第51話 素晴らしきかな人間

「回収しに来た、なんてわざわざマイルドな言い方をしなくてもいいのではないのかな? はっきりこう言いたまえ、奪いにきた、と」


 力人は椅子に座ったまま悠然と言う。炎司とそれほど変わらない年齢のはずなのに、彼からは見た目よりもずっと厳かなものが感じられた。


 だが、その重圧に負けるわけにはいかない。炎司にはやらなければならないことがある。


「ええ、そうですね。俺はあなたから『残骸』を奪う。その方が正しいかもしれません」


「おや、意外ときみは強情ではないらしい。では、僕からこれを奪えば、僕がどうなるかというのもわかっているのかな?」


 力人は自分の肩のあたりを叩く。そのあたりに、『残骸』が同化しているのかもしれない。


「…………」


 炎司はなにも答えなかった。それはわざわざ言うまでもないことだろう。


「沈黙――ということは肯定と判断してもいいのかな? ふふ、いいだろう。僕を殺すかもしれないということをわかってもなお、その判断に至ったわけか。きみはなかなかに勇敢だ」


 素晴らしいね、と力人は付け足す。


「しかし、だ。僕だって目的がある。いくらきみが崇高な目的を掲げているからといって、はいそうですかと認めるわけにはいかないね。いま僕の身体の一部となっている『残骸』は、いずれ人類の福音となるのだから」


 やはり、力人の言葉は確信に満ちていた。人類の可能性を、人類が『残骸』に危険性すらも克服できると信じて疑っていない。彼の持つその確信に、炎司は気圧されそうになる。


 でも、ここで引いてしまうわけにはいかない。力人は決定的に間違えているのだ。『残骸』の持つ危険性は克服できるものではない。何故ならあれは――この表の世界とは相容れない存在だからだ。


『残骸』はもともと、世界の裏側に繋がっているものだ。それをこちらの世界、表側の世界で使えば、表に裏が広がってしまうことになる。本来であれば交わることのないものが交わり、表と裏の境界が曖昧になった結果、表と裏がなくなって消滅する。

『残骸』がどれほどの影響を持っているのかは不明だ。しかも、あれは実体を得た『扉』の一部だ。あれによって一夜にして街が半壊したことを考えれば、その影響力はかなり大きなものなるだろう。


 それに――


『残骸』はあちらの世界の木戸大河の一部でもある。こちらの世界の大河が別世界の自分の声を聞いていた以上、『残骸』の影響力が増せば、あいつがこちらの世界に復活する可能性さえもあるとノヴァは言っていた。


 そうなったら、どうなる?


『裏側の住人』と、そして『扉』と融合した存在がこちらの世界に蘇ってしまったとした――この街は大変なことが起こるのは確実だ。なにしろあいつは、すべてを破壊したがっているような狂気の塊のような奴なのだから。


「ま、自分の命とはいえ、命を人質にとってきみと交渉しようなんて思っちゃいないよ。なんというかそれはその、卑怯だからね。僕は卑怯な手というのはあまり好きではない。きみと争い、敗北した結果、それで僕が死ぬのならそれはきみに責任ではない。ただ僕が弱かっただけの話さ。だから、きみは遠慮なく僕から『残骸』を奪いに来るといい。抵抗はさせてもらうけどね」


 力人は、未だに座ったままだ。なにか策を隠しているのか、ただ単に余裕ぶっているだけなのかよくわからない。しかし、ここで手を出すのは危険なように思えた。


「本当にあなたは、『残骸』の危険性も克服できると思っているのですか?」


「当然だ。危険だと言われるものほど価値がある。これには、いまの人類社会すべてを変革しうる力がある。それを使わないのは愚かだと言わざるを得ないね」


「…………」


 変革。


 確かにそうかもしれない。『残骸』の力はとても大きい。その危険性すらも制御できたのなら、それはいまの社会に大きな変革をもたらすだろう。


 でも――

 それは間違っているのだ。


『残骸』の力は、その危険性は克服できるものではない。水と油のようなものだ。決して交わらず、交わらせてもいけない。だってあれは、この世界の裏に存在するものなのだから。表で使えば、使い続けていれば、いずれ破滅が訪れる。『残骸』はそういうものだ。


 それに――


『残骸』のもとになったのは、あの別世界の木戸大河なのだ。力人はそれを知らない。彼女がどれほどの狂気を持ち、人間であることをやめていったのかも。


「さて、話はこれで終わりかな? そろそろ始めようか。僕ときみの命と志をかけた戦いを始めよう。ふふ、『残骸』もきみと戦えることを嬉しがっているようだ。これとどこかで縁があったのかな?」


 力人はゆっくりと椅子から立ち上がった。その動作には、優雅さと余裕さに満ちている。


「いままでの人生、ずっと勉強ばかりで喧嘩などろくにしたこともなかったけれど、やけに心が躍るよ。人類史が戦争の歴史だと揶揄されるのも理解できる。僕にも、先祖由来の闘争心なんてものがあるようだ」


 力人はゆっくりと歩み寄ってくる。その距離は約七メートル。人外の身体能力を持つ炎司も力人も、一瞬で詰められる距離だ。


「それに――うかうかしている邪魔が入るだろうからね。すでに賽は投げられた」


「……?」


 力人の言葉の意味がよく理解できなかった。彼はなにを言っているのだろう。もうすでになにか仕掛けているのだろうか。


 それを理解する間もないまま、力人は一気に距離を詰め、炎司に向かって抜き手を放った。


「ぐ……」


 一瞬、動きが遅れたものの炎司はその抜き手を飛び退いてかわした。脇腹のあたりをかすめ、その瞬間痛みが走ったものの、すぐに治癒する。


「さすが。そうやすやすとはやられてくれないか」


 炎司は逆側の壁を背にして、力人に相対する。この研究室の中は狭い。お互い、一瞬でゼロ距離まで詰められる。


「おや、どうしたのかな? 僕に遠慮することはないと言っただろう。僕はきみに遠慮なんてしないのだから、きみだって僕に遠慮なんてすることはない。やはり戦いというものはフェアでなければね」


 はじめからわかっていたことだが、戦いは避けられないらしい。

 自分のやり残した戦いを、ここで終わらせよう。

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