第一章10 『この忌まわしき世界に災いを!』

「劇薬……?」


「そう劇薬。今回の暗殺依頼は国側から正式に出ていたんだよ。教会の側は彼の優先順位は低かったけど、国はそうじゃなかった。暗殺依頼は異世界転生者峰岸亨としてではなく、この街の大賢者としての依頼だったけどね」


「それは彼が万能の司書アンリミテッドブックを使って得た知識を濫用らんようしていたことが国やギルドから危険視されたという意味か?」


「違うよ。むしろ国内に限れば彼のもたらした知識や技術は歓迎されるものだった。その有益性を考えれば庇護対象になっていてもおかしくない存在だった。

それに彼が提供した知識は医療、農業、調理技術などの非戦闘用の知識に限定されていた。危険視されたのは――彼の奴隷に対する扱い方や、考え方の方だよ」


 ミミの回答が理解できない。奴隷の扱い方?


「彼は奴隷を正式にギルドで契約していたし奴隷に対して非人道的な行いをしていたわけではない。奴隷に対して人として対等に接していたように思うけど」


「その”対等に接していた”というのが目をつけられた理由。彼が奴隷に対して虐待していても、犯していても、人体実験していても、殺していてもギルドや国から警戒されることはなかった。きーちゃんが理解している以上にこの国の上流階級の人間の倫理観は壊れちゃっているからね……」


「――。奴隷にも生きる上で一定の権利は保障されていたはずだ」


「表向きはきーちゃんの言う通り。だけど仮に奴隷に対する権利侵害がバレても、過去の裁判の判例はんれいをみる限り罪に問われることはまずないね。

通常はおとがめなしか軽い罰金が関の山。そもそも訴えるだけの財力を奴隷を持っていない。過去に訴えた奴隷は報復のために親族含めて殺される例もあった」


「ミミ。具体的に彼のどういった行為が危険視されたか教えてくれ」


「決定打はないよ。強いて言うなら細かな日々の行動の積み重だね。たとえば奴隷に対してかわいらしい服や過度に高価な装備品を提供したり、食事の際に奴隷を彼と同じ席に同席させたり、住居を与えたり、給料と称してお小遣いをあげたり――。一つ一つの行動は許容されても、この積み重ねが問題視された」


「だからなんでそれが問題なんだ? 奴隷をどう扱おうがそれはその所有者の自由じゃないのか? それは矛盾じゃないか? 虐待や性的暴行や人体実験が黙認されて、奴隷を人間として対等に扱う”自由がない”っていうのはおかしくないのか? そんなことは禁止条項のどこにも明記されていないことだ」


「感情的になるのも分かるけど、きーちゃんちょっと落ち着いて。ミミにもう少しだけ説明を続けさせて欲しいかな」


「水をさして悪かった。ミミ――説明を続けて」


 こくりと小さく頷いてミミは続ける。


「もし彼が街の住民の誰からも支持されていない隠居老人や、嫌われ者だったのであれば、ただの偏屈な変わり者として扱われるだけだから問題なかったんだよ。

彼が、街の多くの人間から好意を持たれ、影響力のある大賢者と呼ばれる肩書の存在だったことが大きな問題だったんだよ」


「彼自身ではなく、彼の影響力や肩書が問題だったってことか?」


「そう。この世界の人口の10%は奴隷階級だよ。きーちゃんも教会の保護下にあるから普段は意識してないかもしれないけど……奴隷階級だからね」


「もちろん理解しているよ。この世界は階級制や種族間差別は普通のこと。そんなことはもちろん分かっている」


「そんな世界で影響力の強い、まさに国を代表するような彼が奴隷を一般階級の人間と同じような扱いをしていることが街の多くの人間が目撃することになった」


「それのどこが危機的な状況だっていうんだ?」


「きーちゃんが不思議に思うのも当然か。順をおって説明するね」


 ミミは少しだけ考えて、話を続ける。


「奴隷階級が現状の待遇に疑問を持ったり人権意識に目覚める可能性や、一般階級や貴族階級が奴隷制度に疑問を持ちかねないと国は考えた。

もし爆弾の導線に引火すれば、今回のようにではすまない。何万――何十万という人間が犠牲になっていた可能性だってあるんだよ。

もしその影響が国外にも波及したら一国だけの問題では済まなくなる。たったの数名を殺すだけで多くの人の命を救った。その英雄がきーちゃん」


 そんな国も世界も守る価値なんてない。

もともと国や世界のために殺したわけでもない。


「僕は英雄なんかじゃない。ミミもよく知っての通りだ。悪行をなして善行を成そうとする人間は悪人だ。そう――だから僕はただの人殺しの悪人だ」


 ぱちぱちぱち……。ミミが小さな手で拍手をする。


「よかった。きーちゃんが勘違いをしていなくて。そう、ミミもきーちゃんただの人殺し。間違っても自分のことを英雄だなんて思わないでね――これからも」


 刺さるような視線でミミが僕の瞳を見つめる。

分かっている――ただの人殺し風情にそんな夢が

許されるはずがない。ああ分かっているさ、ミミ。


「残念だけど教会の資金源スポンサーでもあるギルドや国の意向に反するような決定はミミでも難しい。教会の末席を許されているだけの第零課正史編纂室が反対しても部署ごと取り潰されてそれでおしまい」


資金源スポンサーのご機嫌を取るために彼を殺させたと?」


「そうだね。でもね、きーちゃん。誤解はしないで。――彼は異世界からの転生者。資金源スポンサーも教会の意向も関係ない。彼がどんな人間であろうと殺さなくてはならない。それがミミときーちゃんの――」


 僕はミミの言葉を遮るさえぎる


「僕たちは道具。殺害対象の善悪などは関係ない。ただ無心で殺せ役割を全うせよ。そうだったね――。忘れているわけではないよ」


「そう……だね。ミミもきーちゃんも人殺しのための道具。ミミときーちゃんとの間に認識の相違がなかったことに、少しだけ安心したよ」


 ――殺しでしか繋がれない絆。


「きーちゃん。報告ありがとう。手間取らせたね。そろそろ神話史の授業の時間がはじまるよ」


「ああ……ミミ。ありがとう。それじゃ授業に行ってくる。放課後にまたここに来る」


「いってらっしゃい。きーちゃん。それじゃ放課後にミミをお風呂に入れてね。今後の活動方針の件も話してあげる」



◆◇◆◇


 静まり返った部屋の中、ハーフリングの彼女は一人つぶやく。


「きーちゃんは心の無い殺人装置だと思いこもうとしているみたいだけど、ミミほど冷徹にはなれないね。無意識にでも善悪なんて言葉が口から出る時点でもう無理なんだってことはミミは理解したよ。――きーちゃんはそれで良い。ミミのところまで堕ちてくる必要なんてない」



 一人決意し、ミミはつぶやく詠唱する



バベルの図書館アカシックライブラリを中継して万能の司書ソフィアへの接続を開始――。ミトスフィア・ミーリア旧支配者の末裔の名において桐咲 禊の荊冠の儀ギアスを執り行う」

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