第52話 激突

 雑多なものが多数置かれた研究室の中が焼けつくような空気に浸される。炎司は、すぐに詰められる距離を保ち、力人を見据えていた。


 奴の強さはまだ未知数だ。だが、油断をすれば――あるいは余計なことを考えて手が鈍れば、足もとを掬われるのは確実である。いつかのように間違いを犯さないためにも、いまだけは余計なことを考えるなと自分に言い聞かせる。


「ははっ」


 力人の声が聞こえる。やはりその声は余裕に満ちていた。


「僕が手に入れた力もすごいが、きみが持っている力もすごいね。一体どうなっているのだろう。これだから世界というものには興味が尽きない。この世界は、不思議と驚異に満ちている」


 力人は楽しそうな声を上げて炎司に向かって突進してくる。彼の右腕は、西洋剣のような形に変化していた。西洋剣に変化した彼の右腕は空を切り、そして炎司の身体を両断すべく斜めから振り下ろされる。炎司は、自らを両断すべく放たれたその一撃を、自分の腕に炎で防壁を作って防いだ。力人はその細い身体からは想像もつかない力で炎司を徐々に押し込んでいく。炎司は、腕に作っている防壁を爆発させて攻撃を弾こうとした。


 しかし。


 炎司が防壁を爆発させようとした瞬間、身体を引き、爆発を避け、そのまま右腕を炎司の脇腹に突き刺した。炎司に左わき腹に激痛が走る。


「その手は食らわない。何度か受けている攻撃だからね。僕はそれをしっかりと覚えているよ」


 力人はそう言って、突き刺した右腕をさらに押し込んでくる。


 じわり、となにかか炎司の中に侵入してくるのが感じられた。このまま、この状態でいられるとまずい。なんとかして、奴の手から自分の身体を離さなければ。


「こうしているときみにも『残骸』の力が侵食していくんだろう? 知っているぞ。そうすればきみも仲間だ」


「この……」


 炎司は自分の脇腹に突き刺さっている力人の右腕に手刀を放つ。だが、炎司が放った手刀が当たる前に力人は刺しこんだ右腕を引き抜いて、距離を取る。


「危ない危ない。やっぱり欲張るのはいけないな。僕は他のやつと違って、一部を奪われたその分だけ力が減少してしまうからね」


 引き抜かれるとすぐに脇腹にあった激痛と侵食される気配は消えた。


「ほう……知ってはいたが、実際に見るとすごいな。目に見える形でこうも傷が再生していく光景というのは。ますますきみのそれも欲しくなったところだよ。きみも、人類のさらなる発展のためにその力を有効活用しないか?」


「なにを……言っている」


 炎司は重々しくそう言い、床を蹴り、力人に近づく。右腕の西洋剣よりも内側まで入り込めばこちらの方が有利だ。どん、と床を踏みしめ、すべての力を右腕に集め、力人に向かって放出する。


 だが、響いたのは肉を殴った時の柔らかい感触ではなく、なにか硬いものを叩いたときの感覚。炎司の放った一撃は力人の右腕に防がれていた。


 しかし、一度攻撃を止められた程度で炎司は止まらない。すぐに防がれた右腕を引き、身を翻して、左足の踵を力人に叩きこむ。炎司の踵は力人の左側頭部に突き刺さり、力人は紙のように吹き飛んで壁に激突した。研究室に置いてあったパソコンが数台破壊され、埃が舞い上がる。


 それでも炎司は止まらない。やるべきことは力人を倒すことではない。力人の身体と同化している『残骸』を回収、破壊することだ。なんとかして、彼の身体と一体化している『残骸』を引き抜かなければならない。


 踵を叩き込まれ、壁に激突した力人にさらなる追い打ちをかけるために炎司は再び距離を詰める。舞い上がった埃が消えようとした瞬間、炎司の目に『なにか』が吹きかけられた。


「な……」


 それによって、炎司の視界は塞がれる。いきなり視界を塞がれたことで炎司の動きは一瞬止まった。動きを止めた隙に、肩口のあたりに激痛が走る。


 塞がれた視界はすぐに回復した。視界が回復すると、力人は悠然と佇みながら、ついさっき切り裂いた炎司の腕をその手に持っている。


「ふふ。用意しておいて正解だったな。やはりすぐに回復するみたいだが、一瞬でも視界を奪われるのはやはり効果があるらしい」


 切り裂いた炎司の腕を左手で弄びながら力人は言う。どうやら、先ほど視界を奪われたのはなにかの薬品を使ったらしい。炎司の再生力を持ってしても視界を奪われるということは、かなりの劇物だったのだろう。先ほど力人が激突した壁のあたりに、小瓶が落ちている。


「ま、これは一度きりのびっくり芸みたいなものだね。二度は通用しないだろう。だけど、一度使えば牽制になる。視界を奪われるのはきみとしても驚愕せざるを得ないようだしね。それにここは僕の研究室だ。いまのようにきみの視界を奪うような劇物などいくらでもある」


 そう言って、力人は左手に持っていた炎司の腕を放り投げた。それから、西洋剣に変化していた彼の右腕が不気味な怪物の顎のように変化し、炎司の腕を呑み込んだ。


「これは……すごいな。人間とは比べものにならないエネルギーを秘めている。やはりきみを殺してしまうのはますます惜しいと思うな。どうだい、気は変わったりしないかな?」


「そんなもん……変わるか!」


 炎司は力人の言葉を否定する意味を込めて叫び、炎の球を出現させ、力人に向かって放り投げた。しかし、放り投げられたそれを力人は再び右腕を西洋剣に変化させてなんなく切り裂く。切り裂かれた炎の球は壁を蒸発させて消滅した。


「それは残念だ。であるのなら、僕はきみを排除しなければならない。だが、きみと真正面から戦うのは分が悪いな。『残骸』の記憶を掘り起こして、戦えるようになったといっても、所詮僕は付け焼刃に過ぎない。あまりエレガントではないが、一手策を打たせてもらおうか」


 力人はそう言って、西洋剣に変化している右腕から小瓶をいくつか取り出した。それを、炎司に向かって放り投げてくる。その速度は遅い。だが、受け止めるわけにはいかない。下手に受ければまた視界を奪われる恐れがある。炎司はそれを横に飛んで回避した。


 回避して攻撃に転じようとした瞬間、研究室は煙幕に包まれた。


「な……」


 炎司は驚きの声を上げる。


「驚いてくれて喜ばしいよ。そうやって驚いてくれると、こうやって策を考えてきた甲斐があるってもんだ」


 一メートル先も見えなくなった炎司の横から衝撃が加えられた。認識できない攻撃だったせいで炎司は思い切り横に吹き飛ばされ、先ほど炎の球で消滅させた方向とは逆の壁に叩きつけられる。


 体勢を立て直さなければ――と思った瞬間、今度は思い切りつかまれて投げ飛ばされた。炎司の身体はガラスを破壊して外に投げ出される。自分が外に放り投げられたことをすぐに察知し、炎司は空中で身体を立て直して着地する。


 それから、自分が投げ出された方向に視線を上げた。そこには、相変わらず余裕そうに構えている力人の姿が見えた。


「さて、そろそろ時間だ。次のアトラクションを楽しんでくれたまえ」


 そう言って、力人は煙の中に消えていった。


「なに……?」


 奴はなにを言っている? 次のアトラクションだと? 力人の言葉の真意がわからないままでいると――


 背後から誰かが近づいてくる気配がした。炎司はそちらに振り向く。そこにはいたのは年齢もバラバラな五人の男女。ここに来る前、自分の部屋を襲撃してきた者たちかと思ったが、明らかに別人だった。


「――――」


 彼らは全員、人間の言語とは思えない唸り声を上げている。『残骸』によって浸食された者たちであることはすぐに理解できた。


 どうする――と、炎司は『残骸』に侵食された者たちへ警戒したまま、先ほど自分が投げ出された場所を見た。


 あそこに戻るのは簡単だ。だが、『残骸』に侵された彼らを放置してあそこに向かうのは危険なように思えた。なにしろ『残骸』に侵されているものたちは、自分に引き寄せられるのだから。ただでさえ強敵の力人を相手にしたまま、『残骸』に侵された者たちまでも同時に相手にするのは危ないだろう。


 それに――少し気になることもある。


『残骸』に侵された者たちは増えている。いまここにいる彼らは、炎司の部屋を襲ってきた者たちではない。先ほどまで力人は自分と戦っていたのだから、誰かを、『残骸』の力で侵食させる余裕などなかったはずだ。


「くそっ」


 炎司は吐き捨てた。

 増えているのなら、これ以上増やすわけにはいかない。


 彼らを助けよう。いまここにやってきた人たちは、なにも悪いことをしていない人たちなんだから。

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