第25話 暗黒的世界像
「ぐっ……がっ……」
もがけばもがくほど、炎司の上半身にかみついた怪生物の牙はさらに食い込んでいく。四肢を貫いている杭は突き刺さったあと根でも張っているのかびっちりと固定され、まったく動かすことができない。炎を放出しようとしても、怪生物と杭に力を吸収されているのかうまく練ることができなかった。
敵はすぐそこにいる。しかし、炎司は身動きを取ることができない。
あいつはなにかとんでもないことをやろうとしている。それがなにかまったく想像もつかないが、とてつもなくやばいことであるのは確かだ。
「いやあ、あれだね。動けない人間を上から見下ろすってのはなかなか悪くないね。うん。自分でやってみてはじめてわかったよ。誰かをイジメるのってこんなに楽しいことなんだね。うんうん。いまなら私をいじめたヤツらのことがすっごく理解できるよ。ま、クソだと思うけどね」
大河は炎司のことなどお構いなしに、相変わらず楽しそうな口調で語る。
「ま、安心してくれよ。確かに上から誰かを見下ろすのはいい気分だけど、私は必要もなく他人を痛めつけて悦に浸るサディストの鬼畜じゃないからね。そうしたのは邪魔されると困るからさ。死んでも構わないって思ってやってるから殺意はあるけどね。
ああそうそう。よく殺人犯が言うじゃない『殺意はなかった』ってさ。あれ、すっごい馬鹿らしいと思わない? だってその瞬間は間違いなく『殺しても構わない』って思ってるはずなのにね。
『殺しても構わない』つもりでやったのならそれは間違いなく殺意はあったでしょうよ。どうしてそんなこと言うんだろう? そんなに裁判で自分にいい結果を出してもらいたいのかな? よくわかんないね。死ねばいいのに」
大河は宙を歩きながら滔々と言葉を述べる。
「だから炎司くんも死んじゃったら安心して私のことを好きに言えばいい。ま、死んじゃったらどうやって喋るのかわからないけど」
楽しそうに喋る大河は隙だらけのように見える。
しかし、いくら力を込めても胴にかみついた怪生物も四肢を貫いた杭も抜ける気配がまるでない。
「それにしてもいい夜だ。もっと早くに世界がこんな風にイカレてるってことを知りたかったな。そうすればもっと楽しいことができたのに」
残念だ、と実に芝居がかった口調で言う大河。
「それにしても人間ってのはどうしてこう退屈でクソみたいな世界で平然と生きていられるのだろう。少し刺激が足りてないと思わないか? そんな生温い世界で生きていたらきっとすぐにボケちゃうぜ。まあ、きみは他の奴らよりも刺激的な人生になっているだろうけどね」
けらけらと狂気を感じさせる笑い声を夜の街に響かせながら、大河は宙に浮かぶ黒い球体に触れる。
「熱はないのに、脈動しているな。なかなか興味深いモノだねこりゃ。
だけど、いまは調べなくてもいいか。調べるのはあとになればいくらでもできるだろうし」
「なにを……」
するつもりだ、と炎司は苦痛に堪えながらその言葉を絞り出した。
「なにを? さっきも言わなかったっけ? もう忘れちゃったのか? ちょっと平和すぎてちょっとボケが始まってるんじゃないの? 言っただろう。これを食べるんだよ」
大河は宙に浮かぶ黒い球体を足で小突いた。
「馬鹿な、食べるだと? それがどういうことかお前わかっているのか?」
ノヴァが姿を現し、大河を見上げながら怒鳴り声をあげる。いつも冷静な彼女がかなり熱くなっているように思えた。
「あら、やっとお出ましかい神様。それとも精霊? どっちでもいいか。たいして変わんないし。
質問に答えよう神様。コイツを食べることがどういうことかわかっているのか? そりゃわかっているさ。わかっているからこそやろうとしているんじゃないか。なにが起こるかわからないのにやったって心配ばかり浮かんで楽しめないからね。
食べる。それはこいつを取り込んで同一化するってことだ。そういう行為だろう? 食べるってのは」
「…………」
ノヴァは無言のまま黒い球体の近くに浮かんでいる大河を見上げた。
「そして、これはきみたちの言う『裏側の世界』と繋がっているものだ。『裏側の住人』と同じく実体はなく、ごく限られた人間にしか見えも触れもしない。
で、私はそこで思ったわけ。これも人間と融合すれば実体を得るんじゃないかって」
「そんなことをして……どうする?」
「どうするって別に? なんだか楽しそうだからやるだけだよ。だって、つい数秒前まで自分が殺されるなんて思ってもなかった奴らが泣いたり叫んだり殺したり殺されたり化物になったりするんだぜ? すっごく楽しそうじゃないか。いまよりもよっぽど刺激的で楽しい世界だと思わないかい?」
大河は自分でそんな問いかけをしておきながら「ま、思うわけないよね」と付け足した。
「というわけで『裏側の住人』に食われても自分を保つことができた私なら、こいつを取り込んでも大丈夫だと思うの」
ノヴァは「そんなことがあるわけ」と返すが、その言葉は弱々しかった。
「そんなに心配しないでよ。私、いままで誰かに心配されたことなんてろくになかったから照れちゃうじゃん。
安心してよ。これと同化をしようとして自分が消えてなくなったって、あなたたちに文句を言ったりしないからさ。
私はね、愉快で楽しい人生を送れるのであれば、その五秒後に死んだって構わないと思ってる。なにしろいままで楽しいことなんてなに一つとしてなかったからね。だから私は最期まで愉快に笑って無様に死ぬと決めている。誰にも邪魔させない」
大河の腹のあたりから巨大な怪生物の顎が出現する。
「さあて、これから楽しくなるわよー。日本って久しく刺激的なことがなかったから、これはきっとすごく刺激的なことになってくれるでしょう。楽しみすぎて身体が熱くなってきちゃう」
巨大な顎はそのまま、黒い球体を呑み込んで――
「味はしないわね。ま、食い物じゃなさそうだし当然かな。おいしさは求めてないし」
だけど少し残念、なんて言ったと同時に――
大河の身体がねじくれてその質量が増大していく。ぎちぎちと不気味な音を立てて、臨界を超えた核反応のような増大の仕方だった。瞬く間に、大河だったものから現れた黒い正体不明の物体にあたりは埋め尽くされていく。
大河の狂気を取り込んだからなのか、もともとからそうだったのか、発狂しそうなほどの悪臭が鼻を衝いた。炎司は耐えられなくなって血が混じった吐瀉物を吐いてしまう。その吐瀉物も、すぐに増大した大河だったものに埋め尽くされて消えていく。胃が全部裏返ってしまったのではないかと思うほど吐きまくって――
先ほど大河がいた場所にあたりを満たす黒い正体不明の物体が集まっていって切り離され、そこに大河が出現した。
「ほら、うまくいった」
と、先ほどと変わらない調子で大河はけたけたと笑っていた。
「なんというか、世界と繋がってる感じがするわね。なかなかワンダフルな感覚。でも、そんなに悪いものじゃないわ」
黒い汚濁の中を王者のごとく歩きながら、このような事態になっても完全に拘束されたままの炎司のもとに近づいていく。
「貴様……」
ぎり、とノヴァは歯を軋らせて大河を見つめ返す。
「あら神様? 炎司くんがこんなことになってるのに、あなたはなにもしないわけ? 実に神様らしいわ」
大河はノヴァに向かって挑発的な言葉を発する。
「ま、そんなことどうでもいいけど。それじゃあね、炎司くんに神様。たぶん私は大丈夫だろうから、まだ戦う気力があるのならまた一緒に遊びましょうね。実は少し物足りなかったの。もうちょっと頑張ってくれないと女を喜ばせることなんてできないわよ」
炎司の顔に触れたのち、いまだに炎司の上半身にかみついている怪生物を思い切り叩き込んだ。
「まったねー」
そんなことを言って、大河は空高く飛び上がって、すぐにその姿は見えなくなった。
彼女が残していった黒い正体不明の存在から、ボコボコと気味の悪い音を立てながらなにかが出現する。『裏側の住人』だった。しかも、その数はあまりにも多い。ボウフラのように際限なく溢れ出していた。
「なにをしている早くしろ!」
ノヴァは炎司を叱責する。
しかし、未だに拘束は解けない。さらにその力が増している、ように思えた。
「この……馬鹿者め!」
ノヴァはそう言って炎司の頬を打ちはたいた。その力は、いまの炎司にしてみればとても弱々しいもので――
ノヴァは炎司の頬をはたいたあと、四肢に突き刺さっている杭を抜こうとする。その姿はどこから見てもか弱い女の子にしか見えなかった。
「なにを……」
「なにをって……決まっているだろう。動けないのなら私が動けるようにしてやる」
そう言うものの、炎司の力を以てしても抜けない杭を、普通の女の子と同程度の力しかないノヴァに引き抜けるはずもなかった。
それを見て、炎司は――
自分はなにをやっているのだろうと思った。
元の世界に戻るために戦うと決めて。
右も左もわからないまま戦って、なんとか戦えるようになって。
自分勝手なことを考えて勝手に負けて――
なにをしているのだ。
こんなことが起こっているのに。
あたりに広がるのは混沌と暗黒。
自分がやらなくて、どうするというのだ。
「ノヴァ……もういい」
炎司がそう言うと、ノヴァは一瞥をしたのち――
「わかった」
と、短くそれだけ言って、彼女は姿を消した。
だけど、近くにいることはわかっている。
「ぐぐぐ、が、あ……」
渾身の力を込めて腕に突き刺さった杭を引き抜こうとする。その身を――滅ぼしても構わないという勢いで。
「ああああああ!」
炎司はそう叫びをあげ、いつかのように全身が青い炎に包まれて――
左腕、そして両足と突き刺さった杭を力づくで引き抜き――
胴にかみついた怪生物を燃やして――
暗黒と混沌と邪悪に埋め尽くされた街に再び立ち上がった。
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