第50話 数の征服

 ドアを蹴り飛ばして外に飛び出た炎司は、そのまま手すりを超えて下にある道路へと着地する。


 炎司の部屋の前に集まっていたのは五人。一人はドアをぶちかまされて動けなくなっているようだが、『残骸』の力に侵されているのであればすぐ回復するだろう。


『ぬかったな』


 そこでノヴァの声が響く。


「ぬかったって……なにが?」


『〈裏側の住人〉は出現していないから、お前の部屋を私の力で守護していなかった。自宅を襲撃されたのは私の責任だ。すまない』


 本当にすまなそうな声を出してノヴァは炎司に謝罪する。そんな声を聞いたのは、はじめてだった。


「いや、俺だってこんな風に『残骸』によって変質した人たちが出てくるなんて予想できていなかったしさ。お互い様だよ」


『……そうだな。ぐじぐじ後悔してもなにも始まらん。これから、どうする?』


「絢瀬教授のところに行こう。たぶんまだ研究室にいるだろう。この時間に行くのはちょっと危険かもしれないけど、帰ったところでまた襲われてしまうだろうし、平穏を取り戻すのならそれしか残されていない。ドアも壊しちゃったし」


『では、あそこにいる奴らはどうする?』


 炎司は自分の部屋の前に集まっている五人に視線を移した。先ほどドアをぶちかまして倒した男がのっそりと起き上がった。鼻血を流し、額も割れていたが、それを気に留める様子はまったくない。


 アパートの狭い廊下から五人は飛び出してくる。当然のように、こちらを行かせてはくれないらしい。


「あれ?」


 五人を見た炎司はどこか引っかかるものを感じた。襲ってきているのは学生風の男三人と女一人。


 そして、スーツを着た三十代半ばくらいの営業マン風の男だった。


『どうかしたのか?』


 炎司の様子を察知したのかノヴァが声を上げた。


「いや、『残骸』に汚染されたのは学内の臨床実験に参加した学生だけなのに、どうしてサラリーマンがいるのかと思って」


『ふむ。奴自身が街に出て、『残骸』の力を使っているのかもしれん。それなら、学生以外がいてもおかしくなかろう』


「まあ、そうだけど」


 でも、どこか引っかかる。しかし、その引っかかりがなんなのかまったくつかめない。


「――――」


 鼻と額から血を流す男が人間とは思えない叫び声を上げて炎司に向かってきた。


 背後を覗き見て、どうするか一瞬悩んだのち、相手を迎え撃つことした。向かってきた血を流す男に向かって一撃を放つ。まったくの無防備で炎司の一撃を受けた血を流す男はアパートの柱に激突して動かなくなる。


 炎司は彼をどうするか少し悩んだのち、踵を返して夜の街に向かって走り出した。浄化しなければすぐ回復してしまうだろうが、敵のど真ん中に突っ込んでまでそれをやるわけにはいかない。


 炎司は圧倒的な速度で夜の街を駆けていく。


 どうせ奴らは自分に引き寄せられるのだ。そのうえ、相手は数で上回っている。いくらこちらには絶大な力があるといっても、五人で一斉にかかってこられてはたまらない。下手をしたら、殺してしまう。


 夜の街を駆ける炎司は、道路だけが道ではない。炎司の身体能力をもってすれば、住宅も楽に飛び越えられるのだ。


 いや、とそこで炎司はあることを思い出した。


 空を走る。


 以前それは、ノヴァができると言っていたこと。

 多数の敵から逃げるのなら、空を行けば簡単に撒くことができるはずだ。


 思い出せ――

 炎司は立ち止まり、自分の知らない記憶を掘り起こしていく。


 深く深く深く。もっと深く。ノヴァは前例があると言っていた。それなら、できるはずだ。いまの自分は、物理法則なども無視した動きを当たり前にしているのだから。空を飛ぶことだってできるはずだ。


 どこかから声が聞こえる。人間のものとは思えない叫び声。『残骸』に汚染された者たちのものだ。


 あった。

 どん、と炎司は思い切り地面を蹴り、宙に浮きあがって――そのまま。


「はは。マジでできたよ」


 炎司は宙に浮かんでいた。自分の足もとにはなにもないのに、身体がそこにある。その浮遊感はなかなか悪くないものだった。


 大学の方向はどっちだ?


 宙に浮かんだ炎司はあたりを見回す。地面からは二十メートルほどの高さなのに、そこから見る景色は普段見ているものとまったく違うものに思えた。


 すぐに見つけなければ、先ほどの五人はすぐに寄ってくるだろう。この高さにいれば大丈夫だとは思うが――『残骸』に汚染された者たちは自分と同じく常識の外にいる存在だ。油断はできない。見つけないと。


 数度あたりを見回したところで、大きな敷地とまだついている明かりが見えた。あそこだ。直線距離で一キロもないだろう。


 空を蹴ってすぐそちらに向かおうとしたとき、あるものが見え足が止まった。


『どうかしたか?』


「いや、やけに人が多いと思って」


 上空から、ちょっとおかしな足つきで街を歩いている者が多く見られたのだ。


『そうか? まだ九時過ぎだから普通ではないか?』


「うん、まあ、そうなんだけど、ちょっと様子がおかしい感じがして」


 上空から見える人たちは、明らかに酔っ払いとは思えない足つきなのだ。


『ふむ。まあ悪い予感というのは往々にして当たるものだ。一応警戒しておこう。我々がやるべきは、あの若造のもとへ向かって、奴の間違いを正し、〈残骸〉を破壊するのだ』


「…………」


 その言葉を聞いて、炎司は再び鼓動が跳ね上がった。

 絢瀬力火を殺すことになるかもしれない。


 しかも今回は、イカレきった邪悪な存在ではなく、人間の可能性を心から信じ、今後大きな成果を上げることが確定しているような大天才だ。


 それを――自分が殺すかもしれない。そう思うと、背筋に嫌なものが走る。


 でも、やらなければならない。


 かつて、別の世界で覚悟ができていなかったせいで、多くの人を悲しませてしまったから。


 今度こそ、間違えない。

 覚悟を決めなくては。

 相手が、邪悪であろうとなかろうと。やらなければならないのだ。


 一度できたことだ。いまだってできるはずじゃないか――


 炎司は宙を蹴って大学へと急行した。人間魚雷になったかのような速度で宙を駆けていく。


 一分と経たずに炎司は大学へと到着する。随分と派手なことをしてしまったが、これに気づいている者は誰もいない。


 夜の大学は――嫌な雰囲気に包まれていた。


 なんと言えばいいのだろう。夜の闇の中に、なにかが潜んでいるような気がする。


 しかし、大学の構内を歩いても、誰の姿も見えない。この時間まで残っているのは理系の研究室に所属している者たちくらいだろう。なのに、嫌な雰囲気はまったく消えてくれない。むしろ、どんどんと強くなっている気がする。


 なんだろうこれは。ただの杞憂であれば、いいのだけど。


 薬学部棟はすぐに見つかった。ここも遅くまで研究している者がいるらしく、扉も開いていて、明かりもついていた。部外者の炎司によっては少し居心地が悪い場所ではあったけれど、そんな文句は言っていられない。炎司だけにしか、『残骸』の破壊はできないのだから。


 この時間になっても残っている薬学部の学生は、部外者である炎司にまったく気に留める様子はない。きっと、日々の実験などで忙しいのだろう。行き交う学生たちの多くには疲労が張りついていた。


 力人の研究室はどこにあるのだろう。炎司は階段を上がる。二階を回ってみるが、絢瀬研究室、というプレートはなかった。


 もう一つ上がって三階。ふと見てみると、別の教授の研究室のプレートが見えた。もしかしたら、ここが、研究室がある階なのかもしれない。炎司は三階の廊下を進んでいく。


 一番奥に、『絢瀬研究室』というプレートが目に入った。


 炎司はドアノブをつかもうとして、躊躇する。本当にいきなり来てもいいのだろうか? この棟内様子を見ている限り、ここにだって学生がいるのではないか?


 しかし。

 目的を果たすためには――この扉を開けなければならないのだ。

 炎司は心に決めて、扉を開ける。


「やあ。やっぱり今日来てくれたね。嬉しいよ。他の学生たちを帰しただけの価値はあった」


 力人は奥のデスクに座ったまま、にこやかな笑みを見せる。


「なにを言ってる。俺の家に『残骸』に汚染された連中を差し向けてきたのはそっちだろう」


「なんだ。それもわかっていたのか。なかなか聡いね炎司くん。で、なんの用かな?」


「あんたと同化している『残骸』を回収しに来た」

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