第24話 予期せぬ戦い

「がっ……」


 大河に思い切り腹を殴られた炎司は二メートルほど上空に打ち飛ばされた。腹を思い切り殴られたことによって呼吸が一瞬途切れたものの、すぐに持ち直し、空中で姿勢を変えてなんとか着地する。


 なんて……力だ。とても人間とは思えない。


 いや――と、炎司は首を振った。いま目の前にいる同級生、木戸大河はすでに人間ではない。何故なら、人間であったのならば、あんな風に『裏側の住人』を――


「あれー? どうしたのさ。もしかして警戒してるのー?」


 相変わらずこちらを嘲るような調子で言う大河。彼女が発するその言葉の軽さは、さらに異様さを際立たせる。


「もっとさー殴ったり殴られたり殺したり殺されたりしようよー。楽しいじゃんそういうの。せっかくそういう楽しみができるようになったんだから楽しまないと損だよー。もしかして炎司くん、戦うことに使命感とか感じちゃってるタイプ?」


 あはは、と調子よさげに大河は笑う。


「そういうの馬鹿らしくない? 炎司くんだってもう大学生なんだし、そういう馬鹿らしいことは卒業して、楽しいことは楽しんじゃった方が得だぜー」


 ね、と大河は言って、どこからともなく杭のようなものを出現させ、炎司に向かってそれを思い切り投擲する。


 炎司は、自身を殺すべく放たれたそれを横に飛び退いて回避。先ほどまで炎司が立っていた場所に、その杭は深々と突き刺さった。炎司は膝をついたまま――


「きみは、楽しくてそんなことをやっているのか?」


 炎司は大河に向かってそんな質問をする。


「そうだよ。当たり前じゃん。楽しいことを楽しんでなにが悪いの?」


 やっぱり頭悪いね炎司くん、なんて挑発の言葉をつけ足す大河。


「私はねーこっちに来るまでずっと人間扱いされてなかったんだよ」


 仰々しい口調になって大河は語り出した。なにを言うつもりなのか。


「親はクズ。今日打つパチンコのために給食費を盗んで来い、なんていう感じのよくいるような輩さ。親がクズだったせいで他の同級生からはいじめられる。これでも色々なことをされたよ。自慢じゃないけどね。まあ、とにかく、わたしは大学生になって東京に出てくるまでずっと人間扱いされたことなんてなかったわけよ」


 芝居がかった口調で自分のことを語っている大河は隙だらけのように見える。見えるのに――何故か手を出してはいけないと炎司の本能が警鐘を鳴らしていたので、なにもすることができなかった。


 こちらのそんな状態を察しているのか、一度炎司に視線を向けたのち、大河は言葉を続ける。


「東京に出てきて、そりゃあもう驚いたよ。だっていままで自分には遠すぎて手が届かないものだったあれこれが手に入っちゃったんだもの。それで私はわかっちゃったんだよね。ああ、わたしには手が届かないものはみんな普通に持っているものなんだって。いやいや、ほんと悲しいよね。そりゃもう、殺したくなるくらい」


 先ほど炎司に投げつけた杭をまた出現させる。


 こちらに投げてくるのか、と思って身構えるが、大河はそれを投げてこず、自分の腕に思い切り突き刺した。


 突き刺した杭を無造作にかき回し始める。不快で不気味な音があたりに響き、大河の腕は徐々に千切れていって、ぽとり、と軽い音を立てて呆気なく落ちてしまった。しかし、大河は自分の腕が落ちたことなどまるで気にしていなかった。


 東京に出てくるまで、彼女がどんな風に生きていたのか炎司はまったく知らない。


 だが――ひどい目に遭っていたというのなら、こんなにも明るく語れるものなのだろうか? 自分の過去を語る彼女には酷い目に遭っていた、という悲壮感がまるでない。それが、表現しようのないほどに恐ろしく感じられた。


「まあ、そこまではよくある話よね。私だってもう大学生だし、いくら殺したいほど悲しくても騒ぐつもりはなかったのよ。人生なんてそんなもんだーなんて思っていたけれども、私は運がよかったのか悪かったのはわからないけど転機が訪れた。


 あんたたちの言う『裏側の住人』に私は襲われた。なんで襲われたのかは知らないし、どうでもいいけれど。そのあたりのことは関係ないしね。割愛しましょう。


 ぶっちゃけた話を言うと、この先生きていてもたいした価値なんてないだろうし、死んでもいいと思ってたのよ。無様で無意味に死ぬのも私らしいしね。


 でも、見たこともない化物に襲われて丸呑みにされたはずなのに、わたしは何故か死んでなかった。いや、死んだのかもしれないけど、とにかく私の意識は連続性を保っていたし、身体も無事。あれは夢かなにかだったのかしら、なんて思ったけれど、どうやらそれも夢ではないことがわかった。


 何故なら、どこからともなく知らない言語で会話している声が聞こえたのが最初。まったく知らない言葉のはずなのに何故か理解できてね。それが私を襲ったヤツらのものだってわかるのにそれほど時間はかからなかった」


 大河は先ほど千切れた自分の腕を思い切り踏み潰した。その音はスライムが潰れるような音で、とても人間の器官の一部だったとは思えない。千切れた先からは、地面に溜まっているような黒い液体に似たものが流れ出していた。それもやはり人間のものとは思えない。


「どうやら、私は化物になってしまったらしい。でも、そんなことまったく気にならなかったわ。だって、私の人生のほとんどは石を投げつけられる化物のようだったから。化物扱いされていた哀れな娘は本物になってしまっただけの話。笑えるよね」


 大河はそう同意を求めてくる。

 しかし、炎司はなにも返すことはできなかった。


「で、化物になったのなら化物らしいことをやってみようか、って思って、それで始めたのがいま街で起こってる事件なんだけど、思ったよりも面白いことにはならなかったのが残念だわ。だって苦しんで死ぬだけなんですもの。死ぬのならもっと愉快なものを見せてくれればいいのに」


 そう嘯く大河は本当に残念がっているらしかった。


「そんな風に残念がっていたところに、ヤツらがざわつき始めた。耳を凝らしてみると、どうやら邪魔者が現れたらしいことがわかったわ。それがあなたたちだってこともね。やっぱり、現代人が持つべきものは情報網よね、そう思わない炎司くん?」


 あまりにも明るく喋り続ける大河に、炎司はいままでとは違った恐怖を抱くしかなかった。ここから逃げ出したいと思った。だが、身体は動かない。まるで、彼女が発する狂気に満ちた声によって身体が麻痺してしまったかのようだ。


「すぐやられちゃうかなーなんて思ったけれど、そうはいかなかった。素人だったはずなのに、よくやるじゃない炎司くん。すごいと思うわ」


 炎司はなにも返すことができない。


「まあでも、あなたたちに邪魔されて楽しいことはできなくなるのは我慢ならないから、いま私はこうしてここに現れたというわけ。さ、話は終わりよ。楽しい続きを始めましょう」


 ふふ、と妖しく、そして楽しそうに笑った大河は自分の肘から先がなくなっていた腕を肩から引き千切って炎司に向かって投げ捨てた。投げ捨てられたそれは、空中で形を成していき、先ほど炎司が倒した犬のような形へと変貌する。犬は炎司の身体を寸断すべく全身を刃に変化させて、風を切り裂きながら炎司の身体を狙う。回避が遅れた炎司は、腕に炎の力を溜めてそれを受け止めた。


 巨大な刃を受け止めたのち、裏拳と蹴りと炎を叩き込む。すると先ほどの個体とは違って呆気なく犬は消滅した。


「ま、それじゃ駄目よね。じゃ、こういうのはどうかしら?」


 大河の肩からムカデのような気味の悪い怪生物が出現し、炎司の身体をかみ砕こうとする。


 だが、今度は回避が間に合い、それを掻い潜って大河との距離を詰めていく。二歩で、自分の拳が届く距離に。


 そして、そのまま渾身の一撃を与えようとして――


 ここで大河を殺してしまったら、あの娘はどう思うだろう。なんてことが頭を過ぎって――


 腕が止まってしまった。


 動きを止めてしまった一瞬のうちに先ほど掻い潜った怪生物が斜め後ろから炎司の身体にかみついた。炎司の胴を容易くかみ千切れるほどの大きさの顎によってそのまま壁に思い切り叩きつけられる。


「がっ……」


 怪生物の持つ細かい牙が炎司の身体に食い込んでいく。わき腹から背中にかけて無数の牙を突き立てられた炎司は吐血した。


「あら、手が止まったようだけど、どうしたの? あなた使命感で戦っているのではなくて? もしかして、私を殺したら文子がどうなるだろうとかそんなこと思ったのかしら? 馬鹿ねえ。命のやり取りをしてるのに、そんなこと考えるなんて。遠慮なくてしなくてもいいのに」


 大河は腕から生えていた怪生物を切断する。そうすると、千切れていたはずの彼女の腕は元に戻っていた。


「ま、でもラッキーだったわ。ちょっと物足りないところだけど、これから楽しいことはできそうだしね」


 そう言って大河は杭を出現させ、炎司の四肢にそれを深く刺し込んだ。炎司は、四肢を刺し込まれて磔のような状態にされた。


「なにを……するつもりだ?」


 胴を怪生物の牙、四肢を杭で貫かれた炎司にはそれを絞り出すのがやっとだった。


「さっきも言ったでしょ。あれを食べてみようと思って」


 そう言って大河が指を指したのは宙に浮かぶ黒い球体。


「あれがあれば楽しいことはできるけど、そのままにしておくとあなたに壊されてしまうし。大事なものは首からぶら下げておけってよく言うじゃない?」


「……や、やめろ」


 もがいて拘束からなんとか抜け出そうとするが、四肢に刺さった杭も、胴に刺さった怪生物の牙もまったく抜ける気配がない。


「やだ。負け犬らしくそこで無様に見てなさい。さて、これから楽しいことになるわよ」


 大河は無様に動けなくなっている炎司に一瞥をくれたのち、空中に飛び上がってそのまま歩いて――


 黒い汚物を空中から垂れ流し続ける邪悪な球体に飛び乗った。

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