ACT32 首都高速3号渋谷線高架下 ―ゲームスタート―


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 視界全てを覆う超硬質プラスチックレンズの真ん中で、その文字が赤く光っている。

 十分前になると眼前に投影される文字だ。

 それをタッチし、次に両手の形をしたシルエットに手を合わせて十本の指の指紋認証を終えると、音声認識を要求する【ボイスインプット】の文字が現れる。


 神薙は一つ大きく深呼吸する。

 そして小さく声を吐き出した。


Dive to the genuineダイブ・トュ・ザ・ジェニュエン


 ――暫しの間。

 アイヴィーと目が合い、同時に頷く。

 刹那、ゴーグル越しに始まる異世界エラゴンアークの具現化。

 前兆である僅かな映像のブレが終わると、モデリングシステムによる構成立体表現が始まった。

 

 空を、ビルを、家を、店を、道路を、歩道を、高架を、木を、電柱を、その他、有形であるモノ全てに複雑なワイヤーフレームが瞬く間に広がっていく。

 そのワイヤーフレームに多色の模様が浮かび上がってくると、やがてそれら無数のテクスチャが、広さ15.11K㎡の渋谷区の街を覆い尽くした。


 空は、巨大な衛星が浮かぶ澄み切ったウルトラマリンブルーへと。

 ビルは、余分な上層を空に溶け込ませ、下層はレンガと木造による豪奢な建築物へと。

 家や店は、中世ヨーロッパを思わせる組積造の家屋へと。

 道路や歩道は、石畳や雑草の生える荒れた道へと。

 高架は、橋が光学迷彩の如く空の一部分となり、柱は巨木へと。

 木は、エラゴンアークに生える種類の樹木へと。

 電柱は、別の種類の天然木へと。

 その他、有形の物質はそれにふさわしいオブジェクトへと――。


 鮮明なるリアリティをもって顕現した別世界。

 この瞬間、プレイヤーの全てがその場にいながらにして異世界エラゴンアークへと転移したのだ。


 神薙は全身に拡張されているサイボーグ忍者然とした装備を確認したのち、自動セットアップされていた〈桜蒼丸〉の柄を握りしめる。

 いつも通りの慣れ親しんだ疑似触覚が心地よい。

 

「この世界が変わる瞬間は、何度体感してもブラーヴォね」


 それは、優美なるフォレストエルフに拡張されたアイヴィー。

 水無瀬イーヴァの面影の残る横顔が神薙に向けられる。


「ブラーヴォってイタリア語だろ。ロシア語はどうした?」


「もう、そんなことどうだっていいじゃない。……それより、今回の元となった舞台は、忘却に沈む街アルノールドのようね。朽ちた城下町ってあそこしかないじゃない」


 アイヴィーにそう言われて、神薙は周囲を見渡す。

 確かによく見ると、家屋や道は荒れ放題で、一言で表せば死んだ街といった感じだ。

 基本、戦いの舞台は〈ワールド〉に存在する街やフィールドのどこかを使用するのだが、どうやらここはアイヴィーの言った通りアルノールドのようだ。


 ならば今回のモンスターはなんだろうか。

 どんなデュエルフィールドにも必ず、その戦場特有のモンスターが存在する。

 それは〈ジェニュエン〉というゲームを、より一層盛り上げるスパイスという位置づけらしい。


 アルノールドという街に関連付ければそうだな――と、思考の歯車が回りだそうとしたその時。


 小さな、カチッという音とともにモノケロスのベルトがロックされる。

 これでもうモノケロスは外せない。

 ゲームの途中で現実に逃げないようにとの運営様のご配慮というやつだ。

 これでゲーム開始の十二時から二十二時の十時間は、〈ジェニュエン〉という広大な箱庭に拘束されることになる。


「さぁて、もうすぐうるさいサイコロ野郎のご登場だ」


 神薙の横に来た人間とエルフの混血であるヒュルフが、浅黒い顔を僅かに歪める。

 ナイトホローはサクランボの種を口から吐き出すと、頭上に視線を送った。

 すると、とてつもなく巨大な拡張映像が上空に広がる。


 〈ジェニュエン〉の公式キャラクター〈ジェーさん〉。

 六面ダイスの大きな顔から、棒のような小さな手足が伸びているだけの、いわゆるユルキャラ。

 感情を表す表情がその六面に一つづつ描かれていて、話す途中で何度も面が変わるので方々からウザいとの声が続出しているが、今回も変わらずの登板のようだ。


 その〈ジェーさん〉が全プレイヤーに向けて話し出す。


『よーし、〈ジェニュエン〉五分前じゃん。プレイヤーのみんな、準備は出来てるかいっ? 出来てない奴は手を上げるじゃん。巨ダイスのボクが食ってやるじゃん。巨大とダイスをかけてるじゃん、ププ。ごめんごめん、そんな冗談言ってる場合じゃなかったじゃん。よし、まず今回の参加プレイヤー人数を教えてやるじゃん。その数はなんと歴代最高の2525人じゃん。ニコニコじゃないじゃん。ん? 分かってるって? うるせーじゃんっ! 次はルールじゃん。何度も説明してるから簡単に言うじゃん。プレイヤー同士でデュエルをして勝ってウイニングポイントを稼ぐ。以上じゃん。詳しく知りたい奴はデッドマンになってゲームから退場してから、ボクがみっちり教えてやるじゃん。……マジな話するじゃん。君達プレイヤーは最高じゃん。だってそうじゃん。eスポーツの最高峰でボク達を魅了してくれるんだから。そうじゃん、これはFPSでも、TPSでも、格闘ゲームでも、スポーツゲームでも、ましてや地味なパズルゲームやトレーディングゲームなんかでもないじゃんっ。それらクソみてぇな石器時代のeスポーツとは次元が違うんじゃんっ、〈ジェニュエン〉はよぉっッ!! ハアハア……さて、ここまでで語尾に『じゃん』を付けなかったのは何回でしょうじゃん? はは、冗談じゃん。――って開始二十秒前じゃんっ。こっからはカウントダウンといくじゃん――』


 じゃんじゃんじゃんじゃんうるさい〈ジェーさん〉の感情の面が数字へと変わる。

 それが十八……十七……十六と数を減らしていく。


「エクサとアイヴィー、キャラットは右前方の家屋の傍にいる五人組。あたしとクライブとリーザロッテは左方の巨木に隠れている六人組。待っていたら三つ巴の混戦になる。開始と同時に攻め込め。分かったな」


「「「「「了解」」」」」


 ナイトホローの指示に五人の団員が力強く答える。

 やがて〈ジェーさん〉の面が三……二……一……となり――。


『全てのプレイヤーの幸運を祈るじゃん。――ゲーム、スタートッ!!』


〈ジェニュエン〉が始まる。

 2525人のプレイヤー全ての号叫が聞こえたような気がした。

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