第3楽章  『ママの日記』

「やっぱり、人間って醜いわ。救いようがない。熾天使も羽無しも全部同じ。私にとってはただの汚らわしい蠢く肉塊にしか見えない」


 眼下の光景を見下ろし一人呟く。


 自分達を支配していた管理者を虐殺し、

 今度は、お互いが疑心暗鬼になり殺しあう。

 それが人のサガ。ならば滅びれば良い。


 ビオトープ熾天使が管理する匣庭という偽りの楽園は私が破壊した。

 封印されていた、概念を人々に解放した。

 その結果が、この光景なら、これが人の本質なのだ。


 人間たち操り人形に私を火刑にして殺させるのが

 最後のセレモニーだ。それで、私の神への復讐は完成し、

 わたしは新たな世界に旅立つことができる。


 気が付いたら、一人の銀髪の少女が立っていた。

 奇妙な感覚。この少女は、人とも神とも異なる者。

 階層の異なる存在か。


「あなたは生きたいですか? それとも死にたいですか?」


 言葉の強制力。やはり、この少女はこの世界の存在ではない。

 面白い。ならば高らかに答えよう。

 答えは、初めから決まっている。


「私が求めているのは全ての生きとし生ける者の死よ」


「そう。それならば、あなたは望み通りに十字架に掛かり、人の子の手によって焼き殺されなさい」


 あまりにも簡潔な答え。

 戯れに私は質問を続けた。


「もし、私が生きたいと言ったなら?」 


「お家に帰りなさい。あなたの本当に欲しかった物が見つかるわ」


「二度も言わさないで。私が求めているのは死よ」


「…………そう。決めるのはあなた」


 それを聞き届けると、少女はそれ以上は

 何も言わず、何事もなかったかのように

 少女の横を通り過ぎて行った。


 言い知れぬ感情に支配される。

 私が本当に欲しい物。

 そんなもの決まっている。

 何度も言わせないで。


 少女の手によってディストピアは破壊された。

 その後に残されたのは、無秩序と殺戮。


 押しつけの善意と、欺瞞、偽りの世界の破壊。

 虚飾の破棄それが目的だったのではないか。


「本当に私が求めていたもの…………」


 少女が触れた命を持つ存在は塩の彫像に成り、

 美しい樹々は枯れ果て、湖は強酸の沼に代わる。

 それは彼女が願いを叶えるために望んだ得た力。


 私の体の中で静寂が蠢く。

 …………早くお前も死ねと甘い声でささやく。

 天使を殺し、新しい概念を生みだした。

 お前の役割は終わったのだから、死ねと。


「うるさい…………。決めるのは私よ。セレモニーにはまだ時間がある。あの少女の戯言に付き合ってみるのも一興か。あの少女も、いずれ私が殺すのだから」


 頭の中で、黒い感情が渦巻く。

 今や静寂が絶叫をあげ、頭の中をかき乱す。

 うるさい…………うるさいっ…………。


「私の家。パパとママと暮らしていた」


 家の扉を開けると、リビングには

 父と母の塩の彫像。


 まるで時間が静止したように私が

 最後にこの家を出た時と変わらない光景。


「……なによ。何もないじゃない。…………私あの子に騙された?」


 部屋の中をあてどなく歩く。目の前にはパパとママの部屋。

 そういえば大きくなってからは、入ったことなかったっけ。

 ママの机の上に鍵付きの日記。鍵を壊し、その日記を開く。


 ――――――――――――――――――――――――――

 ×月××日

 今日もあの子の元気がない。話しかけても心ここにあらず。

 あの子が子供の頃に好きだったショートケーキを

 デザートにだしてくれたら喜んでくれるだろうか。

 野苺も上にトッピングして、ホイップも沢山使おう


 ×月××日

 あの子がこの世界に不満を持っていることは

 理解している。だけど、それはあまりに危険。

 だから、私からその考えを聞き出すことができない。


 母親なのにあの子の孤独を癒すことができない。

 母親としてあの子にできることはなんだろうか。

 フリルのたくさんついたかわいいリボンを

 作ってあげたら元気がでてくれるだろうか。


 ×月××日

 あの子の誕生日。最近はあの子は目に見えない

 友人と遊ぶようになった。私が図書館で読んだ

 本によるとイマジナリーフレンドという脳内の

 友人のことで、成長すると消える流行り風邪の

 ようなもので、否定しない方が良いそうだ。


 あの子は幼いころから友達を作るのが苦手だった。

 それならば私たちが支えになってあげるべきだった

 のではないか。ごめんね、こんなママで。


 ×月××日

 最近はあの子の機嫌が良さそうだ。

 彼女の生みだしたイマジナリーフレンドが

 心の救いになっているのだろうか。

 本当はパパとママが支えにならなきゃいけないのに、

 ………それなのに私は、最近は体の調子が悪くて、

 ベットに寝たきりになる日が続いていて…………。


 あの子に話し相手になってあげることすらできない。

 本当に、自分が情けない。今日はあの子の好きな

 野菜のスープを作ってあげよう。


 そして家族みんなで今後のことを真剣に話し合おう。

 ――――――――――――――――――――――――――

 

 それが日記の最後のページだった。

 ママの日記には私のことしか書いていなかった。


「いや、だ。パパもママも、ただの感情のない操り人形だったんじゃないの…………。なんで、こんなの…………私、何も、知らない」


 少女の心を埋めていた虚無を、

 哀しが埋め尽くしていく。


 哀しみ、これも彼女の知らなかった感情。

 彼女の中で蠢いていた静寂は感情の

 奔流に圧し潰され、消えた。


 熾天使が感情まで管理するディストピア。

 ここはビオトープ。それに抗いたかった

 壊したかった。許せなかった。


 だけど、今なら分かる。

 本当は、きっと違う。

 きっと、そんなことはどうでも良かった。


 本当は自分のことを誰かに理解して欲しかっただけ。

 こんなに近くに私のことを理解している人が居たのに。


 昔、パパが読んでくれた絵本。青い鳥のお話。

 いまさらになって思い出した。遠くばかり見て、

 近くが見えなくなっていた。


 周りの人間が感情のないロボットに見えていた。

 だって、無知による善意。そんなのはきっと、嘘。

 でも、無知なのはきっと私も同じだった。

 なのに…………。


 涙が溢れて止まらない……。

 ママの日記が私の涙の雨で歪む。


「神様…………。私の行った全ての過ちを無かった下さい。もう一度やり直したいのです」


 一人呟くが、聞き届けるものは誰もいない。

 …………奇跡は起きない。

 階下のリビングに降りる、パパとママの彫像を抱きしめる。


 昔絵本で読んだことがある、王子様の抱擁で石の彫像に

 されたお姫様が人間に戻る物語。奇跡があるなら何事も

 なかったようにパパもママも帰ってきてくれるのではないかと思って。


 そして、その時は謝りたいと思った。

 こんな私を育ててくれて、ありがとうと言いたかった。


 抱きしめると、塩の彫像は砂のように崩れ落ちた。

 私はその場に跪いて、神に赦しを乞う。


 神…………? 私が滅ぼそうとしていた存在。

 この世界を滅ぼし、世界を渡り神の座を奪うのが

 私の目的だったはず。


「…………くだらない。本当にくだらないわ。いらない、そんなもの、ぜんぜぜんいらない、欲しくないわ…………」


 大義をかざしていたが、結局は自分のことを

 知って欲しいというただの子供の癇癪だった。

 幼児期に卒業しておくべき駄々っ子。

 その幼稚な思考が私の行動動機のすべて。


 その駄々っ子がパパとママを殺し、

 皆を殺し、世界を壊した。


 取り返しのつかない状況になって、

 神や奇跡に救いを求める。

 …………何て都合の良い。


「でも…………。それも無理。きっと無理なのね」


 すれ違った少女は、おそらく上位階層の神。

 その存在が、与えることができる奇跡ですら、

 私にママの日記に気付かせてくれるくらいなのだ。

 そうであれば、きっと誰にも不可能なのだろう。


「なんて都合の良い考えっ。今となっては例え私の命くらいじゃ償うことなんてできないじゃないっ!」


 窓の外で血眼になっている暴徒たちが

 道を埋め尽くしている。

 上位者である熾天使を討ち取ったあとも、

 人々の狂乱は止まらず、暴徒と化した人間は

 疑心暗鬼になり互いに殺しあう。


 主に狙われるのは元々は支配者側にいた

 者やその血縁者。二枚以上の翼を持つものは、

 天使狩りによって無条件で火刑に処され、殺されていた。


 窓の外で、女の子の悲鳴が聞こえる。

 特に考えはなかった。体が自然と動いていた。


 パンドラは、女の子の前に立ち塞がる。

 男は鬼のような形相で、女の子を

 神殺しの槍で貫き殺さんと、凶刃を振りおろす。


 ――だが彼女の防御結界を貫くことはできない。

 貫くことの出来ない、絶対の防御結界。


「ははははははぁ…………。愚かなり、人の子よ。わらわの名はパンドラッ。妾はこの世界を滅ぼし、生きとし生ける者全てに等しく死を与える神ッ…………。世界にあまねく死をもたらす、存在。無知蒙昧なる人の子よ、妾の許可を得ずに戯れに死を弄ぶは最大の不敬であると知れッ…………!」


 女の子を襲っていた、暴徒たちを

 巨大な手の形をした黒炎が男を握り、焼き殺した。

 見物していた暴徒は冷静さを取り戻し、

 その場から一目散に逃げ去った。


「…………。えっと……おねえちゃんありがとう」


「私……妾は、死を司る神パンドラ。きひひひひっ…………虫けらぁ、お前もあやつらと同じようにぃ……。一握りに潰してやろうかぁ?」


 目を見つめると、女の子は悲鳴をあげて逃げて行った。

 私は、うまくやれただろうか………。


 そもそもこれは正しいことなのだろうか。

 取り返しのつかない、馬鹿な私には分からない。


 私が死の象徴になり、熾天使たちのように、

 憎悪の対象となることで、再び人は互いを

 信じあう心を思い出せるのだろうか?


 罪も憎悪も誰かに押しつけないことには、

 生ある者は生きていけない。その円環から

 抜け出すために、熾天使はその感情を封じたのだろう。

 それが、きっとディストピアの正体。


 ならば、その感情を解放した

 私が一身にその憎しみを背負おう。

 …………私はやりきらなければいけない、

 それが唯一出来ることなのだから。


 いや違うか、もう既には死を司る邪神。

 生ある者全てにあまねく災禍をもたらす、邪悪。


 だから、もう…………大丈夫だよ。

 ありがとう。パパ、ママ。大好き。


「ふはははははっ! だがぁ………妾とてぇ、地を這う虫けら共如きにぃ、たやすく殺されてやるつもりはないさぁッ! さぁさぁ、無知蒙昧なる有象無象よ、死にたくなければぁその手で妾を打ち滅ぼしてみせろよぉッ!! あっはははははははははははッ!!」


 パンドラは凶悪な笑みを浮かべ、

 天を仰ぎ、高笑いをあげる。


 少女の頬を一筋の涙が伝う。


 それはきっと、歓喜の涙。

 なぜなら、彼女は悪なのだから。



 これは世界を死で覆い尽くした死神と

 人間の長い闘いを描いたその最初の物語

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