ACT13 喫茶店


 圧縮空気が抜けてプシューっと音がする。

 ドアが左右に開かれると乗客が雪崩なだれのようにホームへと流れていき、すぐに駅全体へと拡散していく。


「ちょっと待って、エクサ」


 電車に揺られて気分でも悪くなったのだろうか、アイヴィーがホームの壁際によって深呼吸をする。


「椅子に座って休むか?」


「大丈夫よ。そこまでじゃないから。でもあんなに混んでる電車って久しぶり。ずっとオジサンの後頭部が目と鼻の先にあって辛かったわ」


 鼻を押さえて微苦笑を浮かべるアイヴィー。

 そこには、『ポマードか何かの不快な臭い』という省略された言語を表情に変換しているのがありありとみて取れて、「それは災難だったな」と神薙も軽く苦笑いを浮かべた。


 移動という概念が再定義される以前は、乗車率百二十パ―セントという常軌を逸したような状態もあったというが、今はどんなに混雑していても八十パーセントくらいだろう。

 VR全盛期という時代に感謝したところで、神薙は眼前の掲示物に意識を向けた。

 

 剣や斧、或いは槍や杖を持った戦士達が描かれているポスター。

 十数人の戦士達はゲームの方向性を極端化したかのように、回りは全て敵といったスタンスで配置されている。

 それは〈ジェニュエン〉のポスターであり、壁の端から端に貼られていた。

 

「へぇ、カッコいいポスターね。でも、杖ってマイナー過ぎよね」


 呟くアイヴィーはそしてハチ公改札へと向かう。

 その先は、渋谷区の中心である渋谷の街が広がる。

 四日後に異世界エラゴンアークへと変貌するデュエルフィールドだ。



 □■□



「にゃるほどね、それで引っ越しをしたと」


 待ち合わせの喫茶店。

 アイヴィーの隣に座る神薙の前には、猫耳ヘアバンドを付けたキャラットが座っている。

 キャラットは秋葉原にいくつも点在するメイド喫茶の一つでアルバイトをしているのだが、その猫耳ヘアバンドはそこの備品だ。

 

 気に入っているからそのまま使っているという話だが、その見た目は〈EAO〉での自キャラクターにそっくりであり、つまりキャラットは(愛くるしい)猫のような顔していた。


「ま、近いほうがいいわな。ところで、その引っ越し先の家にも今度遊びに行っていいか? トレーニングルームあるんだろ?」


 こちらはそのキャラットのとなりに座るクライブ。

 近くのジムで一汗流したあと来たらしいのだが、団員達に『筋肉バカ』と呼ばれるだけあって、タンクトップを着用するその肉体はまるで鋼のようだ。

 ちなみに顔は虎のアニマライトそっくり――ではなく、短髪にややつり上がった目が特徴的な気のいいあんちゃんという感じである。


「もちろんよ。トレーニング機器も最先端のを用意してあるから今度来るといいわ」


「よっしゃ。じゃあお言葉に甘えて早速、明後日に朝から行かせてもらうぜ。なっ、キャラット」


「そうだにゃ。クライブが行くなら、あたしも行こっかにゃ」


 リアルにいても語尾に『にゃ』を付けるキャロット。

 それは神薙が初めて彼女と会った日から変わらない。

 よもやそれがノーマル状態だとは思わないが、であれば一体、いつその『にゃ』を付けずに話すのだろうか。


 あの猫耳ヘアバンドか?

 そういえばいつも装着してるもんな。


 お願いして取ってもらうか、或いは手が滑った感を出して外してしまおうかと割と本気で思ったところで、クライブが神薙に視線を向けた。


「エクサ、お前も来いよ。どうせ暇なんだろ? な?」


「……。え、俺?」


 いきなり名前を呼ばれて神薙は惑う。

 瞬時に今週の予定表が脳裏に浮かび、ピントの合っていない明後日の欄が浮かぶ。

 徐々に鮮明になっていくとそこには、十六時半から『絶対にバックレてはいけない大事な用事』が入っていることが判明した。

 ――しかし十五時半くらいまでなら大丈夫だ。


「どうせだったら一緒に来なさいな」


 笑みを携えるアイヴィーに神薙は頷く。


「オッケー、分かった。行くよ」


 神薙は飲みかけだった炭酸飲料を一気に喉に流し込む。

 そしてコップを机に置くと、それが合図かのように皆が立ち上がる。


「さて、と。じゃあ早速、下見に向かうか。二ヵ所あるダスト共のゲーム開始地点、及び周辺のハイドポイントの確認のためによ」


 ――ダスト。

 それは『原則殺してはならない』という基本的な決まりを嘲笑して平気で破る、リアルなバトルを楽しみたいという大多数とは別種の存在――積極的殺人者だ。

 彼らにとって〈ジェニュエン〉は殺戮衝動を発散させるためのデバイスに過ぎず、そこにプレイヤーとしての常識も矜持きょうじも一切ない。


 そんなダストとデュエルするためにあると非常に助かるのが、ハイドポイントと呼ばれる、『実物体とテクスチャリングの程度の大きい不整合』によって生まれた空間だ。

 

 建物内部には一切入れない〈ジェニュエン〉で身を隠す場合は、基本、建物などの物陰を使うのが一般的なのだが、しかしそれは定石ではない。

 どの角度からも目視不可能な、実物体とテクスチャリングの隙間に身をひそめることが、最上の方法とされている。


 ほとんどの場合において、数のアドヴァンテージで劣る焔騎士団がダストを討伐するには、個人的な能力のほかにこのハイドポイントをいかに有効に活用しているかが、重要な点でもあるのだ。

 

 ちなみにこのハイドポイントの場所は、本来〈ジェニュエン〉参加者が事前に知り得るたぐいのものではない。

 なのに焔騎士団がその場所を既知の事実として共有しているのは、ひとえに団長であるアイオロスの存在があるからだ。


 アイオロスは複合現実管理局の人間と通じている――。


 それが焔騎士団の共通認識であり、アイオロス自身も否定したことはない。

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