第44話 呪いのごとき侵食

 一体、街はいまなにが起こっているのだろうか。昼休みの喧騒に包まれている学食のなかで炎司はそれについて考えてみる。


 もうすでに、事態は動き出している――それは間違いない。『残骸』を手にした何者かはその力を拡散させようとしている。その意図は不明だが、きっとなんらかの悪意があると考えるべきだろう。


 悪意――別世界の木戸大河に匹敵するような悪意と狂気を持ち合わせた何者かがこの近くに潜んでいるのだろうか? 炎司はあたりを見回してみる。


 学食の中にいるのは自分と同じくらいの年代の若者ばかりだ。こうやって見回した限りでは、あちらの世界の大河のような狂気を湛えている者がいるとは思えない。


 だが、そんなもの――見てわかるものでもないのもまた事実。現に自分だって、あちらの世界の大河があれほどの狂気を抱えていることを、自分の目の前に現れるまでわからなかったのだから。人間の持つ、他人を見破る力など所詮そんなものでしかない。だから、いまこの場所に、『残骸』を抱え、この街を恐怖に陥れようとする何者かがしてもなんら不思議ではないのだ。


 そうなったとき、自分はどうするべきなのだろう。


 あちらの世界での大河は――正真正銘の怪物と化し、殺す以外ほかに道は残されていなかった。


 しかし、『残骸』を手に入れた誰かはどうするべきなのだろう。『残骸』を使ってなにかしようとしていても――相手は人間のはずだ。それを殺すなんて、自分にはできるだろうか?


 正直にいえば――やりたくなかった。人々を脅かすことをやっているのだとしても、それが人のままであったのなら殺すなどできるはずもない、と思う。


 自分は、どうするべきなのだろうか。


『残骸』を手に入れた何者かと相対したとき、その何者かと、決して相容れないことがわかったとき――自分は。


 覚悟は決めておかなければならない。


 かつて自分は、その覚悟ができていなくて大きな失敗をしてしまった。

 ここでも同じことを繰り返すわけにはいかない。


 ここは――自分が生きている世界なのだから。

 自分には、戦える力があるのだから。

 この街に潜んでいる脅威は、自分の責任なのだから。


 でも――


 覚悟はなかなか決められなかった。やはり自分は、どうしても人を殺すことを忌避している。どうして人間は――人間を殺すことに忌避感を覚えるのだろう。そんなことを考えた。


 ふとそこで窓の外を見ると、その先にはドローンが飛んでいた。窓を一枚隔てているので、風切り音は聞こえてこない。確か、工学部かどこかで自動運転システムの研究の一環なのだとか小耳に挟んだ覚えがある。


 なんとなく、外を飛んでいるドローンに目を傾けていると、そのうち角を折れて、建物の影に入ってみえなくなった。見えなくなったところで、炎司は外に向けていた視線を別の方向に向ける。


 そして、力を使って、この場所を検索してみることにする。

 目を閉じて、感覚を研ぎ澄ましていく。


 やはり、なにか異質な気配が微弱だが感じられた。何度も目の前にしているから、その異質さは別のものと間違えることはない。『残骸』は、間違いなくこの近くにある。


『残骸』がこの近くにあることは、今日になって何度か調べてみてわかったことだ。


 しかし、反応はあるものの、それは微弱で、この近くにある、という以上のことはまったくわからない。


 それになにか――おかしいような気もする。


 なにがおかしいのか、まったくわからないけれど。なにかを見落としているような気がしてならない。それが、絶妙に炎司の心を不安にさせる。


 だが、その違和感がなんなのかまったくわからず、炎司はその考えを打ち切って立ち上がった。


 未だ喧騒に包まれている学食を出て外へ。外に出ても、異質な気配は消えていない。一体、『残骸』はどこにあるのか。早く見つけて始末しなければ、と思うと、さらに焦りが強くなった。


 そこで――

 自分に視線が向けられていることに気がつく。


 なんだ、と思ってそちらに視線を向けると、炎司に視線を向けている青年の姿があった。視線を向けていた青年のことは炎司もよく知っていた。


 絢瀬力人。


 数年前、アメリカの大学で十八にして薬学の学位を取得した天才青年としてテレビなどで取り上げられ、二年ほど前に炎司が所属する私立大学に招聘され、二十五歳で教授職になったほどの碩学だ。どこまでも平均的な自分とは天と地ほども差がある存在である。


 その彼が、何故自分のことを見ているのだろう。彼が研究室を持っているのは薬学部で、自分が所属している経営学部とはまったく接点などないはずだ。それなのに、何故? と、炎司の頭の中に疑問符が浮かぶ。


「――――」


 こちらに対して薄い笑みを浮かべ、遠くから彼がなにかを言った。しかし、この距離では、彼がなにを言ったのかまったく聞き取れない。だが、それが自分に対して向けられていることが明らかだった。


『あいつ……』


 いままだ黙っていたノヴァが急に声を上げる。その声は緊迫感があった。


『なにをやっている、早くあいつを追え! 〈残骸〉を持っているのは奴だ!』


「な……」


 そう言われて、反射的に炎司は足を動かそうとしたが、力人の姿はすでに雑踏の中に消えてしまっていた。この中から、誰かを見つけるのは難しいだろう。


 あたりを見回し、炎司はため息をついた。それから、まわりに気づかれないようにそっと声を出す。


「絢瀬教授が『残骸』を持ってるってどういうこと?」


『そのままの意味だ。あいつ、私たちに向かって、〈残骸〉の力を放ってきておった。お前、気づかなかったのか?』


「…………」


 気づかなかった、とは言えず、炎司は押し黙った。どうやら自分はまた失態を犯したらしい。それを思うと、少しだけ恥ずかしくなった。


『まあいい。ミスは誰にでもある。どうして奴が出てきたのかわからんが、誰が残骸を持っているのかどうかわかっただけでも価値はあった。今日の失態は、今後カバーすればいい』


「そう……かな」


 そう言われて、炎司は少しだけ安堵の息をつく。


 どうして、絢瀬力人が『残骸』を持っているのかはわからない。恐らく、手に入れたのは偶然だろう。


 それはそれとして、彼は何故、『残骸』の力を拡散させようとしているのか。


 彼もやはり――あちらの世界の大河のような狂気を孕んだ人物なのだろうか? そんな風にはまったく見えないけれど。


 そのように見えないからといって、本質がそうであるとは限らない。人間が人間を見れる力など、たかが知れている。


 考えるべきはただ一つ。


 彼が『残骸』を持っているのなら、それを回収しなければならないということだけだ。


 どうする――所属する学部の違う教授と、どのように接近すればいいだろう? 向こうは、炎司が『残骸』の破壊を目論んでいることはわかっているはずだ。そうでなければ、あんな露骨な接触はしてこないだろう。隠れていたのなら、しばらくは時間を稼ぐことができたのだから。


 どうする?


 雑踏の中でそんなことを考えていると――


「火村くん」


 背後から声をかけられて、驚きとともに炎司は後ろを振り向いた。

 そこには――金元文子と木戸大河の姿があった。


「……どうしたの?」


「ちょっと相談したいことがあるんだけど、いいかな?」


「いいけど……なに?」


「学食とかだと話しにくいから、別の場所でもいいかな? 授業は大丈夫?」


「今日は昼で終わりだから大丈夫」


「よかった。それじゃ、ちょっと話ができるとこまで案内するね」


 文子はそう言って歩き出し、炎司は彼女たちについていくことになった。

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