第32話 進撃の混沌

 助けた。

 助けた。

 助けた。


 混乱に襲われ、死にゆくはずだった者たちを助けた。少なくとも二十人の命は救っただろう。


 だけど――

 それだけで本当によかったのだろうか?


 その場限りの救出だけして、あとはなにもしないなんて――


 そんなことを悔やんでも、いま炎司にできることは無責任に救うことしかできない。そんなこと、はじめからわかっている。


 それでも――


 助けた人たちを無責任に放置するのではなく、安全なところまで導くくらいのことはしかたかった。そうすれば、誰かを助けるたびに、炎司の中でなにかが死んでいくような感覚を味わうことはなかったはずだから――


『悔しいか?』


 ノヴァがそう不意に問いかけてくる。その声はやはり緊迫感に包まれていた。


「うん。悔しいよ。せっかく助けたのに、無責任に放置することしかできないなんてさ」


 助けるのであれば、もっとちゃんと助けたいよ、と炎司は言う。


 しかし――


 そんなことやっている時間などない。街の人々を助けるよりもやらなければならないことがある。


 炎司の中にある誰かの記憶が警鐘を鳴らしていた。かつて自分と同じように戦った者たちの声だ。すでに炎司は、その声を自由に思い出し、聞き分けられるようになっている。


 早く行け、このままでは取り返しのつかないことになるぞ、と。


「あのさ、木戸を倒したら街に溢れてる『裏側の住人』はどうなるんだ?」


『心配するな。いま街に溢れている『裏側の住人』はあのイカレ女が扉と融合して実体化しているために顕在化した状態だ。要である扉と融合したあのイカレ女を殺してやれば、数分と経たずに連鎖的に消滅する。それでもなお残っていたら、掃討すればいい。


 だが、それも時間がある程度経過したら、街に溢れている『裏側の住人』は実体を得てあのイカレ女がいなくても単独で存在可能になるだろう。そうなる前に手を打たなければ』


「それが起こるまでに残されてる時間は?」


『長くて夜明けまで、と言ったところだな』


 夜明けまで。いまは何時頃だろうか。そろそろ終電がなくなる時間だ。まだ結構時間があるように思える、が。


 街の人を助けていたらすぐに夜明けは来てしまう。それなら、やることはただ一つ。


「木戸を――殺す、か」


 それ以外、自分にできることはなにもない。


 本当にできるのだろうか。少し前、彼女を殺すことを躊躇して敗北してしまった自分が再び相対したとき、本当に大河を殺すことなんてできるのか?


 いや違う。

 できなければならないのだ。


 できなければ、この街が、もしかしたら世界が狂って滅ぶだけだ。

 自分がやるしかない。


 でも――

 そこで頭に過ぎるのは文子のこと。


 大河を殺したら、彼女は一体どう思うだろう。恨んだりするのだろうか。


 友達を殺されたのなら恨んで当たり前だ。自分だって、事情を知らずに仲のいい友人を殺されたら、殺した奴のことを恨むに違いない。


 もし、大河を殺すのであれば――

 文子の恨みも受け止めなければならない。

 それが文子に対しての責任だ。


 やるしか、ない。


「――――」


 街を駆けていた炎司の耳に、突如入ってきたのはもはやいまとなってはこの街のどこでも聞ける『裏側の住人』の咆哮。


「……マジかよ」


 住宅をなぎ倒しながらやってきたそいつは、あまりにも巨大だった。


 小さいビルほどもある巨躯。それはもはや生物とは思えなかった。そこらにあるものを手当たり次第呑み込んでここまで巨大化したのだろう。その巨大さでもしっかり炎司のことを認識しているらしかった。身体から触手のようなものを飛ばしてくる。


 炎司はそれを横に飛んでかわし、地面を蹴り宙を蹴り、巨大な『裏側の住人』に接近する。宙を蹴って加速した慣性を利用して回し蹴りを放つ。炎司の回し蹴りは巨大な『裏側の住人』にヒットし、その身体を吹き飛ばして燃やした、かに見えた。


「ちっ……」


 あまりにも巨大な『裏側の住人』は先ほど蹴りとともに放った炎で燃やし尽くせるものではなかった。身体の一部、ほんの数パーセント吹き飛ばしただけに過ぎない。そのうえ、吹き飛ばした部位はすぐに修復されていった。


「――――」


 不気味に蠢く『裏側の住人』はこちらをあざ笑っているかのように聞こえた。


『まずいな』


「どうかした?」


『私たちの前にいるヤツはすでに多くを食らっているのだろう。もうすでに単独で存在できる状態になっている』


「てことは、こいつを放っておくのはまずい?」


『ああ』


 炎司は、巨大な『裏側の住人』を注視する。確かにこんな怪獣みたいなの、仮に大河を倒せば消滅するのだとしても放っておくのは危険すぎる。


 倒さなければならない――が、どうやってあんな巨大なものを殺せるのだろうか?


「――――」


 巨大な『裏側の住人』は耳が腐りそうなほど不快な唸り声を発して、全身から真っ黒な液体を飛ばしてくる。瞬時に危険を察知した炎司は後方へステップしてそれを回避。真っ黒な液体は、触れたものをすべて溶かしているようだった。


 巨大でも、どこかに核となっている場所があるはずだ。それをどうにか突き止めてピンポイントで狙えれば――


 先ほどまき散らした溶解液の影響を受けていない部分を足場にして炎司は巨大な『裏側の住人』に再び接近する。巨大なため動きが鈍いのか、炎司を迎撃してくる様子はない。顔らしきものがある部分まで飛び上がり、正拳突きとともに炎を叩き込む。青い閃光を発して爆ぜた蒼炎に頭部らしきものはすべて吹き飛ばされた。


 しかし――


 頭部らしき場所はすでに頭部らしき場所でしかないらしく、その動きは止まらない。巨大な『裏側の住人』は巨躯の至るところから触手を押し潰すべく放ってきた。炎司は、空中でそれを迎撃しつつ、着地し、また距離を取っていく。


 どうする? 頭部に見える場所はすでに弱点でもなんでもない。いや、恐らくあの巨大な『裏側の住人』のは弱点なんてものはどこにもないのかもしれない。真っ二つにすれば二匹に分裂する可能性さえもある。あれを倒すのなら――ひと息ですべてを燃やし尽くし、吹き飛ばさなければならない。


 そんなことどうやって?

 あんな巨大なものを、ひと息に吹き飛ばすなんてどうやってやる?


 ……違う。

 できるはずだ。


 自分にある力をなんだと思っている。数々の記憶を思い出したお前には、自分が持っている力がどんなものなのかもうすでに理解しているはずだろう。


 理解しているのにできないのだとすれば、それは自分が無意識的に力を制限しているからだ。


 炎司に力を与えているのは、この巨大な地球だ。

 それに比べたら、いま目の前にいる『裏側の住人』など塵に等しい。


 燃やせ。

 燃やせ。

 燃やせ。


 自分と繋がっている力を燃やして引き出すのだ。


 それさえできれば、あんなもの簡単に燃やして殺し尽くすことなど容易いはずなのだ――


 そこまで考えて――


 炎司は自分のどこかに弁のようなものがあることに気づいた。それを、一気に解放して――


 すると、炎司の内側から圧倒的な力が流れ込んでくる。放っておくと、自分自身すらも灰すら残さずに燃やしてしまいそうな巨大な力。


「ああああああ!」


 炎司は、自分の内側から漏れ出してくる巨大なエネルギーを使って、巨大な『裏側の住人』に向かって、暴走しかねない力を一気に放出する。


 巨大な『裏側の住人』が見えなくなるほどの青い炎が、その輝きで炎司の視界をすべて埋め尽くした。


「――――」


『裏側の住人』の唸り声が聞こえた。相変わらず、なにを言っているのかわからなかったけれど、断末魔のようだ。


 自分の奥底から溢れ出てきた圧倒的エネルギーによって奪われていた視界が戻った時には、あれほど巨大だった『裏側の住人』は完全に消滅していた。炎司は、先ほど開いた弁を閉じて、際限なく溢れ出してくる力をせき止める。


「……倒した」


 がっくりとそのまま膝をつきそうになったが、なんとか耐える。


 まだ戦いは終わってない。膝をつくのは、この混乱を引き起こした張本人を倒してからだ。


『上だ! 気をつけろ!』


 ノヴァの声によって、安堵しかけた炎司の心は再び戦闘態勢へと立ち戻る。前に飛んで、上からの攻撃を回避する。先ほど炎司が立っていた場所には禍々しい形をした杭が何本も突き刺さっていた。


 そこにいたのは、倒すべき敵。


「あらー。油断しているようだったからいけると思ったのに、意外と油断していないんだね炎司くん」


「木戸……」


 炎司は体勢を立て直して、上から降ってきた大河と相対する。


「ほら、どうしたの? せっかくリベンジのチャンスなんだからさっさと来いよ。もしかしてビビってる?」


 相変わらず大河は、どこか狂ったような調子で陽気に喋っている。


「ビビってねえよ。そっちから来るなんて随分と不用心だな」


「不用心? なんでさ。私にとっていまのところきみしか障害はないんだから、きみを放置しておくほうがよっぽど不用心だと思うけど?」


「…………」


「無視? ひどくないそういうの? ちゃんと返答がないと私傷つくなあ。ま、いっか。どうでもいいし。それじゃあ第二ラウンドいこっか。今度は間抜けなことをしないでもらいたいね」

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