第3部 イカレた奴が街にやってきたようです

第68話 狂気の男、襲来

 日本という国ははじめて訪れたが、それほど悪くない。私は街を歩きながらそんなことを思った。


「それにしても人が多い。いや、人が密集しているだけかな」


 悪くはないと思ったのは間違いないが、これだけ人が密集していると息が詰まりそうである。とは言っても、この国に言葉では「住めば都」というのがあるらしい。住んでみたら、人の密集具合も意外と気にならないのかもしれない。


「どちらにしても、ここにはしばらくいるつもりだが……果たして」


 私は歩きながら呟いた。思いを馳せるのは、この街で自分でもなし得なかった脅威を成し遂げた女のこと。


「素晴らしいよな……」


 私は、くつくつと笑い声をあげた。彼女がやったことはそれなりに生きた私にもできなかったことだ。『扉』との融合。なんて素晴らしいのだろう。あの扉と融合しようだなんて、私にだって思いつかなかった。どうしてそれを思いつかなかったのか、少しだけ自己嫌悪に襲われる。


 だが――


「それにしても平和だな。扉と融合した人間がいたとは思えない。それだけのことが起こったのなら、もっと街は破壊に彩られているだろうに」


 彼女がいると思われるこの街は平和だった。多少、破壊された部分があるだけで、人間と融合した『扉』があった場所とは思えない。となると、『扉』と融合した彼女がいるのはここではない場所か。


「ままならないものだな。せっかく、異変を嗅ぎつけて流れてきたというのに。宴は終わったあとだったか」


 宴は終わっても、その痕跡は確かに残っている。私にはそれが感じられた。この街、黒羽市は特異な場所だ。いくつかの世界で『扉』が出現し、難を逃れた場所である。こういう場所にはやって来ずにはいられないのが、私という人間だ。無論、彼女と出会いたいというのもあるのだが。


「この世界の彼女は一体どうなのだろう? ここではない別のこの街で、破壊をもたらした彼女と同じなのだろうか」


 会ってみなければ、それはわからない。だが、ここの彼女だって別世界で破壊をまき散らした彼女と同一人物である。仮に、ここの彼女がごく普通の、善良な人間であったとしても、別世界の彼女を呼び起こすことは不可能ではないはずだ。


「そのためには、彼女の残骸の痕跡を集めなくてはならないな」


 この街には以前、残骸を拾った若者が、その力を拡散させようとしたらしい。どうしてその若者がそんなことをしたのか私には興味はなかったが、その彼がそんなことをしてくれたおかげで、私は彼女を復活させられる可能性を見出した。その若者が、この街にばら撒いた微量の『残骸』を集めれば、彼女を復活させられるだろう。


「いいぞ。やはり、人生というのはなにが起こるかわからないものだ。素晴らしい。生きててよかった」


 私は街を歩いていく。至るところに『残骸』の残滓が感じられた。通り過ぎる人から、そこらに落ちている石や葉からそれは感じられる。どうやら、これをばら撒いた若者はかなりうまくやったらしい。私は、『残骸』の残滓が感じられる石や葉を拾い、その力を回収していく。『残骸』の残滓は極めて微量で、これではなにかに影響させられるレベルにまで達するのにかなりの数を集めなくはならないだろう。少し億劫だが、彼女と会うためだ。我慢しなければならない。


「おい、おっさん」


 背後から声をかけられ、私は振り向く。そこには四人の若者がいた。


「……なにかね?」


 私がそういうと、四人の若者はぞろぞろ動き、まわりを取り囲んだ。どうやら、この平和な日本にも、このような輩はいるらしい。


「さっきからなに一人でぶつぶつ言ってんだよ」


 にたにたと勝ち誇った笑みを浮かべながら若者の一人は言った。


「それがなにか問題なのかね? もしかしてきみたちは他人の独り言を許せない病気にでもかかっているのかな?」


 私がそう返すと、若者たちは「ああ?」と脅しをかけてくる。どうやら私がこのように言い返してくるとは思っていなかったらしい。駄目だな、そういうの。想像力が足りていない。


「おい、おっさん」


 若者の一人が近づいてきて、私の胸倉をつかんだ。


「あんまり舐めたこと言ってると、痛い目見るぞ。大人しくしろよ。金を出せ」


 私の胸倉をつかんだ若者は、精一杯脅しをかけるような声を出す。無力な若者が精一杯虚勢を張っているのはなかなか微笑ましいと思ったが、私にはやることがある。さっさとこのやんちゃな若者たちを追い払わなくては。


 私は、私の胸倉をつかんで絞め上げている若者の手をつかんだ。そして、その手を捻る。すると――


「な……」


 若者たちが一斉に驚きの声を上げる。それは当然だ。なにしろ、私の胸倉をつかんでいた若者がいきなり姿が消えてしまったのだから。


「て、てめえ、なにしやがった!」


 若者の一人が声にわずかな恐怖を滲ませながら叫ぶ。


「さて、なにをしたのだろうね。手品というやつは種を明かさないからこそ手品なんだ。残念ながら、私がいま彼になにをしたのかを言う義理はない。


 ところで、きみたちはお金が欲しいのだったね?」


 私がそう言ったのが予想外だったのか、若者たちは素っとん狂な声を上げた。


「ふむ、そこのきみ、帽子をかぶったきみだ。彼を私に貸してくれたらこれを上げよう」


 私はそう言って、札束を取り出した。


「どうかね?」


 私は若者たちに訊く。若者たちは、目の前でなにが起こっているのか理解できないという様子だった。


 だが、若者たちはなかなか答えない。仲間を一人売ることに抵抗を感じているのか、それとも――


「では、こうしようか。その帽子の彼を私に渡さないのなら、きみたち全員さっきの子のように消えてもらおう」


「ひっ……」


 若者の一人が悲鳴を上げた。私のことをまるで怪物を見るかのような目をしている。


「私はあまり気が長くないのでね。さっさと決めてもらおう。あと五秒。四、三、二、一……」


「わ、わかった! そいつをくれてやる。だから金を寄越せ!」


 破れかぶれになった若者が声を張り上げた。その顔には明らかな恐怖が浮かんでいる。


「よろしい。では交渉成立だ。よかったな。なかなかの大金だぞ。盛大に使うといい」


 私が若者の一人に金を手渡すと、二人の若者は一度こちらを振り向いて足早に逃げていった。


「…………」


 帽子の若者は沈黙している。その顔には脂汗が滲んでいた。どうやら、恐ろしいと思われているらしい。それに、なにか言いたそうな顔をしていた。


「あ、あの……俺は、これからなにを……」


「ああ。そんなに身構えなくていい。すぐに終わるから」


 私はそう言って、帽子の彼を手をつかむ。


「え?」


 帽子の彼はそれだけ言い残して、姿を消した。無論、私が消し去ったのである。そして、彼の中にあった『残骸』の残滓を取り出した。


「ふむ……まだまだ足りないな」


 石や葉に残っているものよりは多かったものの、それでも量はわずかだ。彼女を復活させるほどの影響をもたらすためには、もっと集めなくてはならない。


「集めるのなら人間から集めた方が効率がいい。だが、この街には守護者がいる。用心せねばならんな」


 私は、彼女を復活させた先にある理想の世界を思い浮かべながら街を再び歩き出した。

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