第二章
宮殿の朝は早い。
毎朝の祈りの時間には巫女姫メルの歌声が響く。彼女の声は聞く者すべての心を震わせる。容姿も美しいが声も美しい。幻想的な彼女は、いつまでも国民が愛してやまない王女なのだ。
祈りの時間が終わると、巫女姫は夕方の祈りの時間まで自由に過ごせる。王政時代は家庭教師や楽師に習い事をしていたが、今はそれもない。
メルは宮殿の奥の自室へ向かいながら、急に立ち止まると方向転換した。思い立って、騎士団の詰め所を覗くことにしたのだ。
宮殿の門から入って左手の学術院にほど近い場所に騎士団の詰め所がある。
学術院の裏手の広場で騎士たちは鍛錬を積む。今日も威勢のいい掛け声がしているのを聞きながら、メルは石壁に隠れて騎士団の訓練を見ることにした。
ついこの前三十歳を迎えた師団長のヤマニがゲイルに何やら指示をしている。ゲイルは笑って頷くと、剣を鞘に納めて倉庫から弓を取って来た。それを同僚たちに向ける。鍛錬しているせいか、表情を全く変えない彼らだが、目だけがゲイルの動向を止めたい気持ちで見ている。
メルはその様子が可笑しくて、しかし、どうやって笑っていいのかわからない。相変わらず無表情で騎士たちを見ている。
うなりをあげて矢が放たれた。
幾重にも広がる矢がそれぞれの胸に突き刺さる。
冷や汗を流す騎士たちにヤマニが言う。
「これは幻覚だ。見ろ、ゲイルの手には弓はあっても矢はない。何が言いたいかわかるか。目に囚われすぎるな、ということだ」
騎士たちは自分の胸をさすってほっと息をつく。
そんな中、ゲイルはメルの隠れている壁をじっと見つめていて、彼女は後ずさりしながら今度こそ宮殿の奥へ戻ったのだった。
夕の祈りの時間には騎士たちが祈りの広場に参列する。
メルの女神を称える歌声が止むと、彼らはメルにうやうやしくお辞儀をして解散する。
速やかに静寂が戻ると、メルはゲイルが残っているのを見つけた。
「メル」
ゲイルは微笑んで彼女に近づき、そして彼女の頭にゲンコツを落とした。
涙目でゲイルを見上げるメルに、彼は目線を合わせる。
「また抜け出して詰め所に来ただろう?ダメだよ。王政がなくなった今、わけのわからない連中が忍び込むこともある。注意してくれよ」
「はい」
大人しくメルが答えると、ゲイルは満面の笑顔で彼女の頭を撫でた。
「それじゃ、俺は巡回があるから、もう行くね」
ゲイルは離れた所で待っていた何人かの騎士達と合流して行ってしまった。
言いたいことがあったのに、言えなかったメルはその背中が消えた方をずっと見ていた。
ふいに。
メルは視た。
迫りくる水のうねり。そして拳よりも大きい氷の玉が空から降って来るのを。
女神がお怒りだ。
メルは口元を押さえて膝を着く。震えが止まらない。
ゲイル、助けて。
あまりの光景に彼女は声にならない叫びを上げると気を失った。
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