第69話 不穏なる日々は続く
――また会おう。
ひと月前、そう言い残して火村炎司の前から消えた木戸大河の言葉が頭から離れてくれない。
間違いなく、大河は間違いなく倒したはずだ。その手ごたえはいまでもはっきりと思い出せる。『残骸』の力を引き出し、大河に身体を奪われた結果、戦いの果てに死ぬことになった絢瀬力人を殺してしまった罪悪感も確かに残っていた。
だが――
別世界の時のように、大河がなにか手を残して消えた可能性は否めない。あの大河はすでに常識では測れない存在だ。殺されても蘇れる算段があっても不思議ではない。
しかし、街はいまのところ平和だ。一ヶ月前に街中に伝播した混乱の余波もすでに消えかかっている。
なのに、なにか起こるかもしれない。その嫌な予感は炎司の中から消えてくれない。自分のもとからノヴァが離れていないことを考えればそれも明らかだろう。ここひと月は平和だったけれど、近いうちなにかが起こる。もしかしたら、別世界の黒羽市で起こったような惨劇が起こってしまうかもしれない。そうなったら、自分はどうするべきなのだろうか? 炎司はベッドに寝ころんだまま考える。
いや、考えるまでもない。なにか起こったら、『裏側の住人』絡みの出来事がこの街で起こったら、自分がやるしかないのだ。自分にしか、あれに対抗できる力はないのだから。
できることなら、なにか起きる前に防ぎたいところだけど、たぶんそれは難しいのだろう。探偵に事件を未然に防ぐ力がないように、炎司にも事件を未然に防ぐ力はないのだ。起きたことを、起きてしまったことを解決するしかない。そう自分に言い聞かせる。
「…………」
炎司はベッドから手を伸ばし、リモコンを取り、電源ボタンを押す。すると、テレビが点灯した。やっているのは、昼過ぎの情報番組。芸能人がコカインをやって捕まった事件の報道がやっていた。なんとなくそれには興味が持てず、再び電源ボタンを押して、テレビを切った。やっぱり、事件らしきものはテレビで報道されている様子はない。
なにか起こるかもしれない。だけど、それがいつ起こるのかわからない、というのはなかなかに窮屈だ。いつもその『起こるかもしれない』ことに気を取られて、気を張りすぎて、有限のリソースをどんどんと奪われてしまう。
自分は、どうすればいいのだろう。なにかしなければ、と思うのだが、現実にはなにも起こっていないのでなにかするわけにもいかない。平和ならそれでいいじゃないか、なにか起こってから気を入れれば、と思う。だけど、気を抜いているとこの世界に蘇った別世界の大河の言葉が思い出される。まるで、あいつに悪意によって、自分が蝕まれているようだった。
「ノヴァ」
炎司はそう言って、この部屋のどこかにいるであろうノヴァに話しかけた。
『どうかしたか』
ノヴァの声はすぐに返ってくる。明るい、青色が感じられる声。姿は見えない。ただ話すだけなら、姿を現す必要はないと思っているのだろう。
「この街に……なにか起こるのかな?」
炎司はそう問いかける。
『確実に起こる、とは言い切れんが、起こる可能性は非常に高い。なにしろ、この街には人間と融合した『扉』の一部が流れ着いていたのだ。しかも、その力を微量とはいえ拡散され、あまつさえあのイカレ女も復活するという事態が起こった。なにかが起こったという事態はそれだけで意味を持つ。そして、一度発生した歪みはそう簡単には消えてくれない。この街はいま、〈裏側〉に近づいている。〈裏側〉に近づいている以上、なにが起こっても不思議ではない。お前が生きるこの街に、〈扉〉が発生してもおかしくない』
「そっか……」
『なんだ不満か?』
ノヴァは怪訝そうな声を頭の中に響かせる。
「いや、そういうわけじゃないけど。なんというかその、なにか起こるかもしれないのはわかってるけど、それがいつ起こるかわからないってのは結構きついなって思って。できることなら、未然に防ぎたいなって思うんだけど」
『そう思う気持ちは理解できる。だが、我々は起こる危機に対して場当たり的に処置するためにいる存在だ。ゆえに、起こるかもしれないなにかを未然に防ぐほどの力は持っていない』
「探偵みたいに?」
『そうだ』
姿は見えなかったものの、ノヴァの声は頷いているようだった。
危機を未然に防ぐ力はない。ノヴァにそう言われると、何故か安心できた。自分が無力で、このようになっているわけではないとわかったから。
「あのさ、これからこの街で起こる得ることってなにかな?」
『そうだな。一番あり得るのは、この街に発生した歪みを嗅ぎ取って、特殊な力を持つ〈裏側の住人〉が流れ着いてくることだろう。そいつへの対処が遅れれば、〈扉〉が出現してもおかしくない』
炎司が思う以上に『残骸』がもたらしたこの街の歪みは大きいらしい。
巨大な力を持つ『裏側の住人』とは一体どんなものだろう。『扉』と融合した別世界の大河よりも恐ろしい存在なのだろうか? そんなものがこの街に現れて、自分はちゃんと戦えるのか不安だった。
『案ずるな。お前はちゃんと戦えるよ。自分を信じろ。お前はいままでしっかりと戦えてきた。だから必要以上に恐れる必要はない』
どうやら、ノヴァにこちらの不安が伝わっていたらしい。女の子に自分の不安が伝わってしまったことが少し恥ずかしくて、炎司は黙り込んでしまった。
『そんな不安なら気分転換だ。外に行くぞ』
ノヴァがそんな声を響かせたのち姿を現した。光り輝く青くて長い髪が揺れている。もう真冬だというのに相変わらず薄着だった。
「外に行くって、どこに?」
「決まっているだろう。アイスを食いにいくのだ」
「この間、行ったじゃないか」
「この間、行っても今日も行きたいのだ。なんだその言い草は。お前やっぱりアイス嫌いなんじゃないのか? 許さんぞ」
「だから嫌いじゃないけど……まあいいや。行こう」
炎司がそう言うと、ノヴァは「わーい」と子供みたいに喜んでいた。
ノヴァと二人で、駅前のアイス屋に向かう。もうすでに寒くなっているので、アイス屋はそれほど混んでいなかった。今月新発売のアイスを三段で頼み、炎司は抹茶を頼んだ。アイスを受け取ったあと、まばらな店内にあるテーブルに腰かけた。ノヴァは、ただでさえ綺麗な瞳をより輝かせてアイスを頬張っていた。それを見ていると、なんだか微笑ましい気分になってくる。
そういえば、ここでアイス食べているときに、文子と出くわしてしまったことを思い出した。それから、別世界の黒羽市のことを思い出す。あれだけの大破壊が起こった別世界の黒羽市はどうなったのだろう。ちゃんと復興しているのだろうか。気になったけれど、確認するすべはない。抹茶アイスをスプーンですくいとって口に入れた。冷たくておいしい。
「お前」
「どうしたの?」
「なんでいつもカップで頼んでいるのだ? コーンのほうが食べれるしお得だろう。ゴミも少ない」
「いや、そんなにコーン好きじゃないし。なんか鬱陶しくないコーンって」
「なに貴様、さくさくして美味しくて機能的なコーンを侮辱する気か?」
ぎろりと睨みつけるノヴァ。
「侮辱はしてないけどさ……まあいいや。次来た時はコーンで頼むよ」
炎司がそう言うと、ノヴァは「ならばよし」と満足げに言う。どうやら、コーンを侮辱したらしいことは許してもらえたらしい。
それからお互い無言でアイスを食べ続ける。そろそろ食べ終わるか、と思ったその時に――
「火村くん?」
という声が聞こえ、炎司はそちらを振り向くと、そこいたのは、金元文子と木戸大河だった。
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