第96話 狂気再誕

 炎司は最後の敵を見据える。


 この街に垂れ流していたものをすべて吸収したとしても、以前のような巨大な質量はなうはずだ。だから、あそこにいるのはただの残骸。だが――


 どうして、人型になったのだろう? そこが気になる。もしかして、なにか――


「いや、驚いた」


 人型の残骸が声を発する。その声は、間違いなくルナティックのものだった。どうして、ルナティックの声が聞こえるのだろう? あいつは、倒したはずなのに。


「ふむ、この様子を見た限りだと、本物の私はやられてしまったらしい」


 他人事のようにそいつは言う。気がつくと、それは先ほど倒したルナティックの姿になっている。なにが、どうなっている?


「お前は、ルナティックなのか?」


「その問いにはイエスともノーとも答えられるな。なにしろ私は、奴が保存していた自分のコピーだからな。だから、私にはきみに倒された記憶もない。きみがなにをしていたのかも知らない。なにしろ。先ほどの崩壊であの巨大な黒い塊の最奥にいた私が目を覚ましたのだから」


 以前と同じように、ルナティックは滔々と喋る。だが、どこか違うように思えた。


「あれだけのエネルギーが解き放たれて、私が残骸として残ったのは奇跡としか言いようがないな。実にツイている。まあ、本物の私が保存していたものはすべて失ってしまったわけだが、流れは私の方に向いているだろう。きみは、とんでもない力を二度も使って満身創痍だ。どうせきみを倒さなければ、私には安寧は訪れないしな。やるしかあるまい」


 やれやれとため息をついてルナティックは言う。


 炎司は、無言のままルナティックを見つめていた。いつでも飛びかかる体勢だったが、なにか危険を察知して、動けずにいたのだ。


「どうした? 来ないのかね? それとも私に飛びかかれないほど疲れているのかな? であるならば、どうしようか。いや、どうしようもこうしようもないな。きみを始末しよう。奴の偽物であろうと、私だって『裏側の住人』だ。守護者とは敵対する運命にある。戦おうじゃないか。それが我々に与えられた定めなのだから。それに、私の力も変質しているようだしな」


 炎司は荒い息を整えて、ルナティックに相対する。


 こいつは、一体なんだ? 確かにこの言動、ルナティックであることに間違いない。だが、どこかおかしい。炎司の本能がそれを告げていた。奴は、なにかが変質している。それはなんだ?


 待て。いまのルナティックは保存していたものをほとんど失っている。であるならば、奴の戦闘力はかなり弱まっているのではないだろうか? 奴の力は、大量のエネルギーを保存していたからこそ強大だったのだから。


 身体は焼き切れそうなほど熱を持っている。もはやこれは常人の体温ではない。鉄すらも蒸発するほどの温度だろう。そんな状態で、どこまで戦えるのか。まずは、この状態をなんとかしたほうがいいのではないか? 奴が街に満ちていた黒い水を吸い取ったおかげで、残っている脅威はいま目の前に現れたルナティックだけだ。タイムリミットはもうすでに存在しないが――


 あれを、あの狂気の男を放置するわけにはいかない。身体が焼き切れそうなほど熱くとも、戦わねばならない時があるのだ。炎司は、自分に言い聞かせる。


「おや、来るのかね? では私も遠慮なく行こう。新たな私の力を見たまえ」


 ルナティックは宙を蹴り、一気に炎司に近づいた。それから掌底を放ってくる。掌底? 何故、そんな攻撃を仕掛けてくる? あいつの能力は自分が保存している力を操る能力のはずじゃあ――


 困惑に襲われながらも、炎司はルナティックの放った掌底を回り込むようにしてかわした、かに見えた。


「な……」


 ルナティックの掌底が身体の脇を通り抜けたその時、炎司の身体がルナティックの放った掌底に引き寄せられていく。考えられないほど強力な力で引き寄せられた。腕はそのままルナティックの掌の前に引き寄せられていく。腕が折り畳まれ、ねじ曲げられ、引き伸ばされていく。


 引き寄せは、腕を巻き込んだだけでは止まらない。そのまま身体すらも呑み込もうとする。このまま巻き込まれるのはまずい。炎司は強く宙を蹴り、引き寄せる掌から脱する。炎司の腕は、考えられないほど細く引き伸ばされていた。炎司は細く引き伸ばされた腕を自ら切り落とし、新たな腕を再生させる。


「相変わらず忌々しい力だ。そのまま呑まれてしまえばよかったものの」


 鋭利な視線を炎司に向けながら言うルナティック。


 なんだ? どうなっている? ルナティックの力が明らかに別のものになっているのは何故だ? あんな引き寄せる力など、使っていた覚えはない。


「困っているようだが、種明かしをしてやろう。私の能力はエネルギーを操り、変換し、保存する能力ではなくなっている。何故かは訊かないでくれよ。私にだってよくわかっていないんだ。恐らく、大質量を誇る貯蔵物の残骸を混ざり合ったことが原因だと見ているが――まあ、そんなことはどうでもいいな。私の力は、重力を操るらしい」


 重力。それは万物に存在する力の一つ。四つの力の中で一番弱く、それでいで一番不可思議な力。


「私はいま自分の掌に強力な重力を発生させていた。きみはそれによって引き寄せられ、腕を巻き込まれてスパゲティ状にされたのだ。


 さて、私の力が変質したわけだが、これは実に都合がいい。この力さえあれば、きみを地球から切り離せるかもしれないのだから」


「……なに?」


「重力というのは常に引力だ。運動していなければ、強い重力場に落ちていくのは必然だ。であるなら、極限まで強い重力がきみを襲ったらどうなるだろう? この世界においてもっとも速い光すらも脱出できないほど強い重力にきみを巻きこめば、きみを完全に地球から引き離せる」


「な……」


 その言葉を聞いて、ぞっとした。


「だが問題は、それをやると私にも手出しができなくなってしまうところだな。下手に弱めることもできないし、かといって私にはもうすでになにかを保存する力は存在しないから手もとに置いておくこともできない。そもそも、そんなものに近づいたら私だって呑まれてしまうしな。重力を操れるのだから、それすらも操れるかもしれんがね。まあ、もっと言ってしまえば、私の力でブラックホールを生み出せるのかという問題もあるが――できたとしてもそれ以上はできないだろう。倒せるが、殺せないといったところか。どうしたものだろう。悩ましい」


 天を仰ぎながらルナティックは言う。


「まあいいか。そこまで重力を強くする必要はないだろう。きみが脱出できない程度に強く、私が持て余さない程度の重力の強さを見つけるとしよう。悪くない妥協点だ」


 ルナティックがそう言うと、身体を四方から引き寄せられた。両手足の近くに重力場が発生したらしい。強力な重力場によって、身体が引き延ばされていく。炎司は、自分のまわりに発生した強力な重力場から脱するために、胸あたりからエネルギーを噴射して加速してそこから脱出する。


「甘い!」


 ルナティックがそう言うと、今度は炎司のまわりに次々と爆発が起こった。圧倒的な熱が身体を焼いていく。


「私が作り出した重力で、きみが放ったエネルギーを巻き込んで莫大な力を生み出した。要はクエーサーを作り出す原理だな。いや、それにしてもこの力は面白い」


 炎司にまわりでエネルギーを巻き込みながら、猛烈な力を生み出すクエーサーから逃れるため、炎司は宙を蹴る。


 どうする? 下手に近づけば、重力によって囚われる可能性がある。それだけは、なんとしても避けなければならない。


「いいのかな。私はこの場に重力場を何個も仕掛けているぞ」


 ぐわん、とそこで身体が強力な力によって引っ張られる。炎司の背後に、強力な重力場が作られていたらしい。そこから脱するために炎司はさらに加速する。


 だが――


 今度は別の重力場に引き寄せられる。強い重力場はほぼ不可視だった。光すら脱出できないほど強いものだったら見えるかもしれないが、そうではない場合は空間が歪んでいるだけだ。戦いの最中、その歪みを見ながら戦うというのは難しい。


 いや、駄目だ。そんなことは言っていられない。ルナティックが作り出す重力場を見ながら戦えなければ、負けるだけだ。奴はまだ、変化した自分の能力を把握しきれていない。いまが倒すチャンスなのだ。奴が、ブラックホール級の重力場を生み出せるようになったらおしまいだ。やられるしかなくなってしまう。


 見る。

 見る。

 見る。


 いまの炎司の目は、人間と同じものではない。その気になれば、電波だろうがガンマ線だって見えるはずだ。強い重力場を捉えることだって――


 炎司は思い出す。


 強い重力場を見る方法を。

 空間の歪みを見抜く方法を。


 知っているはずだ。


 思い出せ。


 見える、見える、見える。


 仕掛けられた空間の歪みが、強い重力場が見える。仕掛けられた重力場がどれだけの力を持っているのかすらも見える。そのすべてを高速で移動して重力を振り切り、両腕に力を込めて、ルナティックに向かって炎を放つ。


「重力場すらも見えるとは恐れ入ったが、残念だったな。それくらいは織り込み済みだ」


 ルナティックがそう言うと、炎司が放った炎がどこかに吸い込まれていく。重力によって、引き寄せられたらしい。


「仕掛けられた重力場で捉えられないのであれば、こうしよう」


 ルナティックは手を伸ばした。すると、炎司の身体が、その手に捕らえられたかのように動かなくなる。


 そして――


 炎司の身体は、徐々にルナティックの伸ばした手によって引き寄せられていく。なかなか脱出ができない。徐々に、徐々に引き寄せられていく。


「重力というのは常に引力だ。それはきみにも私にも存在するが、あるように思えないのは、重力という力があまりに弱いからだ。


 だが、私はその力を操ることができる。であるならば、私が引く力も強くできるわけだ。どうした? 私の重力を振り切ってみたまえ。きみは強大な力を持つ守護者なのだろう? 猿回しのように私のまわりをまわって見たまえよ」


 炎司はさらに強く抵抗した。しかし、ルナティックの引く力はとても強い。その力が、世界に存在するもっとも弱い力とは思えないほどに。


「まだ抵抗するか。では」


 そう言って、ルナティックは宙を蹴り、炎司に近づいてきた。


「さらにもう一つ。重力というのは距離の二乗にその力が弱まる。では、近づいたらどうなるだろう? 言うまでもない。近づけば近づくほど、強くなるのだ」


 ルナティックの掌底が重力に囚われた炎司の腹に突き刺さる。

 それは、音を立てながら炎司の身体を引きのばしていった。

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