ACT16 残躯流


 剣術。

 それは日本における刀剣で戦う武術。

 関東七流、京八流という東西の二大剣法から始まり、江戸時代には流派が七百を超えるほどに成長した剣術。

 しかし、時代の流れは『剣に術を求める』から『剣に道を求める』への変革を迫り、事実その通りとなった。


 とは言えそれは仮想現実VRの隆盛以前の話であり、2053年である今、剣術の火種は再び世界にあかりをともし始めている。


 剣に道は不要。必要なのは術によって相手をいかにほふるか――。


 それはVRだからこそ許された理念。

 そして神薙は一年で極めた。

 アイオロスに紹介された、ある一つの流派を。

 

 その名を残躯流。

 まるでその場に体躯を残してきたかのように、瞬発的に動くことを旨とした速度重視の流派だ。

 

 しかし極めたと言っても、それは所詮VR内でのこと。

 VRという空間であれば、極論から言って出不精な運動音痴でもいずれ極めることは可能だ。

 脳から出力される信号を読み取ってアバターを操作するだけなのだから。

 そこには肉体的な疲労や苦痛、ましてや身体的なハンデや能力も一切関係がない。

 必要なのは単純な努力だけだ。


 仮にVRである〈ワールド〉だけで遊ぶならそれでいい。

 だが、真に己の体に準拠した複合現実MRでのゲーム、〈ジェニュエン〉でその残躯流を扱うならば、そのさきのステージに進まなければならない。

 それは、アバターが覚えた残躯流の全てを残さず肉体へ刷り込むという行為。


 しかし、それが予想以上に困難を極めた。

 脳は完全に理解しているのに体が全く付いてこないのだ。


 不格好、拙い、無様、サマになってない――。

 最初はVRでの洗練さとはかけ離れたものであり、それらの言葉こそが相応しかった。

 だが何百、何千と繰り返すうちに、脳で思い描いている動きへと徐々に近づいていった。

 

 何度も同じことを繰り返す――。

 それは単純明快でありながら究極の鍛錬法。

 そこに面白さを見出すこともできなければ、充実感もない。

 ひたすら精神をすり減らすだけの、まるで直動軸受けのストロークかのような反復運動。

 

 正に荒行。

 なのに今まで十か月間続けられたのは、〈ジェニュエン〉で絶対に勝ち続けるという鉄のような意志を持っていたからだ。

 

 幸い神薙は一人じゃない。

 団員十二人の意志が寄り集まって、それはとてつもない硬度になってはいるだろう。

 しかし一人でもその意志の強さが弱まれば、そこからあっけなく瓦解する恐れだってある。

 だから続けるのだ。

 

 少なくとも神薙はその一人にはならない。

 仮にその一人が出たとしたら、その分の意志もまとめて自分が受け持ってやる。〈ジェニュエン〉を壊すそのときまで――。


「はぁっ!」


 神薙の声が静かな境内に響く。

 木刀が風を斬り、石畳が靴で擦れ、空気が乱れ振動し、今日もつまらない修練の時が淡々と過ぎていく。



 □■□



「で、昨日の電話はなんだったんだよ?」


 いつもの屋上。

 神薙はカレーパンを一齧りしたところで、陽菜に聞いた。


「ふえっ?」


 するとビッグサイズのおにぎりをガッツリ噛んだところで、彼女はこちらを向いて目を白黒させた。

「それ食ってからでいい」と神薙が言うと、幼馴染は気まずそうな顔で咀嚼そしゃくを開始してゆっくりと嚥下えんげする。

 そして再び、神薙に見向いて、


「えと、なんだっけ?」


「だから昨日の電話だよ。あんなこと言うためだけに電話してきたわけじゃないだろ。なんか他にもあったんじゃないのか?」


「あ、あー、あれね。ないない、ないよ。他意はないって言ったじゃん」


「ってことは本当に、ア――み、水無瀬さんが綺麗だってことだけを伝えたくて電話したってのかよ」


「そうだけど……水無瀬って言うんだあの人。もう名前知ってんだね。違うクラスなのに」


 あ、やべ。


 アイヴィーを水無瀬に言い換え、且つイーヴァとも呼ばなかった瞬時の判断力を自賛したのも束の間、水無瀬もまあまあの着火剤だったことに気づく神薙。

 見ると、神薙に送る陽菜の視線に何やら疑念に似たようなものが見え隠れしている。

 刹那、立場が逆転したような雰囲気が形成されて、不本意ながら神薙が押される番に回った。


「い、いや、それはさ、」


「それはさ?」


「ほら、だからその、えっとさ――」


 しどろもどろも大概にしとけと自分を叱り付けようとしたその時、


「マンホール愛好倶楽部のオフ会で会ったことがあって、そこを本名を教え合ったのよ。ね、神薙君」


 噂のアイヴィーこと、水無瀬イーヴァが現れた。

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