ACT26 ラビットファンタジア


「なんか久しぶりだねー、錬ちゃんの部屋に来るの」


「そ、そうだったけか」


 水色のフリルブラウスにホワイトのスカートというコーディネイトが爽やかな陽菜が、神薙の部屋に入った途端、部屋の隅々に視線を向ける。

 

 シンプルイズベストを旨とする神薙の部屋は、いわゆる趣味部屋と対極に位置する、至って面白みのない空間だ。

 よって陽菜はお部屋観察をすぐに終えると、神薙が促すまでもなく能動的にソファベッドに腰かけた。


 いわゆる『瑞々しい太もも』が強調される。 

 がしかし、それを見続けるほど陽菜に対して露骨な邪欲は持ち合わせてはいない。

 目を逸らす神薙。

 すると、ドアの向こうから覗くような視線とかち合った。


「ムフフ、どうぞごゆっくりおしみ下さいませ~」


「おい、咲っ、お楽しみって言ってもそういうのじゃ――」


 バタンッと閉まる扉。

 神薙は三秒ほどその戸を睨み付けたあと、後ろを見向く。


「どうかしたの? ねえ、早くしようよ、錬ちゃん。もう、我慢できないよー、私」


 陽菜が前のめりになって求める。

 豊満な胸の谷間が露わとなって、神薙の理性をかつお節削り器に似た機械がシュッシュッと削り落としていく。


「す、するって何をっ? お前まで何を言ってんだよっ」


「何って、これだけど」


 きょとんとした顔の陽菜が、大きな手提げバッグの中から何かを取り出す。

 それは、イヤーパッドの外側がうさぎのシルエットになっている、白とピンクのツートンカラーで構成されたヘッドセット機器。

 ラビットファンタジアにダイブするための、名称〈らびっと〉だった。


「あ……そ、そうだったな。うん、そうだ」


 一瞬でもその約束を失念して、あろうことかよこしまな妄想へとダイブしていた自分を大いに恥じる神薙。

 ダイブすべきは〈らびっと〉を使用しての、ラビットファンタジアという超大型VRテーマパークなのだ。

 

 神薙も、陽菜と同じ〈らびっと〉(しかし色は白と黒のツートン)を戸棚から取り出すと頭に装着して、すでに準備OKで待機中の幼馴染みのとなりへと腰を下ろす。

 陽菜が体が触れ合う距離まで移動してきたが、神薙は黙っていた。


 ラビットファンタジアは、その全てがVR空間にある。

 つまり、何も一緒の部屋からログインする必要などないのだが、陽菜が(ログアウトしたとき一人っていうのは寂しいよ。余韻にだって一緒に浸りたいし、錬ちゃんの部屋で一緒がいいー)と懇願してくれば、神薙としても無下に断ることなどできようもなかった。


「じゃあ、ログインするから向こうのロビーで会おうぜ」


「うん、分かった。あ、せーので音声認識がいいな」


「え? ああ。……せーの」


「「さあ、ラビットファンタジアで遊ぼう」」


 刹那、陽菜が神薙の手を握ったような感覚。

 しかしそれは、五感の全てが現実から仮想空間のアバターへと接続されたとき、あやふやな記憶の一つとなった。



 □■■


 

 現実にあるテーマ―パークに神薙は行ったことはない。

 ただ、陽菜が言うにはこのラビットファンタジアの興奮度は、あのネズミをモチーフにしたテーマパークをもはるかに上回っているという。


 例えば、現実のテーマパークはどうしたって、肉体というお荷物がアトラクションに多くの制限をさせる。

 しかしラビットファンタジアでは、肉体から解き放たれた感覚が、アバターを通してプレイする人間に正に幻想的であり素晴らしいファンタジックな体験を提供するのだ。


 深海に沈むアトランティス王国を探索するアドベンチャー。

 ドラゴンの背に乗って敵の飛行軍勢を蹴散らすシューティング。

 流浪のエルフとなって訪れたエルフの里で恋を発見する恋愛ゲーム。

 魔法のエキスパートとなって魔王に迫害されるラビット達を救うアクション。

 

 など、ほかにも二十五あるアトラクションの全てが、疑似を感じさせない珠玉のエンターテインメントになっていて、閉園を迎えるころには、それほど乗り気でなかった神薙も後ろ髪を引かれる思いに囚われていたのだった。



 ■■□



 時刻は二十時四十五分。

 宵闇の中で耳に届く生活音が不安を和らげる。

 自分がいれば大丈夫だと分かっているが、その団欒だんらんを思わせる音があるとないとではやはり違う。

 

 やがて見えてくる陽菜の住む一軒家。

 そして家に着くと、終始まとわりついていた心騒ぎはようやく霧散した。


「送ってくれてありがとね、錬ちゃん」


「気にするなって。俺が送りたいだけなんだからさ」


「うん」


 街路灯に照らされた陽菜の表情に朱色が差す。

 視線を一度落とした彼女は過ぎ去りし時を思い出したのか、華やぐ心をその顔に乗せた。

 

「ところで今日は本当に楽しかったー。VRテーマパーク最高っ。あれで一五〇〇円は安い安い。……また一緒に行きたいなーなんて思っているのだけど、どうでしょうか」


 エアーマイクを差し出してくる陽菜。


「そうだな。今日みたいな十六時三十分からのナイトパックならいいぜ。帰りにファミレス寄っても陽菜の門限には間に合うからな」


「やったっ。……へへ、山さん、言質取りましたぜ」


 誰だよ、ヤマさんって。


「そういえば旅行、明後日だったよな? 何時に出るんだよ」

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