第71話 新たなる敵
夜になってから、炎司は部屋を出て、宙に飛び立った。地上から自分の姿が見えなくなる程度まで上昇したところで静止する。
「このへんで大丈夫かな」
炎司はそう言って目を閉じた。それから、自身の感覚を極限まで研ぎ澄ます。
それは、今後この街に起こるかもしれない危機に対応するために炎司が思い出した技。いまの強化された身体であれば、同じく感覚だって強化できるのではないかと考えたのだ。
「くっ……」
強化された感覚からは、暴風のように情報がなだれ込んでくる。この街で発せられている様々な音、味、匂いが炎司のもとに一気に押し寄せてきた。その圧倒的な情報量に押しつぶされそうになる。
だが、止めるわけにはいかない。この街には『なにか』が起こり始めている。目の前で人間が消えるという事件。これが『裏側の住人』が絡んでいるとは確定していないが、なんらかの条理を超えたものが関係しているのは明らかだ。それを見極めて、止める。いま炎司にできるのはそれだけだ。ならば、やるしかない。いまの自分には、力があるのだから――
街中の音を聞く。
街中の匂いを嗅ぐ。
街中の味を感じる。
視覚という一番の感覚器官を閉じていても、強化された感覚が捕らえる情報は驚異的な量だった。しかし、炎司の脳は押し寄せてくる圧倒的な情報を処理していく。まったく動いていないのに、自分の体温が数度上昇しているようだった。
たらり、と自分の頬に汗が伝った。強化された感覚はそのわずかな感触すらも大きく感じとる。自分の服に落ちた汗の雫の音をはっきりと聞き取ることができた。
どこだ――
炎司はさらに感覚を強化。こうやって自分の感覚を強化すると、自分が街そのものになってしまったのではないかと錯覚する。だが、それはあくまでも錯覚だ。自分はここにいる。押し寄せてくる圧倒的な情報には屈しない。
声が聞こえた。
この街で交わされている無数の誰かの声。聞こえてくるその多くはどれもたわいもない普通のものだ。これだけ距離が離れているのに、すぐそこで大声で話しているかのように聞こえる。
匂いを感じた。
この街で営まれる生活の匂い。心地いいものも、不快なものも入り混じっている。あらゆるものが混ざり合った暴力のごとき匂いの嵐を一つ一つ嗅ぎ分けていく。
味を感じた。
いまもなお行われている夕餉の味。いまここでそれらを一気に食べているかのようにその味が感じられた。色々なものが混ざりすぎて、味はよくわからない。
もっと遠くへ、自分の感覚の手を広げろ。もっともっともっともっと――
自分がいまできる限界まで己の感覚を広げたところで――
「見えた」
炎司は呟いた。その声すらも大声に聞こえる。
わずかに感じられたのは、人のものではない異質な気配。これは、よく知っている。間違いない、これは――
炎司は目を開き、宙を蹴ってその場に直行する。広げていた感覚はその異質な気配が感じられた場所に集中。高速で動いているはずなのに、やけに遅く感じられた。
異質な気配に向けて、炎司は接近する。敵の姿が見えた。見えたのは二人の人間。だが、間違いなくその二人のうちのどちらかは異質な気配を放っている。どういうことだ?
「ほう……」
炎司が地面に着地する瞬間、そんな声が聞こえた。二人いたうちの一人の声だ。金髪の外国人。その声を聞いて、炎司は姿勢を空中で変更し、その金髪の外国人に向かって突撃する。両腕に炎を纏わせ、首を一気に刈り取ろうとした。炎を纏わせた右腕を振り上げ、すれ違いざまに――
「ふん」
金髪の外国人は短くそう言って、後ろにステップする。首を刈り取ろうとした炎司の腕は空を切った。炎司は体勢を立て直し、金髪の外国人に相対する。
「ひ、ひぃ……」
もう一人の男の悲鳴が聞こえた。その悲鳴を聞いて、炎司は「早く逃げてください」と言う。金髪の外国人への警戒は切らないまま、もう一人の男を覗き見る。もう一人の男は、足早に逃げていった。それを確認したあと、炎司は再び金髪の外国人のことを見た。
「驚いたな。まだ大丈夫かと思っていたが、少しばかり暢気すぎたらしい」
金髪の外国人は、突然現れた炎司に驚いていない。むしろ、それは起こるべくして起こったと言いたげな口調であった。
「お前……なにをしていた?」
「なにを? そうだね。私の理想の世界を作るための準備といったところか」
金髪の外国人は答える。その口調にはまったく澱みがない。
「なんだそれは? と言いたげな顔をしているね。だが、私にそれをきみに言う義理はない。私の作る世界にはきみのような存在は必要ないのだから」
炎司を恐れる様子もなく金髪の外国人は語る。その口調には、どこか似た色を感じさせる。これは――
『こいつ……』
ノヴァが声を響かせた。いつも冷静なノヴァが驚くような声を出したので、炎司はどきりとする。この男を知っているのだろうか?
「しかし困ったな。守護者との戦いは覚悟していたが、こうも早く戦うことになってしまうとは。もう少しゆっくりとしていたかったが、人生というのはままならないものだ。だからこそ楽しいのだが」
「お前は……何者だ?」
炎司は金髪の外国人に問いかける。
目の前にいるこの男が放っている気配は、『裏側の住人』ものだった。だから、奇怪な姿をした怪物が現れると思っていたのだが、これはどういうことなのだろう?
『炎司』
ノヴァの声が聞こえた。青色のその声は、目の前にいる男に対して、最大級の警戒が感じられるものだった。
『あの男を殺せ。事情はあとから説明する』
ノヴァは、あの金髪の外国人のことを知っているらしかった。何故、『裏側の住人』の気配を放つあの男のことを知っているのか気になったが、いまはそれを聞いている場合ではないのは明らかだ。わかった、と心の中で炎司は頷いた。金髪の外国人との距離は八メートルほど。炎司であれば、一瞬で詰められる距離。
「お、なんの相談だ? きみに力を与えている地球の精霊から、私を殺せとでも言われたのかね? だろうな。一応私は『裏側の住人』だからな。そう言われるのも無理もない。
だが、きみたちにとって殺すべき敵だからといって、私は殺されてやるほど優しくはなくてね。精々抵抗させてもらおう。貯蔵は充分にあるしな」
金髪の外国人は手を広げる。すると、彼のまわりの空間が歪み、無数のなにかが飛び出してくる。それが見えた炎司はとっさに炎の壁を出現させた。歪みから飛び出してきたなにかが炎の壁に突き刺さる。炎の壁に突き刺さったそれを、払いのけようとした瞬間――
炎の壁に突き刺さっていたそれは、爆発し、炎司の身体を大きく弾き飛ばした。弾き飛ばされた炎司は、空中で体勢を整えて止まる。目の前にいた金髪の外国人の姿が消えていた。
「さすがだな。この程度ではやられてくれないか」
背後から声が聞こえた。その声を聞いた炎司は背後を振り向く。金髪の男は手に持った黒い剣を振り下ろしてくる。反射的に腕に炎の力を集めてそれを防御。腕に溜めた炎の力を破裂させて、上から圧しかかってきた金髪の外国人を吹き飛ばし、地面に着地する。
「不意をつかれてもやられないか。なかなかできる。さすが、彼女を倒しただけの守護者だけはある」
金髪の外国人はそう言いながら炎司より遅れて地面に着地する。ダメージは一切ないように見えた。
「これも私が超えるべき試練ということか。神というやつもなかなか酷なことをする。まあいい。この街での、私の目的を果たすためにはきみは超えなければならん存在だ」
金髪の外国人は満足そうに言いながら空間を歪ませ、再び黒い剣を取り出した。それを見て、炎司は再び構え直す。夜の街に、ぴりぴりとした緊張感が伝わった。
「さて、きみはどこまで私を楽しませてくれるだろうか。私個人としては、さっさとやられてほしいところだが」
金髪の外国人はそう言って、手に持った剣を放り投げ――
それは、一気に巨大化し、炎司の視界をすべて埋め尽くした。
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