ACT17 王子様


 マンホール愛好倶楽部ぅ!?


 半径五十メートルの視線(特に男子生徒)を一身に集めながらの堂々としたご登場だが、それはさておき、えらい設定をぶっ込んできたものだ。

 案の定、陽菜が「え? 錬ちゃんマンホール好きなのっ?」と、いきなり現れたアイヴィーよりも神薙の意外な趣味(ではない)に食いついた。


「えぇっ? ま、まあ、マンホールは丸くてかわ……」


 そこまで言って、やっぱり付き合うのもアホらしいと神薙がアイヴィーをキッと睨み付けると、彼女はくつくつと笑ったのち、陽菜のほうを見てこう訂正した。


「ふふ、ごめんなさいね。今のは神薙君をからかっただけよ。本当は〈流星のディスティニー〉って言うオンラインゲームでパーティー組んでて、そのオフ会で会ったの。で、転校してきたら似たような人がいて、それで声を掛けたら神薙君だったってわけ」


「はあ、そうなんですか。それで親しくしてたんだ……」


 後半、声が小さくてよく聞こえなかったが、陽菜が一応のところ納得する。

 

 ところでアイヴィーの話は、ゲームのタイトルが違うだけで大体合っている。

 わざわざ〈ワールド〉ではなく〈流星のディスティニー〉に変えたのは、陽菜の万が一の邪推を警戒してのことだろう。

 とはいえ、いくらなんでも〈ワールド〉→〈ジェニュエン〉ときて次に『錬ちゃんは焔騎士』と連想するとは到底思えないが。


「それで、あなたは神薙君の彼女さんね。胸がとっても大きいし、神薙君が好きそうな感じ」


「ぶふっ!?」

「ごほっ!?」


 神薙と陽菜はほぼ同時に、口にした食物を飛散させる。

 陽菜に至っては先日の神薙同様、立ち入り禁止気管に入ってしまったおにぎりのせいで、激しくむせていた。

 

「お、お前、いきなりなんてことを――」


 立ち直りの早かった神薙がアイヴィーに声を荒げる。

 いや、荒げようとしたところで本名水無瀬イーヴァは、白く透き通ったその顔を俺の頬に寄せた。

 すると思ってもみないことを口にする。


「団長からのメール、見た?」


「は? ……いや、まだだけど」


 アイヴィーに倣って声を潜める神薙。

 横の陽菜が咽ている間に仕事の話をするつもりらしい。

 ところで着信メールは気づいていたが、眠かったり忘れていたり、そして思い出したときは陽菜と一緒だったりで、今の今まで開いていなかった。


「もう。……今日の夜、〈ワールド〉への招集があるわ。情報屋ハイエナの噂話の件で動くって」


「ハイエ――ああ、例のあれか」


 団長であるアイオロスが懸念事項と言い切った、あのモノケロス横流しの件。

 しかし、開放日リリース・デイが四日前に迫ったこのときに〈ワールド〉に招集とは、アイオロスの中で懸念が危惧へと変質したのかもしれない。

 つまり〈ジェニュエン〉に悪影響を与える要因がそこにはあり、それを前以て除去しようということなのだろう。


「場所は観光地でもあるロローの町。本当だったら浜辺でパラソル開いて優雅に過ごしたいところだけど、たぶん対人戦デュエルね」


「デュエルってことは指揮するのって……」


「ミス・サクランボ」


「ナイトホロー副団長か」


 焔騎士団随一の戦闘狂であるナイトホロー。

 彼女の男勝りでさばさばした性格は嫌いではないが、一にデュエル、二にデュエルのそのデュエルに対する執着心はやや、いやけっこう苦手な神薙だった。


 任務が終わった後も、デュエル行脚あんぎゃに付き合わされそうだなぁとゾッとしたところで、アイヴィーが「ちゃんとメール見ておくのよ。それじゃあね」と顔を離す。

 屋内に戻るらしいが、そもそもの屋上に来た目的はなんだったのだろうか。

 それをアイヴィーの背に向けて問うと、彼女は手に持っていた赤いランチバッグを揺らして見せた。


「一緒に食べようと思っていたのだけど、邪魔しちゃ悪いから」


 屋上から消えるアイヴィー。  

 そこで、ようやく窮地から脱したのか、陽菜の「ああ、死ぬかと思ったぁっ」との声が、横で元気よく聞こえた。


「大丈夫か?」


「うん、なんとか。あれ? 水瀬さんは?」


「やっぱり中で飯食べるって戻ったぞ。し、しっかし水無瀬さんも訳わからないこと言うよな。陽菜が俺の彼女だとか、それに俺が大の巨乳好きとか、ホント意味わかん……――ん?」


 陽菜が神薙を熟視している。

 形容し難い圧迫感で額に汗がにじんできたところで、ようやく幼馴染は声を発した。


「私って錬ちゃんのなんなのかな」


 なんだそれは。


「は? な、なんなのってそりゃ、幼馴染だろ、うん」


「だよね。でも水無瀬さんは錬ちゃんの彼女だって断定していたよ」


「いや、それはほらっ、一緒にいるからそう見えただけであって……お、お前にとっても俺は幼馴染だろっ? なっ?」


 自分でも惨めだと思えるほどの狼狽うろたえっぷりである。

 仮に陽菜が『彼女』になったところで、今までと特に変わらないだろうと思ったのも束の間、幼馴染から『彼女』になった途端に進めるステージにスポットライトが当たって、それはいくらなんでもまだ早すぎるだろと神薙は思考をシャットアウトした。


 それに俺は――。


「うん。大切な幼馴染だよ。そして素敵な王子様」


「お、王子様ぁ? 俺が? なんで?」


 意表を突く回答に、神薙は持っていたカレーパンをポロリと落とす。

 すかさず左手で掴んだのは良かったものの、具の中に突っ込んでしまった親指がカレーまみれになった。


「二年前に私を助けてくれたでしょ。あのときから錬ちゃんはずっと私の王子様なんだ」


「陽菜……」


 気持ちがここにないような陽菜の意識は、あの二年前の出来事を回想でもしているのかもしれない。

 しかしそこには、陽菜を殴り強姦しようとした男の顔もあるはずで、神薙は思わず陽菜の肩を掴んでいた。


「大丈夫だよ。もうただの過去の記憶になっているから」


 神薙の心の内を察したような陽菜。


「そうか。ならいいんだけどな」


 陽菜の肩から手を離そうとする神薙。

 しかしその行為は、彼女の左手で止められた。

 その柔らかな手からの確かな情念が手の甲にじんわりと、それでいて優しく伝わってくる。


「ねえ、錬ちゃん」


「ん?」


「私がもしまた危険に晒されたとしたら、そのときも助けてくれる?」


「当たり前だろ。だってお前は――俺にとって大切な幼馴染なんだから」


 惑うことも躊躇することもなく、すんなりと出たその言葉。

 陽菜は神薙の想いを汲み取ったように左手に力を籠めると、満面の笑みを浮かべて言った。


「ありがとう、錬ちゃん」


 鋭利な罪悪感がちくりと胸を刺す。

 純粋すぎるその破顔が己の密事を見透かすような気がして、神薙は逃げるように蒼天を見上げた。

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