第18話 お前の金でアイスが食いたい

 なにかが音を立てずに迫っている気がする。


 苦難は色々あったけれど、いま自分がこなさなければならない責務は順調に消化しているはずだ。


 なのに、何故か不安が消えてくれない。


 順調に進んでいるほうがいいはずなのに、どうしてこんなに不安を感じているのだろう?


 元の世界に戻るのが嫌なのだろうか?


 それはない、と思う。


 正直なところ、ノヴァ以外から『吉田』の名前で呼ばれるのも慣れ始めているのは事実だけど、自分のことを誰も知らないこの世界で生きていけるとはいくら考えてみても思えない。


 そもそも、ここにいる自分は、自分とよく似た、あるいは同一人物である『吉田何某』を殺してここにいるのだ。死にたくなかったとはいえ、それが正しいとは思えなかった。


 自分の名を呼んでくれる誰かがいない、というのは、炎司えんじが考えていたよりも遥かにつらい。なんといえばいいのだろう、自分のアイデンティティが揺らいでいるようだ。


 そういえば――


 責務を果たして、元の世界に戻ったら自分はどうなるのだろう? 殺されたところを運よくノヴァに回収されて、別の世界に送り込まれているわけだし、生き返ったり、するのだろうか?


 そのあたりのことはよくわからない。


 なんというか、最近はよくわからないことをわからないままにしておくことが多くなった気がする。


 かちかちかち、とアナログ時計の音が聞こえた。ふと気になったのでそちらに目を傾けてみる。時刻は昼の一時を回っていた。そろそろ起きなきゃと思うものの、起きる気にはならない。


 ベッドの近くに置いてあったテレビのリモコンに手を伸ばして、テレビをつけてみる。映ったのは昼にやっている情報番組。内容を流し見していると――


 テレビに映っているのは見たことある風景。テレビに映っているのが、自分が住んでいる黒羽市の光景であると気づくのに数秒かかった。


 テレビでは、いま黒羽市で起こっている急死事件の特集をやっているらしい。


 キャスターが来ている場所は、大学から近い距離の場所だった。炎司もよくその近くを通りかかる。こちらに来てからはほとんど大学に行ってないので、最近はまったく通っていないけれど。


 急死事件。詳しくは知らないが、概要を聞く限り、これが自然に起こったものだとは考えにくかった。この事件が、『裏側の住人』や『扉』になにか関係しているのだろうか? なにか関係しているような気もするが――


 いまいち、事件と『裏側の住人』との関係性はつかめない。


 そんな風にしているうちにテレビは別の特集へと話題が移っていた。特に面白い内容でもなかったので、炎司はテレビを消して、身体を転がした。


 それから、また自分のことについて考え始める。


 今日で終わる。


 いつ終わるともしれなかった血みどろの戦いが、今日生き延びればそれで終わるのだ。それは喜ばしいはずなのに、のどの奥になにかが引っかかったような違和感を昨日からずっと感じている。何故だろう?


 やっぱり、自信がないのか。


 そりゃそうだろう。昨日生き延びられたからといって今日生き延びられると決まっているわけではないのだ。戦場というのは、百戦勝ち抜いた歴戦の兵士が百一戦目で呆気なく死ぬのなんて日常茶飯事である。それが、いま炎司がいる場所だ。しかも相手は人間ではなく、条理を超えた化物なのだから、それはさらに強くなるだろう。


 次で終わる。


 だが、その次がいままでのように生き延びるこができるのか?


 それができるのかどうかわからなくて――


「なにをぐずぐず考えている」


 ノヴァの声が聞こえて、炎司はそちらに身体を向けた。


「お前ならできる。なんていっても私は見込んだ男だ。自信を持て。いままでの戦いでコツはつかんだのではなかったのか?」


「わかった、ような気はするけど――だからといって生き延びられるってわけじゃないだろ?」


「うむ。その通りだ。いくら経験を積み技術を研鑽しても、死ぬときは死ぬ。それが戦場というものだ」


「なら――」


「迷いは手足を鈍らせる。慎重になるなとは言わん。大胆になれとも言わん。不安を抱くなとも言わん。しかし、迷うのだけは駄目だ。迷いだけは必ずお前の仇となる。命のやり取りをしている最中に生き延びられるのはより迷わなかったほうだ。迷って手が鈍ったら、そのときは死ぬときだと思え」


 迷いは捨てろ。そんなことはわかっている。ノヴァから見たら、炎司はみっともなく迷っているように見えているのだろう。


「あのさ、一つ訊きたいんだけど――」


「どうした?」


「なんか、違くない?」


 いま目の前にいるノヴァはいままで自分の前に姿を現したときとは明らかに違っていた。なんといえばいいのだろう、存在感があるというか、やけにはっきりしているというか――


「そりゃ実体化しているからな。見え方も違うだろうよ」


「実体化って……そんなことできたの?」


「一応な。基本的にやる必要ないからせんが」


「じゃあ、なんで必要のないことをしているのさ?」


 ノヴァは必要のないことは絶対にしないタイプだと思っていたのだが。


「決まっている」


 そこでノヴァは言葉を切って、


「アイスを食いたいからだ。もちろんお前の金でな」



 ということで、炎司とノヴァは外に出た。


 向かう先は駅前にあるチェーン店のアイス屋。平日の昼間なので混んでもおらず、すぐに買って席に着くことができた。


「あいすっあいすぅ!」


 などとノヴァは鼻歌まじりで三段重ねのアイスにかぶりついている。その姿は、威厳などまるでない。普通の女の子のように見えた。こいつもそんな顔するんだな、なんてことを炎司は思う。


「なにを見ている? やらんぞ。これは私のだからな」


「俺は、他人が食べてるヤツを食べたくなるほど子供じゃないよ」


 他人と言って、そういえばノヴァは人間じゃないんだっけ、なんてことを思ったが、他になんと言えばいいのかわからず、訂正はしなかった。


 それにしても、ノヴァはまったく気にしていないけれど、炎司としてはちらちらとこちらに視線を向けられているのがやけに気になった。


 それも無理もない。なにしろ、青く光り輝いて見える髪の毛の娘がいるのだ。目立ちもしよう。しかも、ノヴァの容姿は明らかに欧州系だ。東京の外れの街に青く光り輝く髪をした欧州系の娘がいたのなら、当事者でなければ炎司だって二度見くらいしていただろう。


 それにしても美味しそうに食うなあ、と炎司は思った。アイスを食べる気分ではなかったはずなのに、こう目の前で美味しそうに食っているのを見ると、食べたくなってしまう。


「というか、どうしてアイス?」


「どうしてって、食べたいからに決まっているからだ。なんだお前、さっきからやけにアイスに対して否定的ではないか。もしかしてアイスが嫌いなのか? それは許さんぞ」


「そんなことはないけど、楽しそうだなと思って」


「そりゃあ当然だろう。人間の世界を冷やかすのは数少ない楽しみの一つだからな。特にいまは娯楽がたくさんあって滅ぶ前に一度来てみたいと思っていたのだ」


「来てみたいって……別に好きな時に来ればいいじゃないか」


「そうはいかん。なにしろ私は本質的には実体のない存在だ。いまこうして実体化できるのはお前に力を与えているからこそできることでな。そうでないときは関わろうと思っても関われんのだ」


「…………」


 意外な言葉を聞いて、炎司は押し黙る。


「ま、そんなのはお前が気にすることではない。さ、アイスも食ったことだしさっさと出るぞ」


 ノヴァはいつの間にか三段重ねのアイスを平らげていた。残っているのは、コーンについていた紙だけだ。


「出るって……なんか気が早いな。普段楽しめないのならゆっくりしてもいいじゃないの?」


「なにを言っている。飲食店というのは回転率が命だ。回転率を悪くする客は悪だ。正義を標榜する私としては悪をなすわけにはいかんからな。神として」


「はいはい。わかったよ」


 炎司とノヴァは立ち上がってアイス屋から出た。

 これからどうすんだ、と隣を歩くノヴァに訊こうとした、そのとき――


「マサくん……」


 目の前に、金元文子が現れたのだった。

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