第72話 狂気の男

 なんだ? あの男はなにをしてくる? 目の前に広がった黒い空間に炎司は身構えた。広がった黒い空間は炎司を飲み込むべく一切音を立てずにこちらに向かってくる。


 あれに呑まれるのはまずい。炎司はそう判断を下し、向かってくる黒い空間に向かって炎を放ち、自身は空中に離脱する。黒い空間は炎司の放った炎によって燃えて、溶けていった。


「ほう、空を飛べるのか。思ったよりもできる守護者のようだな」


 宙に浮かぶ炎司を見上げながら抑揚のない口調で言う。まるで、以前自分のように空を飛んでいるのを見ていたかのようだ。


「だが、いいのかね? 宙に浮くということは、三百六十度、あらゆる方向から攻撃を受けることになるぞ」


 金髪の外国人は手を振ると炎司のまわりに黒い空間の歪みが出現した。歪みから銀色の鎖がいくつも飛び出してくる。炎司はとっさに宙を蹴って動き出したものの、鎖の一本が炎司の足首に絡まった。動きを止められる。動きを止められたところに他の鎖が炎司に向かってきた。腕と残った足で鎖を弾いていくが、動きを封じられている状態ではそれも敵わない。気がつくと、残った鎖は炎司の四肢を縛りつけていた。完全に動きを封じられてしまう。


「く……」


「なかなか修羅場はくぐっているようだが、まだまだ経験が浅いな。実に甘い。砂糖菓子のようだ。私が人間の姿をしているから、躊躇でもしたのかな?」


 金髪の外国人は炎司を挑発する。


「いまの私としてはきみをこのまま放置しておくのも一つの戦略だが、守護者であればあの鎖で留めておけるのは十分にもなるまい。さて、どうしたものか。守護者を殺すのは骨が折れる。そもそも守護者を殺すとなった私の貯蔵をすべて使い切る覚悟が必要だ。私の力で『変換』できるまで弱らせるのも難しい。拷問趣味があるのなら、拷問してもいいが、生憎私にはそのような血生臭い趣味はない。困ったな……」


 炎司に背を向けて、腕を組んで炎司のまわりを歩き出す金髪の外国人。まるで、炎司のことなど興味がないようだった。


「くそ……」


 すぐ近くで隙だらけの敵がいるのに、動きが封じられている。どうすればいい。簡単だ。この鎖を破壊すればいいだけだ。だが、この鎖はいくら引っ張っても千切れる様子がなかった、どうする? 炎司は自分の記憶を漁っていく。なにか、この窮地を乗り越えるために有効な記憶が残っているはずだ。それを思い出せば――


 腕に炎を纏わせ、それを鎖に流し込んでいく。詩音の蒼炎を流し込まれた鎖はすぐに赤熱する。蒼炎によって人智を超えた熱を与えられた鎖はもろくなり、炎司が思い切り引っ張ると、簡単に引き千切れた。戒めを解かれた炎司は地面に着地する。


「おや。もっと捕まっていると思ったが、意外と早かったね。やはりできるな。さすが守護者に選ばれるだけはある」


 炎司の行動に感心するように言う金髪の外国人。


 ……どうも妙だ。この男の言動、仕草。どこかで見た覚えある。そこまで考えて――


 思い出したのは、別世界の木戸大河のこと。

 あいつとどこか似ている。


「お前は……何者だ?」


 炎司は問いかける。


「何者、色々と呼び名はあるけれどね。まあ、言わせてもらうとするのならきみらにとって倒すべき敵だよ」


「…………」


『裏側の住人』ということだろうか? 確かにこの男が放っている気配は『裏側の住人』のものだ。


 だが――


 どうにも、ただの『裏側の住人』だとは思えなかった。なにかもっと、異質な存在のような――


「それにしてもあれだ。きみと本気で戦うとなると、こちらの貯蔵を使い切る勢いでないと駄目そうだ。決めた。ここは退散させてもらおう」


「なに? 逃がすか」


 炎司は地面を蹴って、金髪の外国人に近づく。一瞬で、炎司の手が届く距離まで一気に詰める。そして、拳を振りかぶり、金髪の外国人に向かって放つ。


 しかし、それは目の前に出現した巨大な楯のようなものに阻まれた。拳に堅い感触が広がり、鈍い音が響く。


「ははは、これはプレゼントだ」


 姿の見えない金髪の外国人はそんなことを言う。プレゼント? なんだそれは? 炎司が疑問に思っていると――


 金髪の外国人が前に会った楯を思い切り蹴ったのか、楯に張りついたまま後ろに弾き飛ばされる。楯の質量と後ろから与えられた運動エネルギーによって動くことができない。


 とにかく、楯を破壊しなければ。いくら巨大で重いといっても、炎司の力なら破壊できるはずだ。そう考えて、炎司は思い切り楯に向かって掌底を放つ。


 すると――


 聞こえてきたのは巨大な爆発音。殴られた楯が爆発したのだ。まさか爆発するとは思っていなかった炎司は、その爆発の衝撃と熱を一挙に受けて吹き飛ばされる。炎司がいた場所から数メートルが黒煙に包まれていた。


 くそ、やられた。炎司は宙に浮かびながらそう考える。しかし、後悔している暇はない。あの男を、倒さなければ、ノヴァがあれだけのことを言った相手だ。間違いなく危険な存在に違いない。炎司は身体を修復し、体勢を立て直して宙を蹴る。


 だが――


 爆発に巻き込まれている最中に、金髪の外国人の姿が消えていた。代わりにあったのは――


「――――」「――――」「――――」「――――」


 四体の怪生物。あの男が逃げるための時間を稼ぐために配置したのだろう。着地した炎司は、すぐに構え直し、四体の怪生物を視界に入れる。四体の怪生物はこちらを品定めするかのように炎司のことを見ていた。じりじりと緊張感が支配する。


 すると、そのうちの一匹が飛び出してきた。子犬ほどだった質量を増大させ、巨大な刃物のようになって炎司に向かって回転しながら飛んでくる。炎司はとっさに横に飛んでそれを回避。距離を詰めて残り三体のところへ向かう。


 一番近くにいた怪生物を思い切り蹴り上げた。炎司の圧倒的な力によって蹴り込まれた怪生物はその身体が両断される。


 しかし――


 両断された怪生物はその身体を無数の細かい粒上に変化させて炎司のもとに突っ込んでくる。その粒状のものが炎司に接触すると――


 その小ささからは想像もできないくらい大きな爆発が起こる。爆発食らった炎司の腕は粉々に破壊された。だが、驚異の再生力を持つ炎司は、腕を失った程度では止まらない。腕が失われたとその次に瞬間には腕は見事に修復されている。


「この……」


 炎司は粒状になった怪生物に向かって炎を放った。粒状の怪生物は圧倒的な熱量によって焼き払われる。


 その時――


 背後から音が聞こえたのを察知して、炎司は宙返りする。すると戻ってきた先ほどの怪生物が先ほどまで炎司がいた場所を切り裂いていく。炎司はすれ違いざまに炎を放って、巨大な刃のようになった怪生物を焼失させたのち、着地する。


 残りは二体。気がつくと、炎司は残り二体の怪生物に挟まれていた。両方を警戒しつつ、体勢を整える。


 一気に二体の怪生物が突撃してきた。炎司は両手を広げ、怪生物の頭をつかむ。そして、つかんだ手のひらから炎を放つ。圧倒的な熱量によって、怪生物は溶けたように消えていた。これで終わった。だが――


 本命だった、金髪の外国人はどこにも見えなくなっていた。


 どうする? もう一度感覚を強化して、あいつを追いかけるか――


『やめておけ。それはいまのお前であってもかなり身体に負担がかかる』


「でも……」


『でもじゃない。無理が効くからといって無理をしていればいずれ破綻が訪れる。奴をここでやっておきたかったが、今日のところは諦めよう。くそ』


「ところで、ノヴァはあいつのこと知ってるみたいだったけど、あいつは一体」


『それについてはあとで説明する。ここで話をするわけにもいかんからな』


「そうだね。わかった」


 何事もなかったかのようにあたりは静寂に包まれた夜へと戻っていた。

 炎司は、夜の闇を切るかのように歩き出した。

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