第33話 ファイアスターター・ライジング
「一つ訊きたいことがある」
「なに? そんなに怖い顔しなくてもちゃんと答えてあげるよ。なにしろ私はすごく律儀だからね」
大河は相変わらずどこか壊れたような調子で喋っている。その喋り方は異様なほどの勘に障るものだ。
「金元になにをした?」
炎司を倒した大河は、文子のもとにいって彼女をさらっていった。自分をおびき出すためのものであることはわかっている。この狂気に包まれた木戸大河という娘が、ただそれだけのためにそんなことをするとは思えない。
「なにをした? ははは。なに言ってるのさ。まだなにもやってないよ。安心してくれ。文子になにかするときはきみをぶっ殺してからさ。私は用心深くてね。後顧の憂いは立っておきたい性分なんだ」
「…………」
炎司は黙ったまま大河を見る。
しかし、へらへらと狂気に満ちた笑いを浮かべている彼女からは、それが真であるか偽であるかすらもつかむことができなかった。
「あれ、どうしたのー? もしかして私のこと信用してない?」
「当たり前だろ」
炎司は吐き捨てるように言う。大河の言葉を聞いているのは本当に腹立たしい。
「ひどいなあ。私はこれでも公明正大で通っているのに。信用してくれないなんてショックだわ。私たち、同じゼミ履修している間柄じゃない」
そんなことをまったく思っていない様子で嘯く大河。そのわざとらしい所作も実に気に入らない。
「でも、文子が無事なのは本当よ。動かれると困るから、ちょっと薬を使わせてもらったけど、ただの筋弛緩剤だし、時間が経てばそのうち動けるようになるわ。炎司くんが私のことを倒せれば、だけど」
「俺を倒したら、お前は金元になにをするつもりなんだ?」
「そんなの決まってるじゃない。私の友達になってもらうの」
「友達……だと?」
その言葉の意味がなにか測りかねた。
「そ、友達。ほら私、こんな怪物がポコポコ生み出す身体になっちゃったじゃない。だからあの娘も私と同じようになってもらおうと思ってるの。一人だと寂しいし。だって友達なんだから、それくらいはやってくれるのが普通でしょ。『裏側の住人』を認識できた文子なら、私がやったようなことをやっても大丈夫だと思うの。今回こそうまくいくわ」
「……っ」
あまりの狂気の言葉に、炎司は絶句するしかなかった。
文子を、こいつと同じに存在になってもらうだって?
しかも、根拠もなく自分ができたから彼女も大丈夫、と本気で思っている。
この女は一体なんなのだ。
本当に人間なのだろうか?
「違うよ」
こちらの考えを見透かしたように大河は言う。
「私が人間のわけないじゃん。だってわけのわからない化物を生み出す存在と同一化しているんだよ。これで人間だって言えるなら、いまそこら中に溢れてる『裏側の住人』も人間だって言えちゃうね。
てゆーか、炎司くん。そんなこともわからないわけ? 私にやられてもっと頭悪くなっちゃったのかな?」
露骨すぎる挑発の言葉。なにを狙ってのことかはわからない。
だが、それに乗るほど、いまの炎司は未熟ではなかった。
自分の迷いから敗北し、立ち直った炎司には大河の言葉など不愉快なだけだ。
「……なんだ。ノリ悪いね。もうちょっと乗ってくれてもいいんじゃないの? そういうのばっかりだとつまんないじゃん」
興ざめした、という調子で大河が言う。
「お前は、どうしてこんなことをやっている?」
「なんでって、決まってんじゃん。この退屈でクソみたいな世界をぶっ壊して楽しい世界にしたいだけだよ。
だって、楽しくなったでしょ。つい数秒前まで自分が死ぬなんて思ってなかった平和ボケしたアホがゴミみたいに食われて死んでいくんだぜ。
それに炎司くんだって、危機が迫っていなきゃその力を持て余すわけだしさ。平和になっちゃったら、そのすごい力も使いどころなんてないでしょ。せっかくそれを十全に使える環境にしようって話なんだから感謝して欲しいところだけど――感謝してなさそうだね」
狂乱に満ちた目を細めて炎司を注視する大河。
「きみは、そんなにこの状況をなんとかしたいわけ?」
「…………」
炎司は答えない。
答えるまでもなかったからだ。
「ふうん。やっぱり私の邪魔をするんだ。じゃ、それなら――」
大河は腕を振り払って、黒い『なにか』を放った。
炎司はそれを前に屈みこんでかわし、地面を蹴って距離を詰める。
今度は迷わない。
自分を奮い立たせる。
いま目の前にいるのはどうしようもできない敵だ。
そこにいるだけで災厄をまき散らす存在だ。
自分の目的は、それを倒すこと。
できないと思うな。
余計な感情はすべて投げ捨てろ。
そうでもしなきゃ、こいつは倒すことはできない。
「はあっ!」
距離を詰めたものの、大河との距離はまだ六メートルほどある。この距離では、狂い切った大河をぶん殴って倒すことはできない。
「ははははは! やるねえ!」
大河が右腕を怪生物に変化させて、炎司に向かって伸ばしてくる。大きな牙が生えた、口だけの怪物。それは夜の闇を切り裂いて炎司のもとに向かってくる。
しかし、その攻撃はすでに一度見ている。迎撃は余裕だ。真正面から向かってきた怪生物に向かって拳を放つ。牙に包まれた怪生物の口の中に手を突っ込み、炎を一気に放出した。腕から伸びていた怪生物は一瞬ですべてが青い炎によって燃やされていく。伝播する炎は、大河の身体に到達――
「ふん」
大河はなんの躊躇もなく自分の怪生物に変化した自分の腕を切り落とし、横に飛んで伝播する炎を回避した。切り落とした腕はすぐに再生していく。ダメージは一切ない。
「逃がすか!」
炎司は裏拳を放つように動作をして、青い炎の斬撃を放出した。右と左で合計二発。どちらも大河の身体を両断すべく放たれている。
大河は動かない。斬撃が迫る。三メートル。まだ動かない。一メートル。まだ動かない。そして、斬撃が大河の身体を両断するぎりぎりのところで、飛んできた斬撃をすり抜けるようにして大河は飛び込んできた。
しかし、すり抜けたといっても無傷ではない。右足は膝から先、右腕は肘から先が綺麗に切り裂かれていた。
「はは、やっぱこういうのって楽しいねえ!」
大河は片足とは思えない速さでこちらに突撃してくる。自分と接近戦をやろうというのか。いいだろう。相手になってやる。
迫りくる片腕片足の大河に容赦なく正拳突きを放つ。だが、大河は止まらない。その身を燃やされながら炎司へとさらに接近する。
正拳突きを食らっても止まらなかった片腕片足の大河はがっちりと炎司の身体にからみついた。欠損して体重が軽くなっているはずなのに、自分の数倍はあるように感じられた。
『まずい!』
突如として響くノヴァの声に炎司の高揚感は断ち切られてしまった。
――まずいって、どういうことだよ。
『ヤツはそもそも〈裏側の住人〉と同化している。そのうえ、〈裏側の世界〉と繋がっている扉と融合して、際限のない存在になっているのだ。その際限のない存在に侵食されれば――』
「……っ」
そこまで聞いて、自分の窮地をやっと理解する。
「はははははは! 殴り合いが得意だからって私をここまで近づけたのは馬鹿の極みだねえ。このまま呑み込んでやる。きみはいい栄養になるだろう。私は自分のために犠牲になってくれた者は忘れない主義だ。自由に生きて無様に死ぬその時まで、私は炎司くんの尊い犠牲のことを覚えていてあげよう」
のしかかってくる大河の身体は質量が増していた。それは人の形にはなっておらず、先ほど戦ったあたりにあるものを際限なく呑み込んで巨大化していた『裏側の住人』に近い。
「この……」
刻々と質量が増していく大河によって炎司は徐々に押し潰されていく。
しかし――ここでむざむざ潰されるわけにはいかない。
だって、この街を救えるのは、自分しかいないんだから。負けるのなんて、殺されて呑み込まれてしまうのなんて絶対にダメだ。
炎司は、先ほど解放した弁を開いて――
一気に炎を放出する。
爆発的な放出によって、炎司の身体を押し潰し呑み込もうとしていた大河の身体は吹き飛ばされた。残ったのはわずかな灰だけだ。
「終わった……?」
いや、まだだ。
あたりにはまだ邪悪な気配が残っている。この程度で終わるような相手ならば、炎司が敗北することはなかっただろう。
「なんだ、やったと思って気を抜いてくれないのか」
どこかから大河の声が聞こえてくると同時に、空間が歪んでそこから大河が姿を現した。
「手品とは恐れ入った」
「なんだ羨ましいのか? 教えてあげないぞ」
「別に……」
まったく羨ましくなどない。ただ、すごく面倒なだけだ。
「それにしてもやるじゃん。まさかそんな短時間でここまで強くなるなんて思わなかったよ。私も人間形態で炎司くんの戦うのは難しいかな」
みしみしと、なにかが軋むような音が聞こえて――
炎司はハッと危機を察知して後ろに飛び退いた。それから背後を振り返り、先ほど自分がいた方向へ目を向ける。
そこにいたのは――
「マジかよ」
以前戦った、『裏側の住人』の倍以上ある巨大な怪物がそこにいた。
怪物狩りは、ここからが本番だ。
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