第45話 不穏なる調べ

「それで……話って?」


 炎司は目の前に座っている文子と大河にそう質問をする。


 ここは、大学の近くにある喫茶店だ。昼時になるとここも学生で混みあっているが、昼を過ぎればその数は少なくなる。学食で話をしたくないときにはよく使われる場所だ。


「えっと……話があるのはわたしじゃなくて」


 文子はそう言って、隣に座る大河に目を向ける。大河は少しだけ逡巡する素振りを見せた。彼女を目の前にすると、他の世界での大河がやったことを思い出して思わず身構えてしまう。こちらの彼女も、あちらの彼女のようにそのうちに邪悪を抱えているのだろうか。


「どうかした?」


 文子は首を傾げて炎司にそう質問する。


「いや、なんでもない。続けて」


 こちらの大河がどうであれ、他の世界であったことはここにいる彼女たちには関係ないことだ。炎司は、自分にそう言い聞かせて文子を促した。


「わたしさ、ちょっと前に変な夢の話をしたでしょ」


「ああ、うん。そんなこと、あったね」


 夢の話。


 どうして彼女がそんな夢を見たのかは不明だ。しかし、炎司にとっては夢でもなんでもない。実際に体験してきた事実である。炎司には、それを言うつもりはないが。


「それでね、そのおかしな夢を大河も見たっていうの。その……わたしからはうまく言えないから、大河」


 文子はそう言って、隣に座っている大河に手を乗せた。大河が、少しだけ緊張した表情を見せたのち、口を開く。


「最近、変な声が聞こえるの」


 大河の声は少し震えていた。いま自分が直面している出来事に恐怖を感じているのが炎司にも理解できた。


「その声は、私のものなんだけど……とんでもなく邪悪に聞こえて、笑いながら、私に悪いことをさせたがっているみたいなの」


 こちらの大河に聞こえている声は、間違いなくあちらにいた、邪悪な大河のものだろう。


 だが、どうして彼女にそんな声が聞こえているのか。それがよくわからない。そんなもの、聞こえるようになる理由なんて――


 と、思ったところで炎司は気づく。


『残骸』だ。


 こちらに流れ着いた『扉』と融合した木戸大河の『残骸』が、この世界の大河になにか影響しているのではないのだろうか。


 本質的にはこちらも大河もあちらの大河も同一人物だ。同一の存在が近くにいるのであれば、なにかしらの影響が出てくる、のかもしれない。


「それで、声が聞こえる以外になにか起こったりしてる?」


 炎司は大河にそう質問する。もし、こちらの大河になにか異変が起こっているのであれば、早急に『残骸』をなんとかしないといけない。


「まだなにも起こってないけれど――あの声を聞いていたら、おかしくなってしまいそうで……。私が私じゃなくなる気がして怖くて……その」


 そこまで言って、大河は口ごもった。本当に恐怖しているのだろう。


「大河……」


 文子は、大河のことを心から心配しているという声をかける。


「ごめんなさい。突然変なこと言っちゃって」


「いや、別にいいよ。わけのわからないことになれば、誰かに相談くらいしたくなるだろうし」


 たぶん、こちらの世界の大河は、あちらの世界にいた大河のように邪悪は抱えていないのだろう。炎司にはそう思えた。そうでなければ、自分のうちから聞こえてくる邪悪な声に恐怖するはずがない。


 それにしても、まさかこんなところにまで『残骸』の影響が出ているとは思わなかった。大河のためにも、絢瀬力人が持っているという『残骸』を早くなんとかしなければならない。その気持ちがさらに強くなった。


「ごめんね。いきなりこんなわけのわからない話をしちゃって」


「別にいいさ。特に気にしてないから。それと、一つ言っておくね。もし、声が聞こえる以上のおかしなことが起こったらすぐに教えてくれ」


「え……うん。いいけど……なにか知ってるの?」


 少し怪訝そうな声を出す大河。


「そういうわけじゃないけど……こんな話を聞いちゃったわけだし、なにかできないかなと思ってさ。ま、気休め程度だけどね」


 彼女の幻聴が、『残骸』によって発生しているのであれば、『残骸』の影響力が強まれば大河への影響も強くなるだろう。その結果、なにが起こるかは不明だが、決していいことは起こらないように思えた。


「それじゃ、私たちはもういくね。お会計は済ませておくからゆっくりしていって」


 そう言って二人は立ち上がって伝票を取った。それから一度、炎司のことを一瞥してからレジに向かう。彼女たちが会計を済ませて店を出ていったところを確認してから、炎司はノヴァに喋りかけた。


「さっきの話、どう思う?」


『どう思うもなにもない。あれは間違いなく〈残骸〉の影響だ。なにしろ同一人物なのだから、影響が発生するのは当然といえる。〈残骸〉の力が強まれば、あのイカレ女を復活させる可能性すらあるだろう』


「……マジ?」


『マジだ。なにしろあの娘は〈扉〉と融合していたのだ。その時点で、すでに生物の範疇を超えている。この世界にあるのが一部とはいえ、〈扉〉というのは道理を超えた存在だ。なにが起こってもおかしくはない』


 なにが起こってもおかしくない。その事実に炎司は脅威を覚えた。絢瀬力人は、そんなものを使って一体なにをしようとしているのか。


「『残骸』を手に入れたあいつは、なにが目的だと思う?」


『さあな。あの男が、イカレ女のような邪悪を抱えているのかもしれんし、そうでないかもしれん。あの男がなにを目的にして、〈残骸〉の力を使っているのだとしても、私たちがやることは同じだ。〈残骸〉を完全に消滅させる。それ以外にやることはない。それとも、お前はそれに不服なのか?』


「そういうわけじゃないけど、どうやって近づこうかなと思ってさ」


『普通に近づけばいいではないか』


「そういうわけにはいかないよ。同じ学部だったら近づけるかもしれないけど、相手は違う学部だし、そもそも薬学部は劇物なんかも取り扱ってるから、他のところと違ってセキュリティーが厳重だしさ。無断侵入して、停学食らうとかになったら嫌だし、より面倒になるよ」


『ふむ……相手は教授なのだろう? 別学部であっても、なにか質問したいことがあるとかいえば聞いてくれるのではないか?』


「うーん。やってみる価値はあるかもしれないけど……すぐに会えるかどうかはわからないなあ。多忙だろうし」


『そうはいっても、いずれは強硬的にならなければいけんだろう。なにしろ〈残骸〉の影響の広がり方は我々が思うより早い』


「…………」


 炎司は押し黙った。せっかく『残骸』を所持している者を見つけられたというのに、手が出せないというもどかしい事実。どうすればいいのだろう。


 それから外を眺める。外には、学生の姿があった。その学生と目が合って――


「……出よう」


『そのようだな』


 炎司はすぐに喫茶店を出た。外に出るとすぐに、先ほど目が合った学生が虚ろな目をしたままこちらに近づいてくる。


 外はまだ明るい。しかし、その学生は昨日の夜に襲撃されたときと同じ状態になっていた。これは――『残骸』の力がより強まっているということだろうか?


 背後からもう一つ足音が聞こえた。炎司はそちらを盗み見る。そちらにも――目の前にいる学生と同じような状態の男がいた。どうやら、挟まれたらしい。


『わかっていると思うが、相手は〈残骸〉の力に侵されているだけだ。殺すなよ』


「大丈夫」


 炎司を挟んだ学生たちはじりじりと距離を詰めてくる。


「――――」


 炎司を挟んだ学生たちは、同時に人間とは思えない唸り声を上げて、飛びかかってきた。

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