第86話 狂気を打倒せよ

 宙に飛び上がった炎司とルナティックは地上から五十メートルほどの高さで静止する。互いの距離は十メートルほど。まわりが腐っていくような緊張感が互いの間に走っている。


 炎司は、動かない。


 奴は、まだなにか手段を隠している。それは間違いないだろう。不意をつけないのなら、こちらから攻撃を仕掛けるのは危険かもしれない。どうする? だが、このまま相手の出方を待っているというのも危険だ。いくしか、ないか?


 ……仕方ない。このまま相手を待っていても不利になるばかりだ。ならば、こちらから攻めてしまったほうがいい。


 炎司は宙を蹴り、両腕に炎の力を溜めてルナティックとの距離を詰める。ルナティックは自分のまわりに歪みを出現させ、そこから黒い剣を取り出した。


「はは、もう来るか。若いだけあって血気盛んだねえ、きみは」


 ルナティックは楽しそうな声を上げる。


 戦闘が苦手、そう言っていながらなおも楽しそうにルナティックは笑い続けている。戦いは苦手であっても、負けるつもりはないのだろう。だからこそ、あの狂った男はそんな笑みを見せられる。


 炎司は一瞬でクロスレンジに入り込む。その拳で、一気に打ちぬけば、それで終わる。炎司は、密着した状態で拳に力を溜め、最低限の動作で拳を放つ。


 だが――


 ルナティックを殺し得る炎司の拳はルナティックの手に止められた。炎司の拳を止めた手は、一切の破壊がもたらされていない。これは、一体――


「戦いは苦手だが、私にだって苦手なり心得というものがある。なにしろ長く生きてきているからね。きみの拳や蹴りを防ぐ手立てなどいくらでもあるのだよ。驚いたかな」


「くっ……」


「せっかくきみの方から近づいてくれたのだ。きみの腕ももらっておこう」


 ルナティックはそう言い、大根でも引っこ抜くようかのように、炎司の腕を引っこ抜いた。炎司の腕が根元からごっそりと持っていかれる。一瞬だけ血が流れ、腕はすぐさま修復された。炎司は背後にバックステップし、距離を取る。


「地球がバックアップしているだけあってすごい再生力だ」


 ルナティックは感心するように言い、持っていた炎司の腕を歪みの中に放り込んだ。


『まずいな』


 突如、ノヴァの声が響く。


「まずいって、あいつに身体を持ってかれること?」


『ああ、そうだ。お前の身体はとてつもないエネルギーがある。一度あれを受けたはずだ』


 偽物との戦いで、ルナティックが炎司の腕を変換して放ったエネルギーの奔流。あれは、いままで見たことがないほどすさまじいものだった。この自分の身体も、焼き尽くされてしまうかと思うほど。


『このままいくつも奴に腕や脚を持っていかれてみろ。下手をすれば、この街を焦土に変えかねないぞ』


 その言葉を聞いて、炎司は心音が跳ね上がる。


 この街が焦土と化す。


 そうなったら、別世界の黒羽市で起こった災厄よりも破壊的だ。多くの人が死んで、街は完全に破壊される。それを思うと、炎司の背筋はぞくりと震えた。目的のためには手段を選ばないルナティックなら、それをやりかねない――


「これ以上、あいつに手や足を持ってかれないようにしろ、ってこと?」


『そうだ。いまならばまだ街中に大破壊を起こすようなものではないが、それがあと五、六個集まれば、かなり危険だ』


 いま、ルナティックに奪われたのは手と足一つずつ。それをどのように使ってくるかは見当もつかないけれど、決していい使い方はしないことは間違いない。


 炎司は、再び構え直す。


 これ以上、手足を奪われるのがまずいとなると、迂闊に攻撃できない。どうする?


「おや、どうしたのかな坊や。先ほどまで随分と殺意に満ちていたというのに、いまはだいぶ落ち着いているな。それとも、私に身体を奪われることに脅威を感じているのかな? まあそうだろう。きみに手足の数をそろえれば、この街を焦土にできるわけだから。そりゃビビるよね。だってそうなったらきみが守るべきものはなにもかもなくなっちゃうだけだから。


 だが――


 安心するといい。私はきみから手足を奪うことに変わりはないが、それを使って街を焦土に変えようなんてことはしないよ。なにしろエレガントじゃないからね。それに、私の目的はこの街の破壊じゃない。彼女の復活だ。まだ復活するかどうかもわからない彼女を巻き込んでしまってはなにも意味はないからね。そこは、信用してもらいたいな」


 朗々と、饒舌に話すルナティック。


「ま、きみとこうして話をしていても仕方ないし、こちらから行かせてもらおう」


 ルナティックは黒い剣を手に持ち、宙を蹴る。炎司はルナティックを待ち構えた。一体、なにをしてくるのか――


 ルナティックは一瞬で炎司を手に持つ黒い剣の間合いに入れた。どこを狙ってくる。やはり、腕? それとも――


 炎司を間合いに入れたルナティックは刺突を放った。鋭く、早く、無駄のない動作で行われた一撃。だが、この程度なら捌ける。炎司は両腕に力を溜めて、刺突を捌こうとする。腕に纏う炎に黒い剣の刺突が当たった瞬間――


 黒い剣は爆発した。その爆発の衝撃で炎司は後ろに弾き飛ばされる。


「な……」


「この剣は不安定でね。きみの炎の熱が加わると爆発するのだよ。私はね、きみと殴り合いなどするつもりはない。分が悪いからね。戦いというものは自分の勝てる場に引き込んでやるものだ。私は、きみの場からは徹底的に逃げながら戦わせてもらうよ」


 ルナティックは歪みから黒い剣を数本取り出す。奴がなにをするのか、考えなくても理解できた。


 ルナティックは後ろにバックステップして、両手に持った黒い剣を一気に投擲する。炎司は、自分の向かってくる黒い剣を一発目と二発目を回避。三発目と四発目は拳で軌道を逸らして回避した。


「ははは。そうきたか。そうだよな。だが、一つ忘れていないかね。私の能力はエネルギーの保存と変換と操作であることを」


 それを聞いて、炎司は身体を動かそうとしたものの、遅かった。回避したはずの四本の黒い剣が炎司の身体にすべて突き刺さっていた。一本は腕。一本は足。胴に二本。抜こうとしても、ルナティックによって直接操作されているため、抜くことができない。


「そして、こういうこともできる。操作できるのだから、わざわざきみの炎の熱にさらされなくても、この剣は爆発させることができるわけだ」


 ルナティックが、ぱん、と手を叩くと、炎司の手足と胴に刺さった四本の剣が一気に爆発した。腕と足の大部分、胴の六割ほどが吹き飛ばされる。だが、炎司の再生力はこれほどのダメージを負っても再生しえる。すぐに体勢を持ち直し、反撃を試みようとする。


 しかし――


 身体を吹き飛ばされて動けなくなっていた一瞬のうちに、ルナティックは距離を詰めてきていた。その手には、青白い剣が握られている。その青白い剣は、炎司の鳩尾あたりを深々と貫いた。青白い剣は、剣の根元まで突き刺さっている。


「とっておきだ。受け取ってくれ」


 自分の鳩尾あたりに深々と突き刺さった青白い剣はやはり抜くことができなかった。


「それは、先ほどきみから奪った一部で作ったものでね。ちょっと操作をしてある。さっさとネタバラシをさせてもらおうと、この剣の内側はきみの反物質でできている。きみも大学生なんだから、物質と反物質がぶつかったらどうなるかくらい知ってるよね。この剣を爆発させれば、きみは対消滅を起こす。きみのような若き才能を潰してしまうのは少し悲しいが、私にも目的があるからね。きみには、消えてもらう」


 ルナティックは青白い剣から手を離し、後ろへ飛んだ。


 そののちに、青白い剣は先ほどまでとは比べものにならないほど大きな爆発を起こし――


 火村炎司は消滅した。

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