第43話 日常の終わり

 夜闇に消えていく赤いランプが見えなくなったところで炎司は歩き出した。


 歩きながら――考える。


 街には再び平穏が訪れていた。先ほどまで、『残骸』の力に侵食されておかしくなっていた者がいるとは思えないほど静かだ。


 でも、これが普通の夜なのだろう。


 それはわかっているけれど――幾日も非日常の夜を過ごしてきた炎司にとって静かな夜というはどうにも不安になる。あれだけ劇的な日々を過ごしたのだから仕方ないのかもしれないけれど。


 考えるのは、先ほど襲ってきた男についてだ。


 なにか話を聞けるかと思って、炎司は倒した彼が意識を取り戻した際、質問をした。何故こんなことになったのかについてだ。なにか覚えているかもしれない、そう思ったけれど――


 しかし、彼にはそんな心あたりはないという。いまもどうして自分がここにいたのかもわかっていないようだった。


 とはいっても、収穫はあった。


 彼はここ何日か、夜になると知らない間に外を出歩いていたらしい。朝になると家からだいぶ離れた場所にいたこともあったとも言っていた。


 これは、なにを意味しているのだろう? 少しだけ考えてみる。


 彼はなにかをきっかけに、『残骸』の力に侵食された。この街に潜んでいるという『残骸』を拾った何者かと、なんらかの形で接触したのだ。接触したのが何者かわかればいいのだが、『裏側の住人』や『残骸』のことを言うわけにもいかず、そうこうしている間に救急車が来てしまい、そこまでしか訊くことができなかった。


 だが――


 この街では、なにかが起こりつつあることは確定した。木戸大河が残した残骸によって、なにかが起ころうとしている。


 自分が暮らすこの街で――ここではない黒羽市で起こった破滅的な出来事が起こってしまうのではないかと思うと、肝が凍りつく。


 前は自分が失態を犯したせいで、あんなことになってしまったけれど――今回はそうならないようにしなければならない。ここにいるのは、自分のことを知らない人ではないのだ。仲のいい友人もいる。そんな人たちが傷つくようなことを起こしてはならない。


「ノヴァ」


『なんだ?』


「一体、この街ではなにが起こってるの?」


『さあな。ただ、〈残骸〉の力を使おうとしている者がいるのは明らかだ。〈残骸〉の力に侵食されていたあの男が証拠と言える』


「『残骸』の力――」


 炎司はその言葉をかみ締める。


 一体、どういう理屈で『残骸』を持っている何者かは、あんな危険な力を使ったのだろう。あれは人間が使うにはあまりにも危険なものなのに。


 もしかして――


『残骸』を拾ったのが、別世界の大河と同じくらい邪悪でイカレた奴だったのだろうか?


 それを否定できる確証はない。


 だが、こんなことをするくらいだ。そういう奴であったとしてもなにもおかしくない。あり得ないものを色々と見てきた炎司には、充分信じられるものであった。自分には理解できないような考えを持つ人間は確かにいる。それが、この世界にだっていてもおかしくないはずだ。


 大河のように、この世のすべてを憎み、破壊しようと考えている何者か――そんなやつがこの街にいるのだろうか?


 思い出されるのは、あの女の常軌を逸しているとしか思えない言動。あの狂気に匹敵するものを、この街にいる『誰か』が持っているのだろうか?


 そこで、こちらの世界の大河も、別世界にいたもののような狂気を持っているのではないだろうか?


 別の世界における、自分とよく似た人物――『吉田何某』は炎司と同じような経歴を持っていた。それなら――彼女だって、似たような境遇にいるのではないのだろうか?


 それなら――

 こちらの彼女も、あいつみたいに、底知れない狂気を湛えていて――


『どうした? なにを動揺している』


「いや、この世界では木戸はどうなのかと思って。あちらの世界における彼女と、こちらにいる彼女はかなり似ているんだろ? それなら――」


『なら訊いてみればいいだろう。お前ら大学で同じゼミなんだろ?』


「いや、そうだけどさ。ただ同じゼミを履修しているだけの女の子相手に、そんな突っ込んだ話なんてできないよ。そもそも、別の世界のきみはこうだったんだけど、こっちではどんな感じ? なんていきなり訊いたら、頭がイカレれてるとしか思えない。嫌だよそんなの」


『……ふむ、そうか。嫌なら無理にやる必要はないが』


 とはいっても、ここに流れてきたのは『扉』と一体化した別世界の大河の一部なのだから、怪しいことに違いはない。それとなく、うまく聞きだしてみよう。やり方はあとで考えよう。


「ところで――あの人は大丈夫なの?」


 炎司はノヴァに問いかけた。


『あの男か? 大丈夫だ。心配ない。奴を蝕んでいた〈残骸〉の力はお前の力で完全に消滅させた。同じように、〈残骸〉を持っている人間からなにかしらの干渉を受けなければ同じようなことにはならん』


 その言葉を聞いて、炎司はほっと安堵の息をつく。しかし、油断はできない。また別の誰かが同じようになる可能性は捨てきれないのだ。『残骸』が存在する限り。


『だが、油断はするな。奴はまだなんとか浄化できる状態だったが、もし侵食が進んでいたら、裏返って完全な〈裏側の住人〉と化していたところだ。すぐに〈残骸〉の場所を特定できなければ、今後それが起こりうる』


「な……」


 その言葉を聞いて、炎司は驚愕するしかなかった。

 人間が『裏側の住人』になる。その意味は――


「それって、普通の人も襲われるってことだよね?」 


 そうなると、街は大変なことになる。別世界の黒羽市で起こったようなことが、起こりかねない。


『そうだ。だから早く済まさねばならない』


「でもさ、どうやって見つける? 探せないの?」


『残念ながら、そううまくはいかないようだ。〈残骸〉のやつ、まだ知性が残っているのか、巧妙に偽装をしている。そもそも人間が多すぎてアテもつけられん』


「…………」


 やっぱり、ことはうまく運んではくれないらしい。


『それに、〈残骸〉の力に侵食された者と戦うときは気をつけろ。ただの人間だと思うと危険だが、まだ人間であることも確かだ。今日のような状態であれば、戻すことが可能だ。だから、できることなら殺さないようにしろ。なんの罪悪もない人間を無闇に殺すのは私の種語義ではないし、そもそも、殺したくないだろうお前も』


 ノヴァの言葉を聞いて炎司はどきりとする。


 殺す。しかも、狂気に満ちた憎い相手ではなく、悪いことなにもなどしていない普通の人――


 あれだけ憎かった奴を殺しことさえ、あれほど嫌になったのだ。なにも悪いことをしていない人たちを殺しなんて――そんなこと、絶対にしたくない。


『そんな深刻そうな顔をするな。今日の奴を見た限りでは、〈残骸〉の力はそれほど強くない。あのまま放置していても、完全に裏返るまで一ヶ月はかかるだろう。だから、それほど気にするな。腕が鈍ってまたヘマをするぞ』


「……むう」


 そう言われてしまうと、なにも言い返せない。


『それでは早いところ帰るぞ。夜に出歩いていると、また別の奴が襲ってくるかもしれんからな』


「やっぱり、『裏側の住人』の影響が出るのは夜だけなの?」


『少なくとも、いまのところはな。今後はわからんが、〈残骸〉の持ち主次第では、昼間でも影響力を行使できるようになるかもしれん』


 ノヴァの言葉にはなんともいえない不吉さを感じざるを得なかった。


 炎司は、静寂と暗闇に閉ざされた夜の街を進んでいく。

 自分の家に着くまでに、誰かに襲われることはなかった。

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