1話完結の掌篇集

恵野なつき

星降りの繋ぎ手(お題:『星』と『傘』)



 雨傘や日傘というものはあるのに、『星傘』がてんで普及していないのは些か不公平ではないかと私は思う。雨や雪が降るのと同様に、星が降ることもごく自然な現象であるからだ。

 けれどそれが“自分にとっての自然”であると正確に認識したのは、八歳になる年の春だった。




「おじいちゃん、星が降ってきた!」


 幼い私は張り切って、育ての親である祖父のもとへ報せに行く。おんぼろ屋敷と近所で揶揄されるくらい年期の入った、あちこちから木の板が軋む音の鳴る廊下をぱたぱたと駆けて。

 祖父は、外の気候が一切わからない、窓のない部屋にいる。そこで仕事をしているのだ。集中が途切れないよう、祖父が自ら出てくるまで声をかけない決まりになっていた。ある条件を除いては。

 “星が降ってきたら報せに行くこと”

 それこそが、幼い私の誇らしい仕事だった。


「この前の雨よりかは、弱いよ。目も痛くないくらい」

「ああ、そうか」

「でもね、洗濯物はしまわないとダメかも。星の明かりがうつっちゃうから」

「うんうん、そうだね」


 襖を開きながら口早に伝える幼い私に、不作法を叱る素振りなどつゆほども見せない祖父は、うんうんと頷いた。いつも穏やかに笑って、頷いてくれるのだ。私はそれが、仕事で得られる報酬のように感じていた。

 祖父は「ちょうど一本できたから、試そうか」と言い、私は手を叩いて大はしゃぎで賛成した。できたてのそれ――『星傘』の初陣を見守ることは、とても心が躍るのだ。

 ――軋む古家の奥底で、ひっそりと営まれる星傘工房。

 たった一人の職人である祖父は、私の憧れであり、師匠だった。


「おじいちゃんっ、おじいちゃん! はやく~はやく~!」

「はいはい、今行くよ。……ほらセーコ、傘を開いてごらん」

「はぁい!」


 ご近所さんには決して見られないよう中庭で、緑に囲まれながら空を仰ぐ。手には、祖父から受け取った星傘がひとつ。その時はたしか、白色の傘だった。

 昼下がりなのに妙に夜めいた艶やかな暗さを見せる空からは、ちろちろと小粒の“星”が降っている。触れない金平糖のような形をしていて、色は様々。単純に色があるだけでなく、耀き方が一つ一つ異なる点が、私は大好きだった。明滅を繰り返す星、何かの信号のように時たま強く光る星、オーロラのようになびいて煌めく星。

 ふわふわと空から舞い降りる様を見て、今日の降り方はなんだか雪に似ているなぁ、と思いながら、幼い私は星傘を天高く翳して開いた。


「――おいで!」


 その声に呼応するように、周囲の星たちが私の持つ傘へ引き寄せられてくる。白い傘を、色とりどり耀き豊かな星たちが駆けていく。

 まっさらだった傘はあっという間に、オーロラがぐるっと駆け巡り、星座がそこかしこに咲き、ちかちかと明滅を繰り返す星の宿になった。


「うん、ちゃんと掬えるね。良い傘を作れたようだ」

「そうだね! キレイ! 見て、裏側にもオーロラさんが来たよ」

「おお、おお。それはすごい」


 軒先の屋根の下に佇んでいた祖父が、満足げに頷いている。……いつもと違ったのは、その後だった。

 祖父はふと、これまでに見たことのない真剣な顔つきになり、幼い私に告げたのだ。


「セーコ、星が視える人とそうじゃない人がいるのは、覚えているね?」

「ん? う~うん、なんとなく」

「それはつまり、星を集めて弾く傘を作っても、使えない……使う必要がない人がいるということなんだよ」

「うん……。だからおじいちゃんしか、職人さんがいないんでしょ?」

「そう」


 改まって言われると、視えないなんてもったいないなぁと残念に感じた。けれどもその頃の私は、知らなかったのだ。――視える人の方が希有で、祖父の長い人生の中で巡り逢えた“星降りが視える人”は、私を含めてたった三人しかいなかったことを。

 それを聞いた時の私は、幼い頭がパンクしたのだろうと思う。あるいは、打ちひしがれたのかもしれない。こんなにも素晴らしい光景を一生涯視ることのない人の多さだとか、星傘を懸命に作る祖父の仕事の素晴らしさを知ってもらえる可能性の低さに。

 とてもさみしく、やるせない気持ちになったことを、心が感触として覚えている。



* * * * *



「――だから私は、星傘職人を継いだんだ。視える人々にとっては、雨傘と同じくらい必需品で消耗品だからね。販売ルートの確保は正直悩ましいところだけれども、たまに来るだろ? あの派手な貴人。ああいう、佳い意味で物好きな骨董商が買い付けてくれるから、何とかなり立っているよ。……ってこら! それはまだ試作だって言ってるだろ、触るな! つーか話を聞けっ!」

「え~? いいじゃん、センセーのケチ~!」

「くちの利き方に気をつけろよショウ……お前の夕飯はこれから三日のあいだ特盛りケチャップ丼だ」

「すみませんでしたッ!!」

「はい、素直でよろしい」

「……先生、そのバカは放っておいて、そろそろ中庭に行きませんか? 僕の予報ではそろそろ降り始めます」

「はあ!? バカって言う方がバカで、」

「あ~そういう使い古された台詞を使うあたりがバカなんだよ、五月蠅いな」

「なんだとおおおお」

「ふ、ふたりとも、ケンカはぁ……っ」


 かつて祖父が仕事場として使っていた工房は、二十年の時を経て私の工房になった。古家は昔の装いも残しつつ建て直し、三人の弟子たちと共に暮らしている。

 十歳前後の子どもが集うと、静かな空間というものは消え去る。祖父が厳かに使用していた場所は、もはやある種の教室だ。……否、迷子センター?

 座学はからっきしだが感覚で傘作りを覚え始めている職人肌のショウと、勉学に秀でており未だ謎ばかりの星降りを解明していきたいと志す研究者気質のキリュウ。この二人はあらゆるものが正反対で、毎日ケンカが耐えない。

 そして、もう一人が紅一点。


「け、ケンカは、痛いし、怖いよ……仲良くしようよぉ……」

「ほら二人とも、アマネがケンカやめろってよ」

「「!」」


 鶴の一声とはまさにこのこと。たくさん喋るのが得意ではないアマネの一所懸命な言葉は、たいそう二人に響くのだ。

 星の大降りの日に強い明滅を浴びたアマネは、感情に合わせて栗色の髪が淡く光ったり沈んだりする特異体質。気味悪がられて親に見放されたところを私が引き取り、この工房では最初の弟子……もとい、家族になった。ひょんな経緯で出逢ったとき、ちかちかと明滅する髪を視た私が心からの感想で「綺麗だね」と褒めたら、そんなことを言ってもらえたのは初めてだと大泣きされたのが記憶に新しい。

 アマネのような引き取り方ではないものの、ショウとキリュウも視えることで生きづらさに苦しんでいた。変わり者扱いで、周囲になじめていなかったのだ。ここに来た当初はツンケンとしていたが、同じ年頃のアマネの存在もあったお陰で、次第に解れていった。


 祖父が人生の中で出逢った“星降りが視える人”の人数に、幸運にも私はもう追いついたことになる。おそらく、祖父がもたらした縁なのだろう。そう思ってみることは、とても幸福だった。

 私には生まれた頃から祖父という星の理解者がいて、他界後も思い出が私を護り、孤独感に苛まれることはなかった。けれども、時々思っていたのだ――「仲間が増えたら、星降りの日はよりいっそう美しくなるだろう」と。

 それは、正解だった。


「それじゃあ中庭に行こうか。できたて一号、持って行っていいぞ。ショウ」

「マジ!? やった!」

「ぼ、僕も差したいです……!」

「わたしも……っ」

「もちろん。星は逃げないさ、順番に掬って放ってよし!」

「「はいっ」」

「――オレいっちば~~~ん!!」

「はぁ!? ここはアマネだろうバカ!!」

「っえ、そんなぁ……最後でいいよ……?」

「……そういうところだぞ、ショウ……。まあ奔放に育つが良いとも、うんうん」


 いつかの私のようにぱたぱたと廊下を駆けて、中庭に出てはしゃぐ三人。ちかちか、ふわふわと、星たちは傘に集まり、くるんと振れば愉しげに散らばっていく。巡っていく。

 この光景を視ることのできる私は、素晴らしい日々を生きている。

 星傘を作ることは私にとって――そしてきっと、祖父にとって。幸福を巡らせる、誇らしく誉れある大仕事なのだ。


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