACT38 牛とカバと豚


 渋谷区の暮夜ぼやには、露ほども心を動かされたことなどない。

 しかし異世界エラゴンアークの夜空を拡張されたそれは、深く感じるものがある。

 渋谷区全体を照らすほのかに青い夜光は、『真っ暗ではデュエルに支障が出る』、及び『観客が見て楽しむことができない』などの理由によるものなのだが、ある種の幻想的演出としては成功しているのかもしれない。


 そんな衛星ラースの作り出す夜空間ナイトスペースの下で、神薙はある理由から足を止めて一人で立っていた。

 

 左右は腐食の進んだ木の壁。

 そして前方にはうずたかく積まれた樽、樽、樽。

 拡張された情報が消滅した時、一体そこには何があるのだろうかと過らせながら、神薙はゆっくりと背後を見向く。


「おーや、残念。行き止まり。ウッシッシッシッシ」


「これはもうチェックメイトだな。カーッバッバッバッバッ」


「観念して逝くんだな、坊主。ブッヒッヒッヒッヒッヒッヒッ」


 牛、カバ、豚のアニマライトであるプレイヤー達が、袋小路で足止め中の神薙に、品位とはかけ離れた笑い声を浴びせかける。

 三人揃って誰もが嫌煙しそうな動物をモチーフにしているのが気になるが、神薙が彼らに聞いたのはそれとは違うことだった。


「おい、そこの豚だけなんで笑い方が鳴き声なんだ? おかしくないか」


 そこで笑い声がピタっと止み、三人のアニマライト族はお互いに顔を見合わせる。

 なんとも微妙な空気になったところで、豚の戦士が声を荒げた。


「そ、そんなことはどーだっていいんだよっ、どうせお前はここで死ぬんだからなっ。俺達、チーム三獣士のファイナルストリームアタックで、一瞬であの世に送ってやるぜっ、ブータッタッタッタッタッ!」


 あ、直した。


 すると、獣臭い三人が同時に各々の得物を光らせる。

 ウェポンスキルを発動するつもりなのだろう。

 しかし彼らアニマライトトリオが、神薙にダメージエフェクトを刻み込むことはできない。


 神薙の五メートルほど先の左右の壁から、二人のプレイヤーがぬっと姿を現す。

 ハイドポイントから出てきた彼女達は地面を蹴ると、電光石火の速さで三獣士との距離を縮める。

 そしてウェポンスキルの名を声に出すと、牛とカバのプレイヤーに容赦なく渾身の斬撃を食らわせた。


「ウシィッぎゃああああぁっ!」


「カバッぶふうううううっ!?」


 斬られても、各々のキャラクターをギリギリで忘れない牛とカバ。

 その成り切り具合に敬意を表したのも束の間、やがて彼らはアイヴィーとキャロットの追加攻撃でゲームの敗退者となった。


「それで、この豚夫君はどうする? 一応エクサのために残しておいたのだけど」


「キャラのツメで、この豚っ鼻を削いでやってもいいけどにゃ」


 フォレストエルフと猫娘に挟まれて硬直している、立場の逆転した豚男、元いアトス。

 顔中に滝の汗を流しているのが見えるが、焦りを表すアニメ的エフェクトは存在しないので、おそらく目の錯覚だろう。


 神薙はアトスの前に立つと口を開く。

 ――が声を出す前に、豚男が光速を思わせる速さで土下座を繰り返した。


「すいませんっ、すいませんっ、鳴き声じゃおかしいって指摘してくれたのに素直になれなくてすいませんっ! あとお前はここで死ぬとか言ってごめんなさいっ。死にませんっ、死にませんっ、あなたは死にましぇんっ! そして僕も死にたくないでしゅっ! 痛いの嫌でしゅっ! だからお願いしましゅっ、僕を見逃してくれましぇんか? 動物虐待はんた~い。ブヒブヒィ」


 思いっきり引くぐらいの命乞いをするアトス。

 足にすがりつこうとするアトスから離れると、神薙は軽く頭を振ってから言ってやる。


「ふぅ……分かった。行けよ。早く俺達の前から消えろ」


「ブヒ!? あ、ありがとうございましゅっ!! この御恩は決して忘れませんっ! それでは失礼致します。ブヒブヒ」


 そして去っていくアトスを見ながら、やれやれといった体のアイヴィーが首を竦める。


「……久々に見たわね。全力の命乞い。斬り捨てるのもバカらしいわね」


「そうだにゃ。あんな奴を斬った日には武器が腐るにゃ。――ん? あーっ、あいつアンダードッグからも逃げたにゃっ」


「アンダードッグで全てを失いたくないし、だからといって疑似痛覚も嫌だっていう、まあ、残念な奴なんだろう」


 キャラットのそれに神薙が答えたとき、アトスが開けた大通りへと飛び出る。

 その瞬間、豚男が何者かに襲われて「ブッヒイイイイイイイッ!!」と絶叫した。

 

 斬られて石畳に倒れるアトス。

 彼はそのまま立ち上がることなく地面に平伏するように座ると、四十秒前に見た『光速の礼』を何者かに繰り出す。

 しかし何者かには神薙のような哀れみの情はなかったのか、有無を言わさずに豚男を一刀両断に切り捨てたのだった。


 ……――ブッヒイイイイイイイイイイ……ブ、ブヒ…………ブヒ――……


「あ、デッドマンになったにゃ。ま、残念な奴にはありがちな顛末だにゃ。……あれ? でもあの斬った奴……」


「ネームの色が紫――。プレイヤーじゃないわね」


「モンスター、か」


〈ワールド〉よりもPvPに特化した〈ジェニュエン〉だが、ある条件を満たすとモンスターが出現するようになっている。

 その条件とは『参加プレイヤー数が、残り六百人を切る』というものであり、それは〈eスポーツ〉としての競技を盛り上げるためのイベントという位置づけとなっていた。


 同時に、ウイニングポイントを稼げるバトルフィールドも七十五パーセントの広さまで狭まったのだが、この仕様とモンスター出現によって、プレイヤー数減少によるデュエル率低下を防ごうとする意図が運営にはあるらしい。


「〈ジェニュエン〉開始から六時間半。ようやくお出ましね。もちろんやっていくわよね? エクサ」


「ボーナスステージにゃっ。バシッと稼いでランキング駆け上がるにゃ、エクにゃんっ」


 神薙に決断を求める、すでにやる気満々なアイヴィーとキャラット。


 三人に割り振られたダストは全て対処済み。

 あとはナイトホロー達と合流して、二つのパーティーによる計十二人の積極的殺人集団〈魔獣旅団〉の討伐を残すのみだ。

 

 なれば、比較的多くのウイニングポイントを得ることができるモンスターをやり過ごす理由などない。

 ウイニングポイント数がランキングに影響し、そしてそのランキング次第でサポートスキルやリアルマネーを得られるだから尚更だ。


「モンスターハントに夢中になって、プレイヤーの接近を許すなよ」


 神薙が足を踏み出すと、後ろから弾むような声が聞こえた。


「オッケー」


「了解にゃ」

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