第17話 潜む不気味
「か、勝った……」
炎司は先ほどまで戦っていた『裏側の住人』が完全に消滅したのを確認し、安堵した。
思いがけないことがあった戦いだったけれど、つかみかけていた『なにか』をつかめたような気がする。
――思い出せ。
二度目の生を与えられてから幾度となく聞いた言葉。
やっとその意味が理解できたような気がした。
これから戦いの際、困難に襲われたのなら、いままで炎司と同じように戦ってきた『誰か』の記憶を思い出せばいい。そうすれば、必ず生きて戦い抜くことができるだろう。
「あのさ」
炎司はノヴァに語りかけた。
『なんだ?』
「本当に俺のこと、金元さんはわかってないのか?」
『ああ。あの娘はお前のことをお前だと認識していない。安心しろ。助けたのがお前だとわかることはない、が』
どこか煮え切らない感じでノヴァは一度言葉を切る。
『先ほど現れた個体といい、この街はやはりどこかおかしい。我々が想定していないことが起こっているようだ。おかしな状態であるのなら、あの娘が、自分を助けたのをお前だと気づいてしまう可能性は充分あるといえる』
「おかしいって……『裏側の住人』の強さ?」
いまここで戦っている炎司には、自分が戦った『裏側の住人』の強さがどうなっているのかいまいちわからない。自分と同じように戦った『誰か』の記憶は思い出せるが、それと自分の記憶と照らし合わせてみても、かつての個体といま戦っている個体の差はよくわからなかった。
『ああ。いくらなんでも成長が早すぎる。お前も感じているはずだ。戦いを得るたびに『裏側の住人』は明らかに強くなっていると』
確かにそれは炎司も感じている。
しかし――
「でもさ『裏側の住人』はすべての個体で記憶を共有しているんだろ? それなら、どんどん強くなるのは普通じゃないの?」
『それは事実だ。だが、〈裏側の住人〉はお前が考えているほど知能は高くない。だから、記憶を共有していても、それほど早く成長しないんだよ。多くの個体の知能は、そこらの犬猫と同程度だ。人間と比べるまでもないだろう』
「犬猫と同程度……」
炎司はその事実に驚きを隠せなかった。確かに、『裏側の住人』は戦っていて知性はまるで感じられなかったけれど――
先ほど戦ったあの個体が犬猫と同程度の知性しかなかったとは思えない。
間違いなく、ヤツらが持つ知性は、ヒトとは異質なのは確かだ。だが、その異質な知性が人間よりも遥かに劣るものだとはとても思えなかった。
だって――
さっき戦ったあいつは、こちらの意図を先読みしてきた。明らかに知性が感じられる動きだった。
なにが、どうなっている?
底知れない恐怖はじわじわと身体の奥底から滲み上がってきた。
『それについて考えるのはあとにしろ。さっさとあの〈扉〉を壊せ。そうしないとあそこから現れるかもしれんからな』
ノヴァにそう促され、手に火の玉を造り出して、それを思い切り宙に浮かぶ黒い球体に投げつけた。
炎司が投げつけた野球ボールほどの青い球体は、黒い球体に衝突し、軽い音を発したのち、消滅の瞬間、一瞬だけ真昼になったかのように明るくさせたのち、すぐに夜の闇に閉ざされた。いつも、これだけは呆気なく終わる。
これで破壊した〈扉〉は二つ目。
残りはあと一つ。
もう終わりは間近のように思えるが――
次に現れる『裏側の住人』は一体どれほどの強さになるのか?
次、戦うことになるであろう『裏側の住人』を自分は打ち倒すことができるのか?
それを考えると、不安ばかりが炎司を支配していく。
つかみかけていた『なにか』はつかんだ――はずだ。
まだ数回しか戦いの経験はないけれど、充分ヤツらと戦えるという自信もある。
「修行とか……したほうがいいのかな?」
『馬鹿者。修行なぞやってる時間などあるか。お前はお前に与えられた〈戦いの記憶〉を思い出せばいい。そうすれば、人の一生すべてを費やして得られる経験など軽く得られる。修行なんぞやって、やった気になるくらいなら、まだ思い出していない記憶を思い出せ阿呆』
辛辣な言葉であったが、修行なんぞやってる時間なんぞないというのは納得できた。
なにしろ、夜の街に溜まっている黒い水の水位が上がっていたからだ。昨日はまだ、膝が隠れるほどではなかったのに、いまは膝が完全に隠れている。
残されている時間は多くない。
明日の夜も動かないと駄目だろう。
この黒い水の水位が上がると、文子のように『裏側の住人』に襲われる者が増える。
実際にあれを間近にして戦って――あれは、普通に生きている人たちには絶対に関わってはならないものであると確信していた。
ここにいる人たちは、自分のことをまったく知らないといっても、それでも自分が知っている彼らとよく似た、あるいはまったく同じ人間なのだ。そんな人たちの平和を脅かすわけにはいかない。それを防げるのは炎司だけなのだ。
戦い抜けるという保証はない。
それでも、やらねばならない。
今日のように、誰かが『裏側の住人』に襲われるのを防ぐためにも。
やる以外、他に道はないのだ。
「そういえば、金元さんは無事なのかな?」
『大丈夫だ。安心しろ。ちゃんと逃げたようだ。恐らくあの娘は認識できても断片的なのだろう。そのあと襲われた形跡もない』
「なら、いいんだけど」
それを聞いて、炎司は少しだけ安心できた。
だが、多くの人がまだ『裏側の住人』を認識できていないはずの今日の時点で襲われたとなると、彼女はまた襲われるという可能性は決して低くはない。
二度目が起こった時、今日のように自分は彼女のことを救えるだろうか?
いや、違う。
二度目が起ころうが三度目が起ころうが、助けなければならない。
なにしろ彼女は、自分がよく知っている金元文子と同じ人物なのだから。彼女に、「火村炎司」というこの世界の住人ではない男の記憶はなかったとしても、だ。
感触のしない、黒い水を掻き分けて夜の街を進んでいく。
夜の街はおかしなくらいの静寂に包まれていた。まるで嵐がやってくる前夜のように。
あと一つ。
何度も死ぬような思いをした戦いももうすぐ終わりだ。
終わるはずなのに、炎司は心のどこかで「なにか起こるのではないか」という予感があった。
根拠などなにもない。
そう思うのは、ノヴァから、この街に現れている『裏側の住人』がおかしいなんて聞いたせいかもしれない。
駄目だ。そんなこと考えるな。
自分のやるべきことだけを考えろ。
余計なことを考えていると――
『炎司』
炎司の思考に割って入ったのはノヴァの声。
『あまり動揺するな。お前の動揺は私にも伝わってくるからな。鬱陶しい』
少し呆れた調子でノヴァは言う。これもどういうことなのか全然わからないけれど、『そういうもの』の一つなんだろう。
「……あ、うん。そうなんだ、ごめん」
『不安なのはわかる。そもそも、不安にさせるようなことを言ったのは私だ。だが、必要以上に不安になるのは害でしかない。さっさと帰って今日はもう寝ろ。寝て休めば、少しは余裕も出てくるだろうからな』
休め、か。確かにそうかもしれない。
『……少しばかり、息抜きが必要かもしれんな』
「息抜きって……なに?」
『なに。お前が気にすることではない。さっさと足を動かして歩け』
「?」
なにがなんだかよくわからないまま、炎司は自宅へ向かって歩き出した。
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