第3話 食事

 彼が虫を獲ってきた。体長約1センチ、色はピンク。半円を立てて、その直径部分に足と触覚を付けたような虫である。この虫は群れで生活しているらしく、彼は巣ごとごっそり獲ってきてしまったものらしい。

「これね、習性がね、面白いんだよ」 と、彼は自慢げに話す。

「普段は蟻みたいに地中に巣を作っているんだけど、巣の外で木とか垂直な物に出会うとね、隊列を作って登り降りを繰り返すんだ」


 風呂敷に包んでよいせよいせと運んできた虫かご代わりの水槽の蓋を彼が開ける。湿らせた土がいっぱい入っていて、横から眺めるとアリの巣みたいな迷路になっている。彼が巣穴の横の土に長い棒きれを突き立てると、なるほど。説明通りピンクの虫達は連なって棒きれを登りし始めた。みるみる登って列になって棒のてっぺんに差し掛かると今度は下に折り返す。ずっとそれを繰り返す。

「ね。スゴイでしょう。観ていて飽きないよねぇ」

うっとりと虫達の動きを見つめている彼。そうなんだ。この人こういうの好きなんだ。比重の違う砂粒が落ちて文様を描くのとか、液体の対流とか、ゆらゆら揺れる光の帯とか。そういう系のグッズ、彼の部屋にはいっぱい並んでいたりする。彼の部屋はいつだっておもちゃ箱みたいなのだ。


 でも、虫? わじゃわじゃな虫? 得体の知れないピンクの虫? ヤだ、わたし。こういうの。第一、逃げたらどうするんだろう?

ふと気づけば、既に水槽から脱走したらしき虫どもが部屋の柱を垂直に上り下りしているちょこまかピンクが見えるのである。カーテンにも。本棚にも。あっちのテレビ台でも! ピンクの半円が行列している。


「ね、ねぇ。逃げてる。家中で虫が繁殖してる……」

「そりゃあ、こういう虫を飼っていれば少しは逃げるよ。しょうがないよ」

「しょうがないって、だって、ここはわたしの家なんだよ。お母さんにどう言い訳すればいいの?」

「あ。新しい登り場所を虫が見つけたみたいだね」

 彼がにっこりと笑う。「ほら、登ってる、登ってる。見てみて」 と指差してはしゃぐ。

見るまでもなく分かっていた。虫たちは、床に垂直に立っているわたしの身体を、今登り始めたのである……。


 焦って振り払おうとするわたしを、彼は「大丈夫だから」と言って止めた。そしてポケットの中から何かを取りだす。ジップロックに入った緑のハート型の連なるような葉っぱだった。袋を開くとほんのりと不思議な香りがする。あたたかいようなちょっとだけ酸っぱいような、例えるならピンク色の香りだった。

 彼がそれを床に置くと、虫たちは引き寄せられるようにその葉っぱに集まって、しばらくうごうごとざわめいていたが、葉っぱが喰われていくうちにやがてその動きを止めた。ピンクの虫はゆっくり溶けてやがて乾き、ピンク色の小さなかたまりになった。「これ、卵だよ」と彼が言う。彼は博学なのである。


 結論。虫の卵はとても美味しかった。砕いて煎って二人してむしゃむしゃ食べた。むしゃむしゃするにはちょっともの足りない量だった。ピンクの香りと味がした。「この虫、繁殖力強いから」という彼とヤミツキになって毎日のように食べているうちに虫はとうとう駆逐されてしまったのである。


 彼はその虫のいた川原に今も時々通っている。でも、どんなに探しても垂直ピンク虫は見つからないのだそうだ。もしかして、彼が虫の養殖を始めていたら、わたしたちはもう虫ばかり食べて食べて、虫を主食にするようになっていたかもしれない。そうしたら、わたしたちは何か別の生き物にいつか変わっていたかもしれない。彼が貪欲な人じゃなくって良かった、とわたしは思っている。

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