第70話 不穏なる開幕

「偶然だね、こんなところで。アイス食べに来たの?」


「うん、まあね」


 炎司はそう言って隣に座るノヴァを見た。


 まさか、こちらの世界でもノヴァと一緒にいるところを見られてしまうとは思わなかった。いや、彼女も生活の中心はここなのだし、これはいずれ起こりうることだっただろう。こちらの世界では文子とはただの同じゼミを履修しているクラスメイトに過ぎないから、一緒に見られて気まずいというわけではないが、それでも、ノヴァのことをなんといえばいいのかわからない。


 どうしよう、と悩んでいると――


「その娘は誰?」


 当然のことなら、文子は炎司と一緒にいたノヴァについて訊いてくる。


「えっと、その……」


 炎司はなんと答えたらいいのか困って口ごもった。よさそうな嘘が出てこない。ノヴァは明らかに日本人離れした容姿だから、自分の親戚では通らないだろう。なにか、ないのか? どうしてこういう時、自分の口は回ってくれないのだろう。もっと回ってくれる口が欲しかった。就活とかでも便利そうだし。


「私のことか?」


 自分のことを訊かれているらしいとわかったノヴァはそんな声を出す。


「まあ気にするな。親同士が知り合いでな。その伝手でここに滞在している。ちょっとやることがあってな」


「はあ」


 文子は困ったように首を斜めにさせる。


「安心しろ。用が済めば私は去るからな。クラスメイトを寝取るような真似はせんよ」


「いや別に、火村くんとはそういう関係じゃないんですが……」


「ん? ああそうだったのか。勘違いしていた。まあ、とにかく私のことは気にせず、大学生活を謳歌するといい」


 ノヴァの勢いにまくし立てられたのか、文子はそれ以上なにも言ってこなかった。しばらく無言の時間が続いたのち、「アイス頼もうか」と言ってカウンターに向かった。


 なんか面倒なことになったなあ、と思いながら残ったアイスを頬張っていく。冬だからアイスが硬くてなかなかスプーンからすくえない。炎司が硬いアイスに苦戦していると――


「ここ、いいかな?」


 アイスを持った文子が訊いてくる。断るわけにもいかず、炎司は「いいよ」と言って頷いた。文子が炎司の前、大河はノヴァの前に座る。


「アイスなんて食べるんだね」


 文子がこちらを向いて、不意にそんなことを言ってきた。


「そりゃまあ、食べることもあるよ。今日はこいつが食べたいって言ったから来たんだけど……」


 炎司は隣に座っているノヴァに指をさす。


「仲良さそうだけど、もしかして火村くんの家にいるの? 彼女」


「まあ、そういう……ことに、なるかな……」


 ノヴァとはまったくいかがわしいことなんてしていないのに、何故か糾弾されている気持ちになってくる。


「まあ、お互い同意しているのならわたしはなにも言わないけど」


 わたしは火村くんのお母さんじゃないし、なんてことを言ってはははと笑う。


「一つ、訊きたいんだけど」


「なに?」


「最近、なにかおかしなこと起こったりしてない?」


 いまのところ炎司やノヴァから異常は確認できていないが、別の誰かが確認している可能性もあるだろう、そう思って炎司は訊いた。


 それに、別世界の文子は『裏側の住人』を認識できる人間だった。であるなら、こちらの彼女も、なにか起こっているのならその異常は察知できる可能性がある。


「おかしなことねえ、あの一ヶ月前の事件から特になにも起こってないけど……あ!」


「……なにかあるの?」


「おかしなことは起こってないけど、おかしな奴に話しかけられた」


「なにそれ。ちょっと訊かせて」


「まあ、話しかけられたのは私じゃなくて大河なんだけど、授業終わって帰ろうとしたら、いきなり三十過ぎの金髪の男に話しかけられたんだよね。ただ、道を教えてほしいとかそういうのじゃなくて、なんていうんだろう、見定めているような感じでさ。それで結局人違いだったのか、ぶつくさ誰かに聞こえる音量で独りごと言いながら離れていったんだよね」


「なにそれ? なんかやばそうじゃん。大丈夫なの?」


「一応、大丈夫だと思う。わたしも大河もなにもされていないし。もし、粘着されるようなら学生課にも警察にも相談するから心配しないでよ」


 文子は明るく言う。別世界での彼女はもっと暗い感じだった気がするのだが、もしかしたらいまのように明るいのが本来の彼女なのかもしれない。


 炎司は隣を見る。


 隣ではノヴァがアイスを食べながら大河のことを睨みつけていた。大河のほうはというと、日本人離れした容姿の娘に睨みつけられてびくびくとしている。止めるべきだろうか、と炎司が悩んでいると――


「あ、もう一つあった」


 と、文子は手を叩いてそう言った。炎司はそちらに振り向き直す。


「そういえば最近、人間が消えるらしいの」


「人間が消える?」


「そ。わたしの先輩が見たって言ってるんだけど、さっきまでそこにいたはずの人がいきなり影も形もなくなっちゃったんだって」


「…………」


 いきなり人間が消える。それは確かに大事件だ。道端で手品などするわけがないだろうし、そうなると――


『裏側の住人』だろうか?


 いや、『裏側の住人』は、普通の人は認識できないし、仮に認識できる人間が襲われたのなら、「消えた」ではなく「食べられた」と言われるのではないのだろうか。『裏側の住人』は、自分を認識できるものに襲いかかって、こちらの世界での影響力を手に入れようとするはずだから。


「……どうかした?」


「いや、気にしないでくれ。物騒な事件が起こっていると思ってさ」


 空になったカップを置いて、隣を見る。ノヴァはまだ大河のことを睨んでいた。


「なにやってんだ」


 炎司はそう言ってノヴァの頭にチョップする。


「なにをする?」


 チョップされたノヴァは炎司の方に顔を向ける。


「なんだか知らんけど睨むなよ。怖がってるじゃないか。食べ終わったから帰るぞ」


「む、そうか。では帰ろう。もうそろそろ暗くなってきたしな」


 ノヴァはそう言って立ち上がった。炎司も立ち上がる。


「それじゃ、お先。また大学で」


 炎司がそう言うと、文子と大河それぞれ「じゃあね」と手を振った。それを見てから炎司とノヴァは店を出る。彼女たちの姿が見えなくなったところで、ノヴァが姿を消す。それから――


『お前』


「なにさ」


『あの女、どう思う?』


「女って、木戸のこと?」


『そうだ。あいつ、別世界の奴のよう邪悪だと思うか?』


「俺には普通の女の子としか思えないけれど。もしかして、なにかあるの?」


『いや、そういうわけではない。少なくとも、いまのところはな。だが、ここの娘も、あのイカレ女も本質的には同一人物だ。こちらの娘は、あのイカレ女のように狂気を抱えている可能性は充分あり得るだろう』


 そう言われると、なにも言い返せなかった。


 できることなら、こちらの大河は普通であってほしい。別世界でのあの惨劇は、別世界の大河が持つ底知れない狂気のせいだったのだから。


「まあ、いまの段階ではなんとも言えん。だから一応、マークをしておいた。なにかあればすぐに確認できる。一応、要注意としておこう」


 要注意。確かにその通りかもしれない。なにしろ、この世界で別世界の大河が蘇るという出来事が起こっている以上、彼女に対する警戒を外すわけにはいかない。


「そういえば、人間が消失する事件が起こっているらしい」


『……ほう』


 ノヴァの声音が変わる。


「これはどう思う?」


『いや、まさかな。あれがここに可能性は確かにあるが――まだ確定したわけではないか』


「どうしたの?」


『お前、このあとは大丈夫だったな?』


「え? うんまあ。今日はバイト入ってないけど……」


『念のため、調べたいことがある。夜になったら出るぞ。いいな?』


「人間消失事件は『裏側の住人』が?」


『……まだ確定したわけでないからなにも言えん。が、もしかするともっとヤバいものが来た可能性がある』


「…………」


『裏側の住人』よりもヤバいもの? それはなんだ? 嫌な感触をするものが背中を撫でていく。


『日が落ちたら出るぞ。杞憂だと思うが、万が一ということもある』


 なにがなんだかわからないが、今日の夜は外に出ることになった。

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