第5楽章  『ありふれた物語』

 この世界は、人間の勤労が義務ではなくなった世界である。とはいっても、ユートピアでもディストピアでもない。完全にテクノロジーに依存しているわけでもなく、要所要所で中途半端に人間が介在する、生っぽいウエットな世界。そんな天国でも地獄でもない、中途半端な世界、それが彼の住む世界であった。


 農業や酪農は完全にオートメーション化され、食糧問題は解決され、人間の就労が必要なくなった。人工知能の発達により金融や行政等の高度知的労働は人工知能に置き換えられた。量子コンピューターの普及はより一層この流れを加速した。


 食料品店などの実店舗は数こそ少なくなったが、今もかろうじて存在する。ただし、店内で働くのは人間ではなくロボット。完全なる無人化が実現されている。


 基本的に人間の就労が必要なくなった世界。

 それが、彼の住む世界。


 この世界において人間に必要とされる能力は、不確実性と複雑性だ。人工知能はビッグデータから最適解を導き出すのが得意だ。例えば『桶屋が儲かる方法を教えて』と入力すると『南西の方角から風を吹かせてかださい』といったような、結論のみを一瞬で提示する。


 質問に対しての回答は提示するが、その解を導き出すまでの途中式は提示することができない。この途中式のロジックを読み解くことが人の仕事と言えるかもしれないが、その重要度は疑問である。問いを入力すれば、解が出力する魔法の箱を手に入れた人間にとって、そのブラックボックスを暴くことにどれほど価値があるのかという哲学的な問題に帰結する。


 一方でこの賢い機械は、雑味のある物を生みだすことが苦手なようである。たとえば、そう例えば、物語がその最たる例である。過渡期において、過去の人類が作った全ての書物というビッグデータを解析し、人類史上最高の物語を作るというような、神をも恐れぬ大それた研究が本格的に取り組まれことも確かにあった。そしてその試みはある程度の成功はもたらしたようだ。


 だが、その本を読んでみた人の感想の第一声は概ねこんな感じである『面白かった』。面白いのだけど、なんか違う。心に響いてくるほどではない。そんな感じの本しか作れないのが現在の人工知能と量子コンピューターの限界であった。


 タンパク質で作られた肉体という制約、脳という不完全な機関の制約によって生じるノイズ、個々人のもつ偏見や認知のズレ。そういったもろもろの雑味が、物語を面白くしているのではないかというのが、この研究がもたらした一旦の結論であった。


 人間は勤労の義務から解放され、権利のみが残ることとなった。生活に必要な最低限の賃金はベーシックインカムとして支給されるようになっていたからである。


 労働の対価なく生活に必要な最低限の賃金が支給される。もっと裕福に生活したい場合は、付加価値のある仕事をしなさいということである。この世界に置いて付加価値のある仕事は、物語作成、イラスト作成、ゲーム作成、美術品の作成等々である。


 この制度の世界的な普及によってローマ時代以来の文化的なルネッサンスが巻き起こり、さまざまな多様な価値観を持つ文学や音楽が生みだされ人々は夢中になった。パンのために働くのではなく、自分の本当にやりたい事で少しだけ収入を得る。そんな社会。


 だがみんながみんなそういう訳ではなかった。

 そう例えば、彼のように。


「なんだよぉおおお! このBear Wolfっていう対戦者ありえねー動きをしやがる。なんだよ熊狼って! うっぜぇなぁあああああ…………もうっ!!」


 ユウタは23歳の頃に親のコネで中小のソフト会社に入社して3年間データサイエンティストとして働いていた。そんな中で対人トラブルを境に、会社を辞め以後15年間以上家に引き籠り続けている。


 彼が今も生き永らえている理由はベーシックインカムの支給があるからである。…………もっとも。その支給されたお金もガチャで溶かしてしまうので、実質的には彼の全ての生命を維持するための資金は親からでている、ということになる。


「くそ…………くそっ…………サウザンブロー…………死ねッ! 死ねぇ!!」


 彼が操作するのは中国拳法を駆使するゲーム内の強キャラ、カン。対戦相手は、囚人の格闘家、コーギー。コーギーはトリッキーな動きが得意なキャラで操作をしていて面白いキャラではあるが、ガチの対戦にはあまり向かないキャラだ。少なくとも現行のVer.1.61においては………。


「僕の生みだした、シームレスヘル・ヘブンリーアーツを全部ブロッキングとか…………ありえねぇだろ……一体、どんなインチキしてんだ?」


 厳密にはゲーム内に、シームレスヘル・ヘブンリーアーツなどという技は存在しない。本来は仕様上繋がるはずのない複数の技を、技のあいだにしゃがみ弱パンチを挟むことによって、無限にループするようにした…………要するに仕様の抜け穴を使った、ハメ技だ。


 これがゲームセンターだったらゲーム台の向こう側から怖いお兄さんが出てきてもおかしくないハメ技である。彼の生みだしたハメ技は、彼が動画を投稿した後にネット上で一気に拡散し、オンラインショッピングストアmamazonのレビューは荒れに荒れ☆1の件数が酷いことになっている。


 もはや完全なる営業妨害である………。公式サイト上のバナーにも、大きなフォントで、オンラインマッチングプレイ時はハメ技を使用しないようにと、注意喚起されている技である。なお次回のアップデートVer1.62で修正されるようである。


「つまんねー。もうやめだ。やめ………やっぱこれもクソゲーだ」


〔 再戦コンテニュー中止ゲームオーバー


「んっっ!! なんだよおお、このクソゲー! あとでまとめサイトのコメ欄を荒らしてストレス発散してやるっ!」


 コントローラーを床に投げつける。

 投げられた先には、万年床の布団が敷いてあった。


「いつまで部屋に閉じ籠っているの! もう、昼ご飯の時間よ! 早く降りてきなさいっ!!」


 彼は、42歳。確かに医療技術は飛躍的に発展し、アンチエイジング技術により寿命は延び、痴呆や癌等の致命的な病気の問題も解決された。


 とはいえ…………40代である…………。


 彼は人生の3分の1以上の時間をこの部屋で過ごしている。そして、残念ながら彼のような暮らしをしている人間が少なくはないのが、この世界の社会の構造上の問題の一つである。


「っせーなぁ! クソババアっ! いまっ、僕は忙しんだよぉお!! メシなら後でチンして食うから、ラップして冷蔵庫につっこんどけよ!! ババア!!」


 彼も元々はここまで酷くはなかった。彼がここまで荒れたのは自分の人生の3分の1の時間を費やしたフルダイブ式VRMMOの強制退会をくらってからだ。強制退会をくらうまでの彼は、いたって大人しい模範的な引き籠りであった。


 彼はそのオンラインゲームの世界では神と呼ばれるプレイヤーでありゲーム内の公式掲示板では、一時は彼専用のスレッドが立ち上げられるほどの英雄的な存在だった。


 ある日他のプレイヤーから『この世界の神を名乗るのであれば、はよこの世界の魔王倒して見ろや!www 口だけのイキリクソ雑魚www』と、煽られたのが切っ掛けで、見返すために破壊禁止オブジェクトであるNPC魔王をハッキング行為によりデリートした。


 丸二日間、運営会社に緊急メンテナンスを余儀なくし、ゲーム運営会社とゲームプレイヤーに多大な損害を与え、その結果として無期限の退会処分を食らったのである。


 確かに、完全に弁明のしようがなく、彼が悪い。だが……。彼にとってのゲームは、文字通りの意味で人生そのものであった。彼はこの世界ではなく、オンラインゲームの世界に居るキャラクターがむしろ本体になっていたのである。そう言っていいほどに、このフルダイブ式VRMMOの世界は彼にとっては、全てだったのである。


 つまり、強制退会処分は彼にとっては死刑宣告に他ならなかった。彼の時計は、ゲーム開始時の年齢である26歳から止まってしまっている。彼のプレイヤーキャラも26歳の設定のまま、15年間稼働し続けた。彼は、ベーシックインカムで支給されるお金を全てガチャに使っていた。毎月支給されるお金を全額、である。


 それを26歳のころから15年間…………ずっと。つまり180ヵ月分の支給額を全部。そして、彼の人生の8万1000時間をこの注ぎこんでいる。これを、ゲーム等という一言で片づけてよいはずはない。彼にとってはむしろ、フルダイブ式VRMMO内の世界の方が本物の世界なのであった。


 この一連の騒動は、ゲーム系大手まとめサイトに取り上げられたこともあり、当然彼の作ったギルドは崩壊し、ネット掲示板には彼に対する嘲笑と罵倒の書き込みで満ち溢れ、中には住所特定を試みるものまでいるありさまであった。仮に復帰できても帰る場所は無い。つまり彼はもう…………死んでいるのだ。


「はははっはは! こんなクソゲー、もうゲームオーバーでいいや。15年間暮らしていた僕の世界は…………壊された。僕は…………もう死んでいるんだ。ここにいる僕は、偽物の抜け殻。こんな世界は間違っている…………。そうだ、こんな世界ログオフしちゃえば良いんだ。ふひひひっ。そうだログアウトしよう…………僕は、二度死ぬんだ…………ひひひひひひひひひ」


 ひさしぶりに外に出る。太陽の日差しが眩しい。のんきな顔をして歩いている道行く人間全てが妬ましい。全てがつまらない。この世界は壊れたクソゲーなんだ。ホームセンターに向かう道すがら、小学校の頃に仲の良かった同級生とすれ違った。声をかけられたが、僕は彼から逃げるようにして立ち去った。


「…………だから僕は外なんて………歩きたくなかったんだっ!」


 ホームセンターにたどり着く。とはいっても無人の店なので気分は外より気楽だ。さっきみたいに知り合いとすれ違っても気づかれないように、パーカーのフードを深くかぶり、床を見つめながら歩く。…………むしろその恰好の方が目立つということに気付けるほど、冷静な思考は彼の中には無くなっていた。


「太めのロープに、折り畳み式の踏み台、大人用紙おむつ、アイマスク。ふひひひひ」


 ホームセンターでログオフするための道具一式を取りそろえる。この世界はボタン一つでログオフできないから面倒だ。無人のレジを通過すると、清算金額が表示される。


「僕の命の価値はたった3日分の食費と一緒かよ…………ふひひひひっ、ひひひ」


 首を吊るのに丁度いい幹の太さの木を探してあてどなく彷徨う。都市再開発の一環として、都市緑地化計画の一環で、皮肉なことにひと昔前より街に樹々が生い茂り首を吊る木には事欠かない。あとは、どこで死ぬかだけだ。


「虐めを放置した中学校で当てつけのように死んでやろうか…………。それとも僕を虐めていた奴の家の近くの木で首を吊ろうか…………ふひひひひひひひ」


「あなたは生きたいですか? それとも死にたいですか?」


 人と目線をあわせないように、下に目線をやり地面をみつめがら歩いていたせいで、少女の存在に気づけなかった。目線を少し上げる。銀髪の少女。恐ろしくて顔を見る事ができない。


「ふひっ…………?」


「…………」


「…………。ぼ、僕もう死んでるんです…………。なのに何故かまだ、心臓が動いているんでしゅ…………だから木を探し……て」


「…………この道をこのまま30メートルほど歩くとある施設があります。そこの職員の誰でもいいので声をかけなさい」


「……ひぃ……」


「その前にどこかで一度、顔を洗った方が良いかもしれませんね」


 銀髪の少女は彼に可愛らしいメイドさんのイラストがプリントされているポケットティッシュを渡し、それ以上は何も言わずに立ち去って行った。


 彼は公衆トイレの鏡を覗き込み、鏡の中の自分の顔を見つめる。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。


「僕、こんな顔で歩いていたのか………同級生が声をかけたのも、このせいか、な」


 男は少女の言葉通り、30メートル先の施設に入る。地面を向いて歩いているせいで施設の看板は見えなかった。


「こんにちは。どうされましたか?」


「…………ここに。行けって、言われまして」


「あはははは。気にしないでください。実は周りから勧められてここに来る方の方が多いんですよ。むしろ自分から進んでくる人の方が珍しいくらいです」


「…………ここ。どこですか?」


「……? えっと……。市の職業支援施設です、ね。主に失業者の就職先の斡旋や就労支援などをしています。おっと、立ち話もあれですね、どうぞこちらの椅子にお座り下さい」


「…………ふひ…………ぼ、僕は26歳の時に家に引き籠って、15年間フルダイブ式VRMMOしかしてましぇんでした。仕事は………無理だと思いま、しゅ」


「そうですか、ご苦労されたんですね。あなたと同じような悩みを抱えてここに来られる方もおおぜい、いらっしゃいます。だから、あまり気になさらないでください」


「…………はぃ」


「……。そうですね、いきなり仕事というのも大変だと思うんですよ。まずは、毎日規則正しく生活することが社会復帰に繋がるのではないかなと思います。そうですね、まずはあなたのお名前は?」


「ゆ、た…………雄太と言います」


「そうですか雄太さん。そうですね、25歳より以前は何かお仕事に就かれていた経験はございますか?」


「父親のコネ、で、ソフトウェアの会社でデータ、サイエンティストをしてい、ました」


「おー。凄いじゃないですか。私はITはからっきしですが、それなら例えば。そうですね、これなんていかがですか?」


 職業訓練校。ゲームクリエイターコース。

 期間:6ヵ月間。受講料無料。

 受講資格:失業中であること。


「ゲームクリエイター…………。僕は、昔ゲーム会社で働きたくて応募したのっですが、全部エントリーシートで落とされました」


「雄太さんは、ゲームはお好きなんですか?」


「…………好き、です」


「ははは。なら、良いじゃないですか。ゲームクリエイターコースと言っても、なにも必ずしもゲームクリエイターにならなければいけないという訳じゃないんですよ。そんなことを言ったら私は哲学科出身なので、哲学者になってなきゃおかしいですからね。あっはははは」


「…………はい」


「……そう難しく考えなくても良いんです。ゲームクリエイターコースでは、プログラミング言語や、Webデザインの学習、1ヵ月間の企業での実地研修なども行うようです。そこで多くの事を学んだあとは、まったく違う道に進んでもいいんです。まず、規則正しい生活から始めましょう、ね?」


 その場でまた涙と鼻水が溢れだしてきてしまった。少女がくれたティッシュで顔を拭う。職員さんは何かを察したのか、涙と鼻水でぬれた僕の手を無言で握ってくれている。


「ぼく、やってみたいです。職業訓練校、行きたいです…………もう一度、頑張って生きたいです」


「分かりました。それでは定員制限などもありますので、先に職業訓練校の仮予約だけさせていただきますね。正規の申請には捺印が必要になるのですが、本日はハンコはお持ちですか?」


「ちょ、ちょっとまってください」


 彼は、そう言い母に電話をする。


「おかあさん、僕、職業訓練校に行きたいと……うん……いまどこ? えと、職業支援施設というとこ……応募には、ハンコが必要だて…………え、今から、きてくれるの?…………えっ…………その職員さんに電話を代わって?…………いぃよ………職員さん、電話代わってもらって…………いいですか? ぼくの母です」


 職員はにこりとして、うなずく。


「はい……いえいえ、私は何もしていませんよ……そんな恐れ入ります……いえいえ、本当にお気になさらないでください。お気持ちだけで結構です……ええ。本日は夕方5時まで窓口を開いておりますので………申込の手続き関係はまだまだ間に合いますのでそう焦らなくても大丈夫です……はい……安全運転でいらしてください」



 それはありふれた親と子のお話

 とてもとても小さな奇跡の物語

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