ACT25 彼女じゃないしデートじゃない


 アイヴィー宅から外へと出ると、強めの雨が降っていた。

 扇状に広がる花壇の先、玄関から約三十メートルのところにアールヌーボー様式のファンタジックな門があるが、そこに行き着くまでにびしょ濡れになりそうだ。


「はい、エクサ。雨も滴るいい男じゃ済まないわよ」


 神薙を見送るために出てきたアイヴィーが、傘を目の前に差し出す。

 それは花柄の可愛らしいアンブレラ。

 雨も滴るいい男のくだりについてスルーする、いいきっかけにはなった。


「ほかにないのかよ。普通のビニール傘とか」


「あら、文句を言うなら濡れて帰ってもらってもいいのよ。どうする?」


「……我慢する」


「賢明な判断ね。じゃあ気を付けてね。そして彼女とのデートをたっぷり楽しんで下さいな」


「ああ。……んっ? ち、ちょっと待て。俺、いつ陽菜とデ――遊ぶだなんてお前に言った? いや、陽菜は彼女じゃないけどなっ」


 透き通ったコバルトブルーの瞳を三日月の如く細めているアイヴィー。

 口も同じく両端を吊り上げた感じの、こちらは三日月と上弦の月の間くらいだが、その顔は一見して、状況を楽しむかのような子憎たらしい微笑だった。

 

「ふーん、やっぱりデートみたいね。ナポレオンパイを食べている時から、なんかソワソワしているからもしかしてと思ったけど」


「んだよ。お前もクライブと一緒で当て推量かよ。つーかデートって言うな」


 そのクライブが扉の向こうの廊下に見える。

 神薙との一戦後まるで魂の抜け殻のようなクライブだったが、それは未だ継続中のようで、彼はおでこを壁に付けて何やらブツブツと呟いていた。

「まあまあ」とばかりに背中を軽く叩くキャラットだが、同じネコ科同士ということもあって、彼の傷心を癒す役としては適任と思われた。


「デートはデートじゃない。何を誤魔化す必要があるのかしら。……それともあれかしら。その陽菜ちゃんが彼女でもなくてデートでもないと声高に否定するのは、エクサには別に好きな人がいるから」


「はいっ?」


 そのとき、アイヴィーが白魚のような白い手で神薙の右手を握る。

 すると一歩前に出て顔を近づける彼女が、吐息を吐き出すようにしっとりとした口調で言葉を紡ぎだす。


「その人は、いつだって自分の背中を守ってくれる大切な仲間。――そしてたまにロシア語が出ちゃうお茶目なディエーヴァチカ」


「……ごめん。それはない。それと最後のロシア語、初めて聞いた、かな」


 アイヴィーはそこで目を見開くと、手を振り払うようにして元の位置に戻った。

 険を匂わす表情。

 実際、水無瀬イーヴァご令嬢はご立腹なのか、腰に手を当て頬を膨らませていた。


「少女って意味よ。……それにしてもなんか腹立つわね。こんな麗しき美貌の十七歳ロシアンハーフを前にして、それはないの一言とか。二度見だってしたくせに。ないにしたってもっと言い方あるんじゃない? ねえ」


「あ、わ、悪い。あー、えっと……アイヴィーはその、俺にとって最高の仲間であって、そして、あー、と、とってもビューティフルガールだけど、俺には釣り合わな――いや俺にはもったいない、というかなんというか……」


 自分でも情けないほどにたじろく神薙を見て、アイヴィーは「ぷっ」と口を押さえて笑う。


「もういいわよ。からかっただけだから。もう行ったほうがよくて? 彼女さんとのデートに遅刻しちゃうわよ」


「か――っ。……ああ、もう行くわ。またな」


 辞去を伝える神薙は傘をさしてアイヴィーに背を向ける。


「ええ、またね。――〈ジェニュエン〉で会いましょう」


 そしてその声に手を上げて応えると、車軸を流すかのような雨の中へと踏み出した。



 □■□



 ゲリラ豪雨的なものだったのかもしれない。

 神薙が自宅に着く十分前にはもう、上空の水蒸気が凝結して落ちてくることはなかった。


「わ、なんか可愛い、その傘。買ったの?」


 玄関に現れる咲は開口一番で、めざとく見つけたアンブレラに興味を示す。

 相変わらずジュピターを頭にセットした姿だが、最早結合しているのではないかと思うほど、見慣れた光景だった。


「買うかよ。友達に借りたんだよ」


「友達? 友達って女の子だよね?」


「ああ。ほら、一度会ったことあるだろ? 水無瀬イーヴァって名前のハーフ」


「水無瀬イ……水無瀬イ……、あー、あのメチャンコ美人な人っ!! そっか、今日、錬にぃは集まりがあったんだもんね」


 咲は神薙が焔騎士団であることを知っている。

 それが、一角社に両親を奪われた憎しみからであり、その一角社が作った〈ワールド〉をプレイして〈ジェニュエン〉に身を置いていることも全て含めて。


 最初は誰にも口外するつもりはなかった。

 しかし、一つ屋根の下に住む身内に隠し通せるほど神薙は器用ではないし、妹なら理解してくれるとの思いから咲にだけは話した。

 その流れから咲はアイヴィーと一度だけ会ったことがあったのだった。


 ちなみに祖母は知らない。

 が、毎週のように境内で木刀を振っている神薙を見て、それが体を動かすことが好きだからだけではないことに、どこかで気づいているかもしれない。


 靴を脱いで自分の部屋に向かおうとしたところで、青く明滅する〈bリング〉から、ポンという乾いた電子音が聞こえる。

 陽菜からのメールだ。


「メール? 陽菜さんから?」


「ああ」と答える神薙は〈bリング〉をタップしてホーム画面へ。

【受信メール】を選んで新着メールを表示させると、そこには


【今からインターホン押しまーす。ロック解除してね♪】


 と、全くもって必要性が皆無と思われる文面が現れた。

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