第三章

 目が覚めた時、メルは叫びだしたい衝動を押さえる為に枕に顔を埋めた。

 祈りの広場で倒れてから、きっとゲイルが寝台まで運んでくれたのだろう。メルに何かあると、家族よりもすぐにゲイルが呼ばれるのだから。

 メルは目に涙を浮かべて、息を整えた。

 祈りの場で視たものを早くゲイルに伝えないと。

 メルは意を決して起き上がる。

「お目覚めですか」

 すぐに落ち着いた声がかかる。神殿の責任者のミーチェだ。巫女にまつわるもの全てを管理し把握しているこの女性は、メルの母親代わりでもあった。彼女はゆっくりとメルの座る寝台にやって来た。

「未来を視たのですね」

 ミーチェはいつものように寝台に座って、メルの背中を撫でてくれる。

 メルの銀の髪がさらさらとミーチェの褐色の指にかかる。

「ミーチェ」

 メルは彼女の胸に飛び込んだ。彼女は何も言わずに変わらずに優しい手つきで背中を撫で続ける。

 幾分か落ち着いてメルは顔を上げた。

「あなたがそんなに取り乱す未来とは、どのようなものなのでしょう」

 ミーチェは気遣うように言い、メルの銀の髪を整える。

 メルは彼女に髪を整えられるのが好きだ。とても落ち着く。

「さあ、綺麗になりましたよ。顔を洗ったら、ゲイルを呼びましょうか」

 ミーチェの言葉にメルはこくんと頷いた。

 知らせを受けてゲイルがメルの部屋に来た時には、彼女はもう巫女姫メル・アイヴィーの顔になっていた。寝室の隣の応接室のソファに座って、彼女はポモドと呼ばれる巫女の服に着替えている。

「メル?」

 いつもと違う真剣な様子にゲイルが戸惑っている。

 そう、いつもなら、部屋ではただのメルだから、ゲイルも騎士ではないただのゲイルでいてくれる。

 そうしてメルは気が付いた。

 感情表現が苦手なメルの感情を、直感で正確に読んでくれるのはゲイルだけなのだ。ミーチェでさえも、分からないことがたくさんあるから、メルに何かあるとゲイルがいつも呼ばれる。それが当たり前すぎて、メルは気が付けなかったのだ。ゲイルが特別な存在なのだと。

「怖いのか?」

 メルの感情を読み取って、ゲイルが隣に座って肩を抱いてくれる。

「ゲイル」

 彼を呼ぶ声に不安と決意があることに彼はもうとっくに気が付いている。

「わかった。言ってみて」

 ゲイルは真剣な瞳をメルに向けて、彼女の言葉を待っている。

「あのね、この世界の終焉を視たの。女神の像よりも大きな波で洪水が起こり、地上の物はすべて流される。そして、生き残ったとしても、今度は氷の世界になってしまう。天から氷の塊が降り、私たちを一瞬で凍らせる風が吹いている、すごく近い未来の世界」

 メルはゆっくりと言葉を噛みしめるように言った。

 祈る時の歌声そのままに、美しい声は悲壮な未来を語る。

 ゲイルは息を呑んで聞いていた。

 彼は知っている。

 メルが無口なのは言葉の力を制御する為だ。巫女姫の言葉はどんな言葉も現実になる。負の言葉を思いのままに吐けば、それは力となって現実を引き寄せるのだ。その逆も、また然り。だから、彼女は極力言葉を発しない。それだけじゃない。未来を知ろうとする者達に動揺を与えない為に感情を表に出すこともしない。巫女姫の顔色を読もうとする者が多すぎて、だんだん彼女が無表情になっていくのを、ゲイルがどれだけ心配して見ていたことだろう。

 今、その無表情さも、無口さも、起こり得る未来に対してあまりにも無力だ。

「どう、すればいい?」

 ゲイルがやっと言葉を紡いで言うと、メルは大きな青い瞳を潤わせて彼を見つめているだけだ。

「何も、できないのか」

 あまりのことに、ゲイルの顔色が蒼白になる。

 世界の滅亡。それを救えるのは、きっとメルだけだ。

「メル、落ち着いて聞いてくれ。俺は古い文献が好きでよく学術院で本を読むんだ。それによると、この世界のよく似た世界がどこかにあるらしい。何代前かの巫女姫が視たという。そこへこの世界を繋いで、みんなを移動させることはできないか」

 ゲイルの言葉はメルの理解を超えている。しかし、助かる方法があるとするなら、ゲイルの考えが一番のような気がした。

「視てみる」

 メルは目を閉じて意識を内なる世界へ集中する。

 暗闇から光の世界へ出るように意識が抜け出る。

 それは既視感溢れる世界だった。

 光と水と、緑の大地に人々が暮らしている。平和で豊かで、そして生きている鼓動のある世界。

 地球。そんな名前の世界。

「あった。あったよ、ゲイル」

 メルは目を開けて青い瞳をきらめかせる。

「メルの祈りの力で世界を繋げられそう?」

「わからない。私の願いを女神は聞き届けて下さるかしら。もしも世界の終焉が女神のお望みのことならば、私の願いは女神の意に反することになるから。でも時間がないよ。きっと月が五度沈むうちに起こる」

 メルは心配そうに言った。

 いつもメルなら黙ってゲイルを見つめるだけだが、彼女もこの事態をどうにかしたいと思っているから何か言葉を発せないと落ち着かないのだ。

「女神は慈愛の神だ。みすみす俺たちを死なそうとは思っていない筈だ」

 ゲイルの言葉はメルを安心させる。

 ゲイルはメルの銀の髪に触れる。

「今から学術院のマルに相談してくる。過去にそんな事例があったかどうかも含めて調べてみるよ。そして首相にも話さないと。メルは気を落ち着けて、普段通り過ごして」

 ゲイルの言葉にメルは頷いた。

 すぐに彼はメルの部屋を出た。

 そのたくましい背中を見送って、メルは騒ぐ胸を両手で押さえた。




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