第23話 予測不可能性

 頭への血流が断たれたことで、炎司の意識は一瞬ブラックアウトした。


 しかし、いまの炎司には並外れた再生力がある。そのため、意識が落ちていた時間は一秒にも満たない時間だった。


 意識を取り戻した炎司は、なにをされたのか確認すべく背後を振り向く。


 そこには――

 ピエロの仮面をつけた誰かがそこに立っていた。


 体格、身体つきからして、女性だろうか? いや、違う。そんなことはどうでもいい。あれは、一体。


「驚いた。本当に死なないんだ」


 ピエロはへらへらとした声で興味深そうに言う。手に持っているのは小型の折り畳み式のナイフ。それをこちらを嘲るような手つきで弄んでいる。


 ――どうなっている。そう心の中でノヴァに語りかけた。


『わからん。もう少し時間をくれ』


 この事態は、ノヴァにも予想外のことであるらしい。

 どうにかしてあのピエロから、情報を引き出すか?


「お前は……なんだ?」


 ピエロにもう一度目を傾け、その実態を見破るべく注視する。

 どう見ても『裏側の住人』には見えない。


 だが、普通の人間とも思えなかった。音もなく背後から近づいて自分を傷つけたからそう思っているわけではない。目の前にいるピエロからは、普通の人間とは思えない異質さを放っているから炎司はそんなことを思ったのだ。


「なんだ? なんだだってよ! ははは。笑っちゃうね。なかなかひどいことを言うじゃないか。私らは同級生だろ?」


 ピエロはこちらを挑発するかのように大声であざ笑った。


「同級生……だと?」


 こいつはなにを言っている? 炎司の中にある不可解さがさらに増大した。こんなことをする知り合いなんていただろうか?


「ま、きみ相手にこれで顔を隠している必要はないか」


 そう言ってつけていたピエロの仮面を外して投げ捨てる。


 外す多ピエロの仮面の下に出てきたのは――

 同級生の木戸大河であった。


「……っ」


 その顔を見た瞬間、炎司は驚愕するしかなかった。


「どうして私がこんなことをしているのかって顔をしているね。吉田正幸くん。いや、いまは火村炎司というんだったっけな?」


 ノヴァ以外から言われるはずのない名を呼ばれて、炎司の警戒はさらに強まった。

 何故、こいつは自分の名前を知っている?


 なにが、どうなっている?


「ま、どっちでもいいか。名前なんてたいしたものじゃないし。ぶっちゃけきみが吉田くんでも火村くんでも私は知ったことじゃないんだ。名前がどっちであっても私がやることは変わらないしね」


 へらへらと笑いながら、大河は言う。そこはかとなく狂気を感じられる物言いに炎司は押され、じりっと半歩後ずさった。


『こいつ……』


 そのとき響いたノヴァの声には驚きが満ちていた。「どうした」と炎司は心の中で問い返す。


『あの娘〈裏側の住人〉と融合している』


 ――なんだって! と思わず声が出そうになった。


 となると、目の前にいるこいつは――

 ごくり、と炎司が唾を飲み込んだ。


「お? なんの話? そういえばきみには協力者がいるんだっけ? どこにいるの? 姿が見えないようだけど」


 さらなる困惑に襲われる炎司をよそに、大河は余裕に満ちたおどけた調子で言ってみせる。


「ま、別に姿なんて見えなくてもいいか。どうせきみには死んでもらわないといけないんだし」


 どうやって殺そうかな、なんて大河は軽い調子で嘯いた。


「俺の邪魔をして……なにをするつもりだ?」


「なにを? 決まってるじゃないか。あそこに浮かんでいるあれを使って遊ぶのに決まってるじゃない。わかんないの? きみ、意外と頭悪いなあ」


 大河は宙に浮かんでいる黒い球体を指さした。


「あれで遊ぶだと? あれがどんなものかわかって――」


「わかってるよ」


 炎司の言葉を遮って大河は言う。


「あれがなにかわかっているからこそ、遊ぼうとしているんじゃないか。なにかわからないもので遊んでどうするんだい? 遊びってのはある程度なにが起こるかわかるから楽しいもんなんだぜ」


 炎司くんはわかってないなあ、と残念そうな調子で空を仰いだ。


 そのとき――


「――――」


 大河の背後から『裏側の住人』がどこの言語とも似つかない唸り声をあげて近づいてくるのが見えた。


 助けるべきか、と一瞬迷ってしまったせいで、炎司は動くことができず――


『裏側の住人』は背後から大河に襲いかかろうとして――


「邪魔するなよ」


 大河は心底迷惑そうに吐き捨てて、先ほど炎司の首を切り裂いたナイフを『裏側の住人』に思い切り突き立てた。


 大河のナイフは『裏側の住人』の顔面らしき部分に的確に突き刺さる。『裏側の住人』は襲いかかるときとは違った呻き声を上げてその動きを止めた。その動きが止まったところを大河は見逃さず、刺さっているナイフに蹴りを叩き込んで、倍近く身体の大きい『裏側の住人』をあっさりと蹴り倒した。それから、怖じることなく倒した『裏側の住人』に馬乗りになって――


「なんだか知らないけどさあ。少しくらい空気読んでくれないかな?」


 蹴りこんだナイフを抜き取って、再び顔面に突き刺した。嫌な音があたりに響き渡る。それから突き刺したナイフをまた抜いてすぐに顔面に突き刺す。それを何度も何度も、見ているこちらがおぞましくなるくらい繰り返した。それを十回ほど繰り返したところで――


 酷使されたナイフはあっさりと折れて、刃の部分が『裏側の住人』に突き刺さったままになった。


「やっぱり安物は駄目だな」


 興味なさそうに刃が折れて柄だけになったナイフを放り投げた。


「まあいいや。ちょうど彼にも見せたいと思っていたところだし、お腹も減った」


 その言葉を言い終えた瞬間、大河の身体に変化が生じた。腹のあたりから巨大な顎のようなものが出現し、彼女が押し倒していた『裏側の住人』を――


 食べた。


「……っ」


 大河の腹に出現した巨大な顎はひと口で自分の倍以上の大きさを誇る『裏側の住人』を丸呑みにする。なにを食べているのか想像もつかない不気味なことこのうえない咀嚼音があたりに響き渡り、それが消えたところで、こちらに振り向いて――


「やっぱり、見た目ほど味は悪くないな。で、どこまで話したんだっけ?」


 と、何事もなかったかのように炎司に話しかけた。どこか、満足そうな笑みを浮かべて。


 炎司は言葉を返すことができなかった。


 なにが起こっている?

 人間が『裏側の住人』を食った?


 そんな馬鹿な。


 こちらの世界に来てから、色々と常識から外れたものを見てきた炎司であったが、いまここで見せつけられたこれは、いままで見て体感してきたものとは比べものにならないくらい異常なものだと思えた。


 もうさらに半歩、炎司は後ろにずり下がった。


「そうそう。あれでどうやって遊ぶのかだっけ?」


 大河はまったく変わらない調子で喋っている。それがさらに彼女の異様さを際立たせているように思えた。


「色々と遊ぶ方法は考えたんだけど、やっぱりあれを壊されると困るからさ。自分のものにしちゃおうと思って」


「なにを……する気だ?」


 炎司はやっと言葉を絞り出した。理解できない異質さを目の前にしているせいか、異様なほど喉が渇いている。


「わかりやすく言うとね、さっき見せたようにあれも食べちゃおうと思って。そうすれば色々と効率的だろうし」


「な……」


 あれを……食べるだと?

 炎司はいまもなお黒い汚物を垂れ流している黒い球体に目を向けた。


「たぶんいけると思うんだよねー。ヤツら『裏側の住人』に襲われてもなんとかなったしさ」


「じゃあ、お前が……」


「ん、そうそう。この街で起こってる急死事件ね。きみが思っている通り、私がやったことだよ。私が『裏側の住人』にされたようなことをやったらどうなるのか気になってさ。もしかしたら同好の士を見つけられるかと思ったんだけど、駄目だね。加減がよくわからなくて全員死んじゃった。それはそれで、なかなか愉快な光景だったけど」


 あまりにも軽い調子で大河はそう言う。


「で、そんなことをやってたらきみが現れたわけだけど、なかなか出会えなくてねえ。昼間は私も普通の生活していないといけないし。こうやって会えるまでは正体隠してないといけなくてさ。なかなかつらかったよ。ほめてくれない? いやあ、今日出会えて本当によかった」


 大河は嬉しそうに手を叩いた。


「俺と会って、なにをするつもりだった?」


「決まってるじゃないか」


 そう言うと同時に浮かべていた薄ら笑いが消え――


「きみをぶっ殺すためさ。私がやりたい遊びの障害になるのはきみだけんだから。それを排除するのは当たり前のことだろう?」


 その言葉を言い終えると、大河は地面を蹴りこんで一気に近づいて――

 炎司の腹に思い切り拳を叩き込んだ。

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