第2話 双子

 わたしは双子だったことがあるそうだ。

 母の胎内でまだ小さな小さな虫のようだったわたしは双子だったもう一人のわたしを少しずつ少しずつ食べるように吸収し、とうとうもう一人のわたしは母の中から消えてしまったのだという。

「お医者様がそう仰ったの」子守歌の代わりのようにその話は繰りかえされた。


 「虻は蛍を呑んじゃったの。虻は二人分なのよ。だからうんと丈夫にお育ちなさい」

「もう育ち切っちゃったよ、お母さん」

「そうねぇ。虻は大きくなったわねぇ」

「だから。虻って漢字で呼ばないで。ひらがなで呼んで」

「でも、これはそうと定まっているものだから」

 我が家には『虫』の付いた字を名前に宛てるという風変わりなしきたりがある。故に母の名は蚕という。消えた妹(本当は妹か弟かわからないくらい小さな存在だったはずなのだが、母は頑として妹説を譲らない。)が蛍。せめて逆に名付けてくれれば良かったのにとわたしは思うのだが、儚い蛍の名はやはり妹のものかもしれない。


「それにしたって、蝶子とかせめて虹子とか……」

「おばあちゃんやひぃおばあちゃんたちがみんな使っちゃったのよ」

 わたしの名前はずっと亡骸を抱えた名前。わたしの影がふっと何かを攫ってはなかなか放さないようにわたしは妹を攫って未来永劫放さない。母はわたしを恨んでるのかもしれない。そんな風に無頓着に妹の存在を消してしまったわたしを「虻」と呼ぶことで罵っているのかもしれなかった。


 母は位牌もない仏壇に毎朝必ず線香を灯す。中にはただ小さながらがらが一つ置かれている。朱と白の古びたがらがら。わたしのがらがらは青だった。手を伸ばすと「これはあなたのじゃありません」とぴしゃっと甲を叩かれた。あれは一歳の頃のわたしだ。障子に映った影がわたしを見ている。わたしは、いつも優しい母が鬼の面に変わったのでそれから目が離せずにいる。一歳の記憶にしては鮮明すぎて、それを思い出す度にわたしは少しだけ目眩を起こす。きっと影の記憶かもしれない。影の記憶に中てられてしまうのかもしれない。


 今朝も線香の匂いが漂う。これももう我が家のしきたりだ。影がぬらっと動いた。また物を攫ってしまっただろう。


「ねぇ、しきたりを破ったらどうなるの?」

「さあ、まだ破った人がいないもの。分からないのよ」母はそっと微笑んだ。

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