第六章9  『万華鏡の世界』

「ミミ」


 声をかけても、答えはない。


 十字架に縛られているというより、

 なかば癒着しているような痛々しい光景。


「助けてやるからな。ちょっと考えるから、待っててくれ」


 5分ほど考えても考えがまとまらない。

 焦燥感ばかりが強くなってくる。


 斬られた背中がじくじくと痛むが、

 地下室の拷問と比べればまだ我慢できる。


「どうすればいいんだ……」


 悲しくなって、十字架にはりつけにされた

 ミミを抱きしめる。


「こんな酷い目にあわせてごめん。何を言われても僕が残っていれば……」


 僕が残っていても何も

 できなかったかもしれない。

 抱きしめていると、ミミの

 心臓の鼓動は感じるのに、

 ひどく遠くに居るように感じる。


「謎の男が、十字架を指さして門が何とか言ってたけど、ミミを探す何かのヒントにならないだろうか。何かさっきまで凄い何かと繋がっている感触があったのだど、今はその感覚が無い……」


 ミミを抱きしめたまま、

 考えるが、答えは出ない。


「ミミの髪がこの十字架に癒着している。この十字架の癒着からミミを剥がせばもしかしたらミミが戻ってくるかもしれない」


 ミミの髪を十字架から引き剥が

 そうとすると指先に痛み。出血。


「痛い……指が切れてる」


 この感触は何かに似ている。

 そう、彼の唯一のアドバンテージ。

 もはや、体の一部と言っていい武器。


「蜘蛛の糸? ミミの髪、蜘蛛の糸と同じ?」


 お風呂で毎日ミミの頭をゴシゴシ

 洗っていたけども、ふんわりやわらかい猫毛

 だとは思ったけど、指を切ったり、蜘蛛の糸

 と同じだと感じたことなどはなかった。


「考えてもよく分からないな」


 ミミがはりつけにされている十字架を見る。

 目を凝らして見ると、蜘蛛の糸一本

 くらい通せそうな極小の穴がたくさん開いていた。


「ミミの髪と蜘蛛の糸が同じモノならあるいは――」


 ダメもとで十字架についていた穴に

 右手の小指に巻き付けた

 蜘蛛の糸をそっと挿しこむ。


 ぐらりと目の前の視界が歪む。

 目の前が暗闇に覆われ、

 意識が途絶えた。


「ここは、どこだ?」


 辺りを見回しても、美しくも毒々しい

 万華鏡の中にいるような極彩色の世界。

 前後左右が分からず、平衡感覚が失われる。


「周囲がギラギラしていて感覚が鈍る。目をつぶって歩いてみよう」


 目をつぶって歩く。

 やはり、よく分からない。


「こういう時は蜘蛛の糸を使おう」


 蜘蛛の糸を使って、触覚を頼りに周囲を探る。

 視覚情報が頼りにならない今、

 触覚情報が唯一の頼りになる一次情報。

 だが、蜘蛛の糸はどこにもぶつからない。


 目を閉じて念じる。蜘蛛の糸が

 果てしなく伸びていくのを感じる。

 もう何キロ伸びているだろうか。


「そんな馬鹿な……。僕の糸はそんな長さは無い」


 まだまだ伸びる。

 確かに伸びている感触を感じる。

 目を開いてはいけない。たぶん……。

 

 なんだか自分が世界に拡散していく感覚がある。

 僕が溶けている? そんな馬鹿な?


「僕はここにいるよ。ミミ」


 糸はこの星全体を覆うくらい伸びている。

 もしかしたら宇宙全体を覆うくらい。

 それにあわせて僕は万華鏡に溶けていく。


「痛い……体が痛い……」


 痛み。全身が痛い。

 背中が痛い……古傷も痛む。

 節々が痛む。激痛。


「……痛い……痛いからこそ僕はここに居る」


 糸を更に伸ばす。目を開くな。

 糸を伸ばすごとにどんどん

 僕が拡散していく。


「……痛い……痛い……僕はここに居る……ミミ」


 今や糸は宇宙をくまなく覆っている。

 僕も広がっていく。

 糸の先に何かにぶつかる感触。


 感触を確かめるためにその物体を

 くまなく糸で覆いつくす。

 これは――間違いなく。


「間違いなくミミだ。この絹のようなやわらかい髪の感触。この小ぶりな胸。おしり。ほっぱた。背中。指先。くびれた腰。一日中座り仕事で見た目以上に凝っている首と肩。虫歯のない歯。二つある目。おへそ。身長133センチメートルのおしさ。ミミ……僕はここにいる!!」


 応えは無いが。

 だけど間違いなくミミだ。


 この5年間の間毎日、お風呂の世話、

 服の着せ替え、髪の手入れ、歯みがき、

 爪磨き、マッサージ、おんぶ、

 お姫様だっこ、完全に体にフィット

 するオーダーメイトの衣服の作成、

 寝る前に絵本を読み、下手くそな子守り歌を歌い、

 炊事、洗濯、掃除、難しい話を理解した

 ふりをしたり、冗談をいったり、

 笑ったり、怒られたり、楽しかったり、

 嬉しかったり、一緒に喜んだり、

 ――おっぱいを揉んでいた僕が、

 ミミを間違えるはずがない!!


 ミミに精神を集中する。

 世界がドンドン縮小していく。


 宇宙を覆っていた糸は、

 今や地球を覆う程度の長さに縮小。

 更に数10キロ程度の長さになり……。


 それにあわせて僕もドンドン小さくなる。

 世界に溶けていき、拡散した僕が凝縮され、

 徐々にを取り戻して行く。


「……でも多分目を開いちゃだめだ。これは僕の勘」


 僕は万華鏡の中でドンドン

 縮小していき、最後には僕は、

 僕一人の大きさに凝縮され、

 ミミは僕の腕に抱かれていた。


「ミミは捕まえられたけど、どうしたらいいだろうか……」


 右手の小指の第二関節にある

 糸から微かな感触。

 僕はこんな糸伸ばしてたかな?


 そういえば、この万華鏡に入る

 時に挿した時の糸は小指からだったか?


 小指の糸の感触を手繰り寄せる。

 平衡感覚が失われているせいで、

 蜘蛛の糸を手繰り寄せているのか、

 蜘蛛の糸に昇っているのかは分からない。


 でも、間違いなくどこかに向かって進んでいる。

 グイグイと小指の糸を手繰り寄せる。


 目をつぶったままなのに、

 膨大な量の光が直接脳に流れ込んでくる。


 そこで僕は――再び意識が途絶えた。

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