第49話 自分は正しいのだろうか?

『僕は、ヒトの可能性を信じている』


 先ほど電話で言われた力人の言葉を炎司は思い出した。


 彼は邪悪ではなかった。別世界の大河のように、彼は邪悪な存在ではなかったのだ。恐らく、すべてを憎み、なにも信じていない大河とは正反対に位置する人間だろう。それは、炎司にとってとてつもない衝撃であった。


 ヒトの――可能性。


 たった百年足らずですべてを変えた人類の叡智。力人はそれを信じて疑わない。


 炎司だって、人類の文明を信じていることは確かだ。そうでなければ、こうやって東京という大都市で暮らしていないだろう。それが、自分の生活を支える素晴らしいものであることくらいわかっている。


 だが――


『残骸』が、いまの文明を支えている様々な技術と同じように世界を変えるものになるのだろうか? 曲がりなりにもあれがどんなものか知った炎司には、とてもそうとは思えなかった。


 力人は言った。圧倒的な確信を持って炎司に向かって宣言した。人間の叡智は『残骸』の危険性だって克服できる、と。


 一つ考えてみよう。もしも『残骸』の危険性を排除できたのなら、どうなるだろうか。


 身体能力の向上、情報端末を用いない通信、化石燃料に変わるエネルギー源になってなるかもしれない。


 しかし――


 それは間違いだ。あれはこの人類の世界の裏にあるものなのだ。裏にあるものを表で使えば、どうなるだろう。『残骸』の持つ危険性を排除できたとしても、表と裏のバランスを崩すのは必至だ。そのバランスが崩れれば、表も裏も存在しなくなり、やがて――


 そこまで考えて、炎司は思考を打ち切った。


 いくら考え直しても、出る答えは同じだ。『残骸』の危険性を排除できたとしても、あれは使うべきではない。


 答えは決まっているのに、幾度となく考えた自分の答えが本当に正しいものなのか確信が持てなかった。『残骸』を使えば、世界を変えられると嘯く力人のように。あの確認に満ちた言葉を思い出すと、自分の考えが間違っているのかもしれないと頭に過ぎる。


 どうすればいい?

 自分の考えは正しいのか、それとも――


『なにをぐじぐじグズみたいに悩んでおる』


 ノヴァの声が響いて、炎司は思考を打ち切った。


「ノヴァは、どう思う?」


『どう思うとは、先ほどあの男が言っていた妄言についてか?』


「妄言……」


『なんだ貴様。あの若造の言うことが実現するとでも思っているのか? そうではあるまい。ただ、あの男の弁舌にまくし立てられて自分を信じ切れていないだけだろう。安心しろ。お前の考えは決して間違ってなどいない。私が保証してやる。お前は、お前の正しい道を行け』


「そう……かな」


 ノヴァの言葉は励みになったけれど、それでも自分の考えに確信はまだ持てない。


『そうだ。お前は少しばかり自分に対し確信を持てないところが悪いところだ。無論、自分を一切疑わなくなるというのは危険な兆候だ。だが、自分に対しある程度の確信を持てていないというのもよくない。だから、もう少し自分を信じてみろ。私がそのサポートをしてやる』


「ノヴァ……」


 その言葉は、心から嬉しかった。ノヴァが言うように、もう少し自分に対し確信を持つようになってもいいのかもしれない。


『ま、すぐにできるようになれとは言わん。というか、自分に対する信頼は他者への信頼と同じく、少しずつ構築していくものだ。いきなりやろうとすれば、よくない結果が待っているだろう』


「…………」


 炎司は窓の外を見た。窓の外にはなに一つ変わりなく夜の街が広がっている。数時間前、『残骸』の力に汚染された者たちに襲われたのが嘘だったと思えるくらい静かだ。これが、普通の夜なのかもしれないが。


 そのとき――窓の外になにかが横切った。


「なんだ?」


 炎司はベッドから立ち上がり、窓に身体を近づけて外を覗いてみる。


「ドローン?」


 暗くてよくわかりにくかったが、いま窓の外をドローンが飛んでいった。どうしてこんな時間に飛んでいるのか? いやそもそも、どうして街の中を飛んでいるのだろう?


『どうかしたか?』


 ノヴァが炎司の怪訝さを感じ取ってかそう質問してくる。


「いや、なんでもない。気にしないで」


『そうか。ならいいが』


 外を飛んでいたドローンは夜の闇に消えていった。あれは、一体なんだったのだろう。


「一つ、訊きたいことがあるんだけど」


『なんだ?』


「あいつは『残骸』は自分と同化したって言ってたよね。同化したものを無理矢理引き抜いたら――どうなる?」


『そうだな。お前とは一蓮托生だ。隠しても仕方あるまい。奴と同化した〈残骸〉を引き抜こうとすれば、運が悪ければ死ぬだろう。仮に死ななかったとしても、なにか重度の障害が残るのは確定だ。なにしろ同化しているものを引き抜くのだからな』


 その言葉を聞いて、炎司の鼓動は早くなった。


 自分は再び――誰かを殺すことになるかもしれない。そう思うと、自然と呼吸が荒くなる。


 そのうえ――彼は邪悪ではない。ただ間違えているだけなのだ。『残骸』の危険性さえも克服できると、思い込んでいるだけ。彼が克服できると思っている危険性は、克服など不可能なものなのだ。


 別世界の木戸大河は邪悪な存在だった。この世すべてを破壊しようと考えている邪悪な存在だった。


 しかし、絢瀬力人は違う。心から人類の叡智と可能性を信じている彼が邪悪なはずがない。邪悪であるのなら、人類の可能性など信じていないはずだ。別世界の大河のように。


 だからこそ、炎司は悩んでしまう。


 力人を殺すのは正しいのか、と。


 自分の方が正しいから、彼が間違っているから、彼を破滅させるというのは本当に正しいことなのか、と。


 なにしろ相手は、自分と違ってとんでもない天才だ。こんな事情を知らないものからすれば、力人が死んだり、重度の障害が残ったりなどしたら、社会にとってとてつもなく大きな存在ではないのだろうか?


 考えてみても――答えは出なかった。


『……答えはすぐに出さんでもいい。お前が、人殺しを忌避していることは私もわかって――』


 そこでノヴァの言葉は、突如として響いた轟音によって遮られた。


 炎司ははっと振り向く。ドアが叩かれている。いや違う。ドアを破壊しようとしている。


『どうやら、悩んでいる暇はないらしいぞ』


「みたいだね」


 なおも続くドアを破壊しようとする轟音。いま、ドアの向こうにいるのは間違いなく、『残骸』の影響を受けた者たちだ。


 仕方ない。


 ここに攻め込まれて、部屋を荒らされては困る。炎司はスマートフォンで時間を確認した。時刻は夜の九時になろうとしているところ。忙しい理系の研究者なら、まだ残っている時間だろう。


 炎司は立ち上がり、廊下を忍び足で歩き、靴を履いて――

 破壊されつつあったドアを思い切り蹴り飛ばして、外に飛び出た。


 力人のところに行って、全部終わらせてこよう。

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