第22話 これが、最後の……

 夜になって街に出た炎司は、変貌した街の姿に驚愕した。


「……なんだ、これ」


 黒い水の水位は変わっていなかったが、住宅やブロック塀に付着している黒い塊によってあらゆるものが変質して見えていた。昨日の夜は、住宅に付着しているはずだったものが、いまは完全に異物の方が呑み込んでいる。人が暮らす世界と思えない。


 だが、これほどまで街が変貌しているにもかかわらず、炎司以外はこの異常に気づきもしないというのはなんとおかしなことか。自分だけがどこかおかしくなってしまったのではないかとすら思えてくる。


「……本当にこれ、もとに戻るのか?」


 炎司はどこかにいるはずのノヴァに問いかける。


『ああ。大元さえ断てれば、修正にはそれほど時間はかからない。お前にはとてつもない異常に見えるかもしれないが、それほど心配しなくていい。まだ、多くの人間がこの状態に気づいていないのがその証だ。お前はなすべきことをやれ』


「……ああ」


 炎司はノヴァの言葉に頷く。


 それから炎司は大地を踏みしめて駆け出した。ただ道を進むのではなく、住宅の間や壁などを蹴って道なき道を最短距離で進んでいく。そうやって進んでいると、すぐに異常の大元たる『扉』が出現している場所に辿り着いた。


「……っ」


 それは、見ているだけで身体が犯されていると錯覚するほどの異常であった。


 宙に浮かぶ黒い球体というのはいままでと同じだ。しかし、その大きさはいままで見たものの二倍以上ある。そこから常に黒い『なにか』が垂れ流されていて、街を汚染していく。臭いはないはずなのに、異臭が感じられるほどだ。


 幸いなことに、まだ『裏側の住人』は現れていない。現れる前にさっさと壊してしまわなければ――


 と思って、両腕に力を込めようとしたそのとき――


 風切り音が聞こえてきた。それを聞いたときにはすでに遅く、炎司の左腕はすっぱりと腕の付け根から持っていかれていた。勢いよく血が流れ出すとともに、強烈な痛みが感じられる。


「ぐっ……」


 目の前には、千切られた炎司の腕を口でつかんでいる、小型犬のような『裏側の住人』が佇んでいた。そいつは、切り落とした腕をその小さな体躯からは考えられないほど巨大な顎で丸呑みする。がりがりと、肉と骨をかみ砕く音があたりに響いた。


 炎司の腕を食い終わった『裏側の住人』は虚のような目を輝かせ、質量保存の法則を無視して、身体を巨大な刃に変化させて炎司のもとに突っ込んできた。炎司はそれを横に飛び込んで回避する。腕はまだ再生し終わっていない。


 巨大な刃に身体を変化させた『裏側の住人』はコンクリート塀に深々と突き刺さっていた。その圧倒的な切れ味を見て、炎司はぞっとするしかない。もし、最初の一撃がもうすこしずれていたのなら、炎司の上半身と下半身は両断されていてもおかしくないとわかったからだ。


『さっさと腕を再生させろ!』


 ノヴァの怒鳴り声が聞こえてくる。


 その声を聞いて、炎司はハッとし、再生の仕方を記憶から掘り起こして、腕に力を込め、意識的に腕の再生を行った。一瞬だけ感じられるのは存在しない腕が焼ける感覚。それが消えるとともに炎司の失われた左腕は再生されていた。少しだけ手を動かして、問題ないことを確認する。


 腕の再生を終えた炎司は地面を踏み込んでコンクリート塀に突き刺さったままの『裏側の住人』に突撃した。『裏側の住人』は突き刺さったまま動こうとしない。風を切り、一瞬で『裏側の住人』に接近する。ヤツの身体を両断すべく手刀を放つ。『裏側の住人』はまだ動かない。炎司が放った手刀は問題なく当たる。


 だが、炎司の放った手刀にはまるで手ごたえがなかった。なにかに触れた感触はあったが、それは水の中に手を入れた時のものに近かった。なんだこれは、と思っているうちに――


 炎司の手刀によって切り裂かれた一部が杭のようになものに変化して肩を貫いた。肩に一撃を食らって一瞬怯んだところに、突き刺さったままだった『裏側の住人』が動き出す。刃そのものに変化させた身体を、炎司の肉体を寸断すべく振り払った。肩に一撃を食らった炎司は一瞬だけ動作が遅れ、身体が寸断されることは避けられたものの、右わき腹から左わき腹にかけてすっぱりと真一文字に切り裂かれてしまう。


「あ……ぐっ……」


 一瞬だけ強烈な痛みが感じられたのち、傷はすぐに再生され、痛みは治まった。何歩かたたらを踏んで、炎司が体勢を整える。身体全体を刃に変えていた『裏側の住人』はもとの小さな犬のような形状に戻っていた。こちらの様子を窺っているのか、なかなか飛びかかってこない。じりじりと緊迫した空気が炎司を支配していった。


『気をつけろ。ヤツはどこかにある核を壊さない限り倒せんタイプだ。身体のように見えるあれをいくら攻撃してもヤツを殺すことはできない』


 ノヴァの冷静な声が響く。こうした戦いの時でも、冷静でいてくれるのは非常にありがたかった。彼女のそんな声を聞くと、炎司も不思議と狂騒と緊張で熱くなった精神を冷やしてくれるからだ。


 落ち着け。いままでだって困難はあった。いまこの時だって同じだ。


 ――思い出せ。


 そうだ。戦い方は知っている。自分はそれを思い出すだけでいい。


 見ろ。炎司の頭に浮かんだのはそれだ。


 お前は普通の人間が見えないものも見ることができる。普段は使えないそれを使うのだ。そうすれば、実体のない影に包まれたあの『裏側の住人』の核すらも見つけられる。感覚を研ぎ澄ませ。


「――――」


『裏側の住人』は、どこの言語とも似つかない唸り声をあげると、その場から姿を消した。逃げたのか――思ったが、すぐにそれは違うことがわかる。


 炎司の死角となっている位置から『裏側の住人』が飛来してくるのが感じられた。それを、反射的に身体をずらして回避する。未だに『裏側の住人』の姿は見えない。


 夜の闇の中には、小さな風切り音だけが響く。戦うために強化された炎司の視覚ですら捉えきれないほどの速度で動いているのだ。相変わらずなにもかもデタラメな連中だ、と炎司は吐き捨てた。


 二撃目も同じく的確に死角を入りこんで放ってきた。


 しかし、炎司は死角を狙ってくることをあらかじめ察知していたため、こちらに向かってきた『裏側の住人』の攻撃を回避するともに回し蹴りを放つ。回し蹴りは確かに当たった感触はあったが、手ごたえはなかった。


 炎司の回し蹴りが当たった『裏側の住人』はそのまま壁に激突する。しかし、ダメージを受けている様子はまったくない。壁に叩きつけられた『裏側の住人』は何事もなかったかのように起き上がった。ヤツは、小型犬のような見た目なのに、猫のような動作をしている。それが、なんとも腹立たしい。


「いままでみたいに、攻撃と同時に炎を叩き込めば、核も一緒に壊せるかな?」


 炎司はノヴァに質問する。


『どうだろうな。ここに現れている連中の進化の速度を考えると――もうすでにそれに対応している可能性は高い。別の手段を考えた方がいい』


 ノヴァのその言葉には炎司も納得であった。間違いなく今回の個体は、いままで炎司が倒してきた手段に対抗してきている。


 では――どうする?

 炎司は記憶の海を漁っていく。


 いま目の前にいる敵を倒せる手段を。

 こちらに対抗をしてきている敵を倒せる手段を。


 思い出す、しかない。


 いくらこちらの身体が再生できるといっても、長期戦になれば不利だ。別の個体が引き寄せられる可能性もある。


 炎司は『裏側の住人』を注視する。


 倒す手段は必ずあるはずだ。

 いくら相手が怪物であったとしても、完全な不死身なんてあり得ない。


 思い出せ――


 どこかにあれと似たようなものを倒した時の記憶があるはずだ。


 猫のような動きをして、しばらくこちらに頓着していなかった『裏側の住人』が動き出す。


 質量保存の法則を無視して身体を増大させ、身体を巨大な刀のような形状に変化させて、自らの身体を誰かに振るわれているかのように、大きく振りかぶった。その中にあるものは、その一撃ですべて両断されていく。


 だが、大振りな一撃だったので、炎司がその場にしゃがみ込んでそれを回避する。


 しゃがみ込んで回避したところに、斜め上から巨大な刀が振り下ろされる。先ほどの攻撃を回避したことで一瞬気を緩ませたところの一撃であった。


 回避できない、と悟った炎司は両腕に渾身の力を込めて巨大な刀による一撃を受け止めた。その攻撃はとても重く、じりじりと押し込まれていく。腕から炎を爆発させて、はじき返そうとする。しかし、相手はそれを読んでいたのか、炎司が爆発させる直前で刀を引いた。腕から放った爆発は見事に回避され、巨大な刀はそのまま横一線。炎司の身体を両断すべく三度目の攻撃を放つ。


 できる限り炎を集めて薙ぎ払われた一撃を受けたものの、そのままバランスを崩し、先ほど自分が『裏側の住人』を叩きつけたブロック塀に思い切り叩きつけられる。


 頭を思い切りブロック塀に打ちつけたため、視界がぐらぐらと歪んだ。まずい、と思うものの、身体が思うように動いてくれない。


 巨大な刀に形状を変化させていた『裏側の住人』は、次は巨大なドリルのように身体を変形させてこちらに突っ込んでくる。炎司の身体はまだ動かない。巨大なドリルは、炎司の身体を思い切り貫いた。以前、腹に突き刺さったものとは桁違いに大きなものが炎司の身体に突き刺さっていた。ごふっ、と炎司は吐血する。


 両手でドリルのように回転している『裏側の住人』の身体をつかんで引き抜こうとするものの、じりじりと押し込まれるばかりでまるで引き抜くことができない。


「この……」


 じわじわと血が流れ出すと同時に、なにかが身体を侵食している感じがした。


 まずい、と炎司は思ったが、この状況を脱け出すことはできない。いまもなお『裏柄の住人』は炎司の身体を貫き続ける。


 抜けない。これで終わりなのか?


 いや、違う。

 どこかにいる別の自分がそう答えた。


『裏側の住人』は迂闊にもお前に接近している。これはチャンスだ。


 ああ、そうか。

 抜こうとなんてしなくていいじゃないか。


 このまま、倒せばいい。


 炎司は『裏側の住人』を抜こうとするために込めていた力を、自分の身体に突き刺さったまま抜けないようにするためのものへと変える。


 そして――


 全身の炎の力を込めて、身体に突き刺さっている『裏側の住人』に熱を与えていく。


「――――」


 強烈な熱を与えられた『裏側の住人』は呻き声を上げた。逃げようとしているが、炎司に抑え込まれているために逃げることは叶わない。


 なおも炎司は熱を与え続ける。気がつくと、裏側の住人は青く燃え上がっていた。それでも炎司は止まらない。


 空間が歪むほどの熱を与え続けられたことによって、『裏側の住人』を包んでいた実体のない身体が徐々にはがれていき、禍々しい形をした丸いものが現れた。


『それが核だ!』


 ノヴァの声が聞こえて、両手でそれをつかんで思い切り叩き潰す。


 すると、突き刺さっていた『裏側の住人』は呆気なく消え去った。残ったのは宙に浮かぶ黒い球体だけ。


 腹に空いた風穴のことなど気にも留めずに、炎司は血を流しながらも、宙に浮かぶ黒い球体に向かって――


「それを壊されると困るんだよね」


 そんな声が確かに聞こえて――

 炎司の首は突然現れた『何者か』によって切り裂かれた。

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